葉隠
人間の一生は誠にわずかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり。
夢の間の世の中に好かぬことばかりして、
苦しみ暮らすは愚かな事なり。
五十ばかりより、そろそろ仕上げたるがよきなり
Comments Off五十ばかりより、そろそろ仕上げたるがよきなり
Comments Off「武士道」(1)
<誕生>
「「あなたのお国の学校には宗教教育はない、と
おっしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が
質問した。「ありません」と私が答えるや否や、
彼は打ち驚いて突然歩を停め、「宗教なし!
どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し
言ったその声を私は容易に忘れえない。」
以上の出来事が私(新渡戸)に「武士道」を書かせた。
「その内容は主として、私が少年時代、封建制度の
なお盛んであった時に教えられ語られたことである。」
本書の目的
1 武士道の起源および淵源
2 その特性および教訓
3 その民衆に及ぼしたる感化
4 その感化の継続性、永久性
「武士道」(2)
<武士道の淵源>
「ある剣道の達人(柳生但馬守)がその門弟に業
(わざ)の極意を教え終わった時、これに告げて
言った、「これ以上の事は余の指南の及ぶところ
ではなく、禅の教えに譲らねばならない」と。
・・・
この教え(禅)は一宗派の教義以上のものであって、
何人にても絶対の洞察に達したる者は、現世の事象
を脱俗して「新しき天と新しき地」とに覚醒するの
である。」
「武士道」(3)
<義>
「武士にとりて卑劣なる行動、曲りたる振る舞いほ
ど忌むべきものはない。」
<謙信、信玄に塩を送る>
「謙信、書を寄せて曰く、聞く北条氏、公を困
(くるし)むるに塩をもってすと、これ極めて卑劣
なる行為なり、我の公と争うところは、弓矢にあり
て米塩にあらず、今より以後塩を我が国に取れ、
多寡(たか)ただ命(めい)のままなり、と。」
「武士道」(4)
<惻隠(そくいん)の情>
出典:「無惻隠之心、非人也(孟子)」
いたわしく思うこと、あわれみ「惻隠の情」
「「武士の情(なさけ)」という言は、直ちに我が
国民の高貴なる情感に訴えた。
「弱者、劣者、敗者に対する仁は、特に武士に適
(ふさ)わしき徳として賞讃せられた。」
「武士道」(5)
<敬天愛人>
「道は天地自然のものにして、人はこれを
行なうものなれば、天を敬するを目的とす。
天は人も我も同一に愛したもう故、我を愛する
心をもって人を愛するなり。
人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして己れを尽し人を咎めず、
我が誠の足らざるを尋ぬべし」(西郷隆盛)
「武士道」(6)
<忠と孝>
「忠ならんと欲すれば孝ならず、
孝ならんと欲すれば忠ならず」
(「日本外史」(頼山陽)において
父の反逆行為に関する平重盛、苦闘
の言葉)
シェイクスピアにも、「旧約聖書」に
すらも、我が国民の親に対する尊敬を
現わす概念たる「孝」に当る適切なる
訳語は含まれていない。
忠と孝の衝突において、武士道は忠を
選ぶに決して逡巡しなかった。
婦人もまたその子を励まして、君のため
にすべてを犠牲にせしめた。
「武士道」(7)
<武士道は貧困を誇る>
「武士の教育において守るべき第一の点は
品性を建つるにあり、思慮、知識、弁論等
知的才能は重んぜられなかった。」
「武士道は非経済的である。それは貧困を
誇る。・・・
武士の徳たる名誉心は、利益を得て汚名を
被るよりもむしろ損失を選ぶ。
ドン・キホーテは黄金および領地よりも彼の
錆びたる槍、骨と皮ばかりの馬に、より多く
の誇りを抱いた、しかして武士はこのラ・マ
ンチャの誇大なる同僚に対し衷心の同情を払
う。」
諺(ことわざ)に曰く、「就中(なかんずく)
金銀の欲を思うべからず、富めるは智に害あり」
