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茶の本

茶の本
岡倉天心(覚三)1863-1913
tenshin okakura

「茶の本」1906年(1)

<人道を語り老荘と禅那とを説く書物>
「茶の会に関する種々の閑談やら感想やらを媒介として
人道を語り老荘と禅那とを説き、ひいては芸術の鑑賞に
も及んだもので、バターの国土の民をして、紅茶の煙の
かなたに風呂釜の煮えの別天地のあることを、一通り合
点行かせる書物としては、おそらくこれを極致とすべき
かと、あえて自分は考える・・」
(岡倉由三郎(天心の弟))

「茶の本」(2)

<俗中の美を崇拝すること>
「茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを
崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と
調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々
(じゅんじゅん)と教えるものである。」

<不完全なものを崇拝すること>
「茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。
いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か
可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。」
「茶の本」(3)

<野蛮国に甘んじよう>
「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、
野蛮国とみなしていたものである。しかるに満州の
戦場に大々的殺戮(さつりく)を行い始めてから文明国
と呼んでいる。・・・・
もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争
の名誉によらなければならないとするならば、むしろ
いつまでも野蛮国に甘んじよう。
われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき
尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」
「茶の本」(4)

<落ち着いてしかし充分に笑うけだかい奥義>
「チャールズ・ラムは、「ひそかに善を行なって
偶然にこれが現れることが何よりの愉快である。」と
いうところに茶道の真髄を伝えている。
というわけは、茶道は美を見いださんがために美を
隠す術であり、現わすことをはばかるようなものを
ほのめかす術である。
この道はおのれに向かって、落ち着いてしかし充分に
笑うけだかい奥義である。
従ってヒューマーそのものであり、悟りの微笑である。」

「茶の本」(5)

<茶の湯の源流>
「仏教徒の間では、道教の教義を多く交じえた南方の
禅宗が苦心丹精の茶の儀式を組み立てた。
僧らは菩提達磨の像の前に集まって、ただ一個の碗から
聖餐(せいさん)のようにすこぶる儀式張って茶を飲む
のであった。
この禅の儀式こそはついに発達して十五世紀における
日本の茶の湯となった。」

「茶の本」(6)

<茶道は道教の仮りの姿であった>
「茶の湯は、茶、花卉(かき)、絵画等を主題に
仕組まれた即興劇であった。
茶室の調子を破る一点の色もなく、物のリズムを
そこなうそよとの音もなく、調和を乱す一指の動き
もなく、四囲の統一を破る一言も発せず、すべての
行動を単純に自然に行なう、こういうのがすなわち
茶の湯の目的であった。
・・・
茶道は道教の仮りの姿であった。」

「茶の本」(7)

<聖人はよく世とともに推移す>
「易経は老子の思想の先駆をなしている。
・・・
道教を解せんとするには多少儒教の心得がいる。
この逆も同じである。
道教でいう絶対は相対である。
・・・
定義は常に制限である。「一定」「不変」は単に
成長停止を表わす言葉に過ぎない。
屈原いわく、
「聖人はよく世とともに推移す。」」
「茶の本」(8)

<虚>
「個人を考えるために全体を考えることを忘れては
ならない。この事を老子は「虚」という得意の隠喩
で説明している。
・・・
たとえば室の本質は、屋根と壁に囲まれた空虚なとこ
ろに見いだすことができるのであって、屋根や壁その
ものにはない。
・・・
おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、
すべての立場を自由に行動することができるようになる
であろう。
全体は常に部分を支配することができるのである。」
「茶の本」(9)

<大傑作>
「芸術においても・・・

何物かを表わさずにおくところに、見る者はその
考えを完成する機会を与えられる。
かようにして大傑作は人の心を強くひきつけてついに
は人が実際にその作品の一部分となるように思われる。
虚は美的感情の極致までも入って満たせとばかりに
人を待っている。」

「茶の本」(10)