と。
「武士道」(8)
<汚職が少なかった武家社会>
武士道においては、理財の道は一貫して
卑(ひく)きものとされた。
多くの藩において、財政は、小身の武士もし
くは御坊主によってなされた。
かくのごとく金銭と金銭欲とを努めて無視
することによって、武士道は金銭に基づく
凡百の弊害から久しく自由であることを得た。
「これは我が国の公使が久しく腐敗から自由
であった事実を説明する十分なる理由である。」
「武士道」(9)
<日本人の笑顔>
「武士が感情を面に現わすは男らしくないと
考えられた。・・・
最も自然的なる愛情も抑制せられた。父が子を
抱くは彼の威厳を傷つくることであり、夫は
妻に接吻しなかった。
・・・
我が国民の歴史と日常生活とは、プルタークの
最も感動すべきページにも善く匹敵しうる英雄的
婦人の実例に充ちている。
・・・
日本人の友人をばその最も深き苦しみの時に訪問
せよ、彼は赤き眼濡れたる頬にも笑いを浮かべて
常に変わらず君を迎えるであろう。」
「武士道」(10)
<切腹>
「・・前なる短刀を確(し)かと取り上げ、嬉しげ
にさも愛着するばかりにこれを眺め、暫時最後の
観念を集中するよと見えたが、やがて左の腹を深く
刺して徐(しず)かに右に引き廻し、また元に返して
少しく切り上げた。
この凄まじくも痛ましき動作の間、彼は顔の筋一つ
動かさなかった。彼は短刀を引き抜き、前にかがみて
首を差し伸べた。苦痛の表情が始めて彼の顔をよぎった
が、少しも音声に現れない。
この時まで側に蹲りて彼の一挙一動を身じろぎもせず
うち守っていた介錯は、やおら立ち上がり、一瞬太刀
を空に振り上げた。秋水一閃、物凄き音、どうとたお
るる響き、一撃の下に首体たちまちその所を異(こと)
にした。」
(滝善三郎の切腹「神戸の外国人襲撃のとがによる」
ミットフォード「旧日本の物語」より)
「武士道」(11)
<切腹(2)>
左近、内記という二人の兄弟、兄は二十四歳、弟は
十七歳であったが、父の仇を報ずるために家康暗殺を
企てたが失敗、捕らえられた。
家康はその勇気を愛でて、末弟八麿、八歳を加え、三人
の兄弟に名誉の死(切腹)を与えた。
「彼らが皆並んで最後の座に着いた時、左近は末弟に
向いて、「八麿よりまず腹切れよ、切損じなきよう見届け
くれんぞ」と言った。稚(おさな)きは答えて、ついぞ
切腹を見たることなければ、兄のなさん様を見て己れも
これに倣わんと言えば、兄は涙ながらに微笑み、「いみ
じくも申したり、健気(けなげ)の稚児(ちご)や、汝
父の子たるに恥じず」とて、二人の間に八麿を座らせ、
左近は左の腹に刀を突き立てて「弟これを見よや、会得
せしか、あまりに深く掻(か)くな、仰向けに倒れるぞ、
俯伏(うつふ)して膝をくずすな」。
内記も同じく腹掻き切りながら弟に言った、「目を刮
(かつ)と開けや、さらずば死顔の女にまごうべきぞ。
切尖(きっさき)淀むとも、また力撓(たわ)むとも、
さらに勇気を鼓して引き廻せや」。
八麿は兄のなす様を見、両人の共に息絶ゆるや、静かに
肌を脱ぎて、左右より教えられしごとく物の見事に腹切
り了(おわ)った」。
「武士道」(12)
<自己犠牲>
「一人の青年が一人の乙女を恋い、乙女も同じ熱愛を
もって彼の愛に報いたが、青年が彼女に心惹かれて義務
を忘るるを見て、乙女は自己の魅力を失わしむるため
己が美貌に傷つけたるごとき事の起りしも稀でない。」
「女子がその夫、家庭ならびに家族のために身を棄つる
は、男子が主君と国とのために身を棄つると同様に、
喜んでかつ立派になされた。」
「私(新渡戸)の明らかにせんと欲する点は、武士道
の全教訓は自己犠牲の精神によって完全に浸潤せられ
ており、それは女子についてのみでなく男子について
も要求せられた、ということである。」
「武士道」(13)
<武士の妻は不幸だったか?>
「婦人が最も少なく自由を享有したのは武士の間に
おいてであった。奇態なことには社会階級が下になる
ほど、例えば職人の間においては、夫婦の地位は平等
であった。
身分高き貴族の間においてもまた、両性間の差異は
著しくなかった。」
「もし私(新渡戸)の言が武士道の下における婦人の
地位に関し甚だ低き評価を人にいだかしめたとすれば、
私は歴史的真理に対し大なる不正を冒すものである。
私は女子が男子と同等に待遇せられなかったと述べるに
躊躇しない。しかしながら吾人が差異と不平等との区別
を学ばざる限り、この問題についての誤解を常にまぬか
れないであろう。」
「武士道」(14)
<愚妻>
「夫もしくは妻が他人に対しその半身のことを、
善き半身か悪き半身かは別として、愛らしいとか、
聡明だとか、親切だとか何だかと言うのは、我が
国民の耳にはきわめて不合理に響く。
自分自身のことを「聡明な私」とか、「私の愛らしい
性質」などと言うのは、善い趣味であろうか。
我々は自分の妻を賞(ほ)めるのは自分自身の一部を
賞めるのだと考える、しかして我が国民の間では自己
賞讃は少なくとも悪趣味だとみなされている。」
「武士道」(15)
<武士道の感化>
「仲間の間にただ一人の賢者があればよい、しからば
全てが賢くなる。それほど伝染は速やかである」
とエマスンは言う。
過去の日本は武士の賜(たまもの)である。
彼らは国民の花たるのみでなく、またその根であった。
あらゆる天の善き賜物は彼らを通して流れでた。
民衆娯楽(芝居、寄席、講釈、浄瑠璃・・)の主題は
武士の物語であった。
武士は全民族の善き理想となった。
「花は桜木、人は武士」と歌われた。
知的ならびに道徳的日本は直接間接に武士道の所産で
あった。
宗教なるものが、マシュー・アーノルドの定義したる
ごとく「情緒によって感動されたる道徳」だとすれば、
武士道に勝りて宗教の列に加わるべき資格ある倫理大
系は稀である。
「武士道」(16)
<桜>
「桜はその国産たることが、吾人の愛好を要求する
唯一の理由ではない。その美の高雅優麗が我が国民
の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶと
ころではない。
バラに対するヨーロッパ人の賛美を、我々は分つこと
をえない。
バラは単純さを欠いている。さらにまた、バラが甘美
の下に刺(トゲ)を隠せること、その生命に執着するこ
と強靱にして、時ならず散らんよりもむしろ枝上に朽つる
を選び、あたかも死を嫌い恐るるがごとくであること、
その華美なる色彩、濃厚なる香気、すべてこれらは桜と
著しく異なる性質である。
我が桜花はその美の下に刃をも毒をも潜めず、自然の召し
のままに何時なりとも生を棄て、その色は華麗ならず、
その香りは淡くして人を飽かしめない。
敷島の大和心を人問はば
朝日に匂ふ山桜花
(本居宣長)
「武士道」(17)
<吉田松陰>
「新日本の最も輝かしき先駆者の一人たる吉田松陰が
刑に就くの前夜詠じたる次の歌は、日本民族の偽らざる
告白であった。
かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂 」
日本が他の東洋専制国と異なる唯一の点は、
「従来人類の案出したる名誉の掟の中最も厳格なる、
最も高き、最も正確なるものが、その国民の間に支
配的勢力を有すること」にある。
(ヘンリー・ノーマン)
「武士道」(18)完
<男らしくない>
ある学校で一教授に対する不満を理由にして学生ス
トライキがおこったが、校長の出した一文でストラ
イキは解散した。
その一文とは、
「諸君の教授は価値ある人物であるか。
もししからば、諸君は彼を尊敬して学校に留むべき
である。彼は弱き人物であるか。
もししからば、倒るる者を突くは男らしくない」
「行動の知恵と決意がおのずと逆説を生んでゆく、
類のないふしぎな道徳書。」
「「葉隠」の影響が、芸術家としてのわたしの生き方を
異常にむずかしくしてしまったのと同時に、「葉隠」
こそは、わたしの文学の母胎であり、永遠の活力の
供給源であるともいえるのである。」
(三島由起夫)