注:以下の文章は「茶の本」にはありません。

<禅の始祖、迦葉とは?>

摩訶迦葉 (まかかしょう)
釈迦の死後その教団を統率した。

<拈華微笑(ねんげみしょう)>
あるとき釈迦は霊山に弟子たちを集めて説教をした。
そのとき釈迦はハスの花を手にして、それをひねっ
て弟子たちに示した。弟子たちは、その意味を図り
かねてみんな黙ってたが、たった一人迦葉尊者だけ
は、釈迦の意味するところを悟り、にっこり微笑した。

「わたし(釈迦)には正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、
微妙法門、がある。
これを不立文字、教外別伝で、迦葉、お前に託そう」
釈迦は迦葉に以心伝心で仏教の真理を伝えた。

ハスの花を捻ってそして迦葉が微笑んだというところ
から「拈華微笑(ねんげみしょう)」という言葉が、
以心伝心の象徴となった。

<正法眼蔵>
「わたしには正法蔵でない、もうひとつの蔵がある。
経典を納めた立派な蔵以外のもうひとつの蔵、それ
が正法眼蔵だ。これを言葉の教え以外に伝えておか
ないと、のちの世になって必ず誤解する者が出てく
るから、正法眼蔵を伝えておかなければならない。
摩訶迦葉よ、そなたはそれをつかんだのであろう。
だから、正法眼蔵をそなたに授けよう。」

「茶の本」(11)

<茶室>
「(茶室)数寄屋の原義は「好き家」である。
・・・
それは詩趣を宿すための仮の住み家であるからに
は「好き家」である。
さしあたって、ある美的必要を満たすためにおく
物のほかは、いっさいの装飾を欠くからには「空(す)
き家」である。
それは「不完全崇拝」にささげられ、故意に何かを
仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させる
からには「数奇家」である。
茶道の理想は十六世紀以来わが建築術に非常な影響
を及ぼしたので、今日、日本の普通の家屋の内部は
その装飾の配合は極端に簡素なため、外国人には
ほとんど没趣味なものに見える。」

「茶室は見たところなんの印象も与えない。それは
日本のいちばん狭い家よりも狭い。それにその建築に
用いられている材料は、清貧を思わせるよういできて
いる。
しかしこれはすべて深遠な芸術的思慮の結果であって、
細部に至るまで、立派な宮殿寺院を建てるに費やす
以上の周到な注意をもって細工が施されているという
ことを忘れてはならない。」

「正統の茶室の広さは四畳半で維摩(ゆいま)の経文
の一節によって定められている。」

「茶の本」(12)

<床の間>
「禅院の仏壇は、床の間ー絵や花を置いて客を
教化する日本間の上座ーの原型であった。」

禅院の会堂は、中央の壁の凹所、仏壇の後ろに禅宗の
開祖菩提達磨の像か、または祖師迦葉と阿難陀をし
たがえた釈迦牟尼の像以外は何の飾りもない。
茶の湯の基をなしたものは、菩提達磨の像の前で
同じ碗から次々に茶を飲むという禅僧たちの始めた
儀式であった。
「茶の本」(13)

<露地作りの極意>

見渡せば花ももみじもなかりけり
浦のとまやの秋の夕暮れ

<茶室に入る>
「まず床の間の絵または生花に敬意を表する。
主人は、客が皆着席して部屋が静まりきり、茶釜
にたぎる湯の音を除いては、何一つ静けさを破る
ものもないようになって、始めてはいってくる。
茶釜は美しい音をたてて鳴る。
特殊のメロディーを出すように茶釜の底に鉄片が
並べてあるから。
これを聞けば、雲に包まれた滝の響きか岩に砕くる
遠海の音か竹林を払う雨風か、それともどこか遠き
丘の上の松籟(しょうらい)かとも思われる。
・・・
客はみずからも注意して目立たぬ着物を選んでいる。
古めかしい和らかさがすべての物に行き渡っている。
ただ清浄無垢な白い新しい茶筅と麻ふきんが著しい
対比をなしているのを除いては、新しく得られたらしい
物はすべて厳禁せられている。
茶室や茶道具がいかに色あせて見えてもすべての物
が全く清潔である。
部屋の最も暗いすみにさえ塵(ちり)一本も見られない。
もしあるようならばその主人は茶人とはいわれないの
である。
茶人に第一必要な条件の一は掃き、ふき清め、洗う
ことに関する知識である、払い清めるには術を要する
から。

「茶の本」(14)

<屋内の装飾法>
「人はいろいろな音楽を同時に聞くことはできぬ、
美しいものの真の理解はただある中心点に注意を
集中することによってのみできるのであるから。
・・・
茶室の装飾法は、現今西洋に行われている装飾法、
すなわち屋内がしばしば博物館に変わっているよう
な装飾法とは趣を異にしていることがわかるだろう。
装飾の単純、装飾法のしばしば変化するのになれて
いる日本人の目には、絵画、彫刻、骨董品のおびただ
しい陳列で永久的に満たされている西洋の屋内は、
単に俗な富を誇示しているに過ぎない感を与える。」
「茶の本」(15)

<床の間の真ん中に花瓶を置いてはいけない>
「真の美はただ「不完全」を心の中に完成する人に
よってのみ見いだされる。
・・・
意匠の均等は想像の清新を全く破壊するものと考え
られていた。
・・・
室の装飾に用いる種々な物は色彩意匠の重複しない
ように選ばなければならぬ。生花があれば草木の絵は
許されぬ。丸い釜を用いれば水差しは角張っていなけ
ればならぬ。
黒釉薬の茶碗は黒塗りの茶入れとともに用いてはならぬ。
香炉や花瓶を床の間にすえるにも、その場所を二等分し
てはならないから、ちょうどその真ん中に置かぬよう
注意せねばならぬ。
少しでも室内の単調の気味を破るために、床の間の
柱は他の柱とは異なった材木を用いねばならぬ。」
「茶の本」(16)

<美術鑑賞法>
「美術家は通信を伝える道を心得ていなければ
ならないように、鑑賞者は通信を受けるに適当な
態度を養わなければならない。
宗匠小堀遠州は、みずから大名でありながら、
次のような忘れがたい言葉を残している。
「偉大な絵画に接するには、王侯に接するごとく
せよ。」
・・・
宋のある有名な批評家が、非常におもしろい自白
をしている。
「若いころには、おのが好む絵を描く名人を称揚し
たが、鑑賞力の熟するに従って、おのが好みに適する
ように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを称した。」
現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に
少ないのは、誠に嘆かわしいことである。」
「茶の本」(17)

<傑作は親しみあり>
「傑作はすべて、いかにも親しみあり、肝胆相照らし
ているではないか。
これにひきかえ、現代の平凡な作品はいかにも冷ややか
なものではないか。
前者においては、作者の心のあたたかい流露を感じ、
後者においては、ただ形式的の会釈を感ずるのみである。」
「茶の本」(18)

<すきま>
「日本の古い俚諺に「見えはる男には惚れられぬ。」
というのがある。そのわけは、そういう男の心には、
愛を注いで満たすべきすきまがないからである。
芸術においてもこれと等しく、虚栄は芸術家公衆いづれ
においても同情心を害することははなはだしいもの
である。」
「茶の本」(19)完

<簡素を愛する日本人は親切である>
(幸福な人間は親切である。
田辺聖子「どんぐりのリボン」)

「(茶)の宗匠たちはただの芸術家以上のもの
すなわち芸術そのものとなろうと努めた。
それは審美主義の禅であった。」

「いわゆる光琳派はすべて、茶道の表現である。」

「茶の宗匠が芸術界に及ぼした影響は偉大なもの
ではあったが、彼らが処世上に及ぼした影響の大なる
に比すれば、ほとんど取るに足らないものである。
・・・
彼らは、人間は生来簡素を愛するものであると強調
して、人情の美しさを示してくれた。
実際、彼らの教えによって茶は国民の生活の中に
はいったのである。」

「美を友として世を送った人のみが麗しい往生を
することができる。」

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