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モンテーニュ

すぐれた記憶力は弱い判断力と結びやすい。

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アンドレ・ジイド

「「この世にプラトンがいることを知らなかった以前か
らプラトン主義者であった。」と彼(モンテーニュ)自
ら書いている。これと同じく、私(ジイド)もまたモン
テーニュ主義者であったわけである。」
(ジイド「モンテーニュに従いて」)

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パスカルの愛読書

「自分が常に読んだ書物はエピクテートスとモンテ
ーニュとであった。」(パスカル)

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モンテーニュ

< モンテーニュ・エセー>
モンテーニュ1533-1592
Michel Eyquem de Montaigne
「エセー」(1)

最近の悲しみの表現はどこか嘘っぽい。

<no2 悲しみについて>
「軽い悲しみは語り、深い悲しみは沈黙する」
(セネカ「ヒッポリュトス」)

<no3 われわれの感情はわれわれを超えてゆくこと>
ソクラテスは最後に臨んでどのように葬られた
いかと尋ねたクリトンに「おまえの好きなよう
に」と答えた。(プラトン「パイドン」)

<no4 心は正しい目標を欠くと、偽りの目標に
はけ口を向けること>
「事柄に怒ってはならぬ。事柄はわれわれがい
くら怒っても意に介さない。」
(プルタルコス「怒りを抑える方法」)

–空舟に衝突しても怒りの先は見つからない–

<no8 無為について>
「確固たる目的をもたない精神は自分を失う。」

「無為は常にさ迷う精神を生む」
(ルカヌス「ファルサリア」)
「エセー」(2)

<no20 哲学をきわめることは死ぬことを学ぶこと>
「哲学をきわめるとは死の準備をすること」
(キケロ)

「あらかじめ死を考えておくことは自由を考える
ことである。」

<no21 想像力について>
「私は何かの病気を調べているうちに、その病気
をとらえて、自分の中に宿してしまう」

「彼は日中非常な興味を覚えながら闘牛を見物し、
その夜一晩じゅう頭に角の生える夢を見たために、
想像の力によって本当に額に角が生えた。」
(プリニウス「博物誌」11-45)

「眼は眼病にかかった眼をみていると自分も眼病
になる」(オウィディウス「愛の妙薬」5-615)

「エセー」(3)

<no26 子供の教育について>
「剛毅、信義、誠実が真の哲学であり、それ以外
を目的とする学問は虚飾にすぎない」
(プラトン「アリストドロスへの手紙」)

「知恵のもっとも明白なしるしは、常に変わらぬ
喜悦であります。」(セネカ「書簡」59)

「事柄が明らかになれば、言葉はおのずから従う」
(ホラティウス「詩論」311)

「心を打つ言葉だけが味わいがある」
(ルカヌスの墓碑銘)

「真理に役立つ話し方は、巧まずに、単純でなけ
ればならぬ」
(セネカ「書簡」40)

<no28 友情について>
「友情にあっては、もしも一方が他方に与えること
がありうるとすれば、親切を受け取るほうこそ、こ
れを与えるほうに恩義を施すことになるであろう。」

男女の友情が成立しないのは、その目的が肉体的で
飽満を免れえないからである。
女性の才能は、この神聖な結合(友情)を育てるに
は適していないし、永い結合の緊縛に堪えるだけ強
くはないようである。
「女性がそこ(友情)に到達したという実例は一つ
もない。そして古代の学派はみな一様に、女性を友
情から締め出している。」

「エセー」(4)

<no30 節制について>
「過度に徳を求めれば、狂人といわれ、正しい人も
不正な人と呼ばれる」
(ホラティウス「書簡詩」1-6-15)

「哲学は適度に学べば面白く快適なものであるが、
結局は、人間を交際嫌いにし、不徳にし、宗教や
一般のしきたりを軽蔑させ、社交や人間のもろもろ
の快楽を敵視させ、あらゆる政治に不向きにし、他
人を救うことも自分を救うこともできなくし、誰か
らも嘲笑されるにふさわしいものにする」

<no32 天命を判断するには慎ましくすること>
「われわれは太陽の光線から与えられる光だけで満
足しなければならない。目を上げてじかにもっと多
くの光を得ようとする者は、傲慢の罰として目が見
えなくなっても驚いてはいけない。」

<no39 孤独について>
「われわれは出来れば、妻も、子供も、財産も、そ
してとくに健康も、持つべきである。だが、われわ
れの幸福がただそれだけに左右されるほどに縛られ
てはならない。そのためには、完全に自分自身の、
まったく自由な店裏の部屋を一つ取っておいて、そ
こに自分の真の自由と唯一の隠遁と孤独を打ち立て
ることができるようにしなければならない。」

ソクラテスいわく、若者は教養を積まねばならない。
成人は善行に励まねばならない。そして、老人は定
職の義務も負わずに気儘に生きてゆかねばならない、
と。

「エセー」(5)

<no42 われわれの間にある差異について>
「もしも精神が卑しく愚かな人間だったら、それが
何になるか。快楽も幸福も、生気溌剌たる精神がな
くては感じられない。」

「満ち足りて、思いのままになる恋愛は、過度の美
食が胃をこわすように、うとましい」
(オウィディウス「恋愛詩」2-19-25)

「豊富ということほど、楽しみの妨げとなり、人を
不快にするものはない。」
(カルコンディラス「東ローマ帝国衰亡史」3-13)

「プルタルコスはどこかで、動物相互の間には、人
間相互の間にあるような大きな差異はないと言って
いる。・・・私はプルタルコスに輪をかけて、人間
相互の間には人間と動物の間における以上の差異が
ある、と言いたい。」

「健康や、美貌や、体力や、富や、その他、善と称
せられるすべてのものは、正しい者には善となるが、
不正なものには悪となる。」(プラトン「法律」)

「エセー」(6)

<no46 名前について>

<ノートルダム寺院の場所は、暴行者の家>
「ポアチエにあるノトル・ダーム・ラ・グラン寺院
の由来は次のように伝えられている。
その近くに住む放蕩者の若者が、若い娘を手ごめに
して、まずその名前をたずねると、娘はマリアと答
えた。彼はわが救世主の御母である聖処女の御名に
非常に強い敬虔の念に打たれ、ただちに女を追い返
したばかりでなく、その後の一生を贖罪に捧げた。
そしてこの奇蹟のために若者の家のあった場所に
ノトル・ダームに捧げる礼拝堂が建立され、それが
のちに今日見られるような寺院となったのである。」

<音楽の力>
「ピュタゴラスは、あるとき、一緒にいた若者達が
祭りの気分に浮かれて、貞淑な子女の家を荒らしに
行こうと企んでいるのを察して、踊りの伴奏をして
いた女に命じて調子を変えさせ、荘重で、厳粛な、
長々格の音楽を弾かせた。そして、いつの間にか彼
らの血気を眠らせて取り鎮めた。」

人名によらず、企業名、商品名など、よい名前を
もつことは大切である。
「ソクラテスも、子供にいい名前をつけてやるこ
とは父親の大いに心すべきことだといっている」

「エセー」(7)

<われわれの判断の不定なことについて>
「何事にも賛否はいくらでも言える」
(ホメロス「イリアス」20-249)

「誤った考えが成功し、思慮深い考えが間違う
ことがある。運命はかならずしも正しい道理を
認めないし、それに値するものを助けるとは限
らない。」(マニリウス4-95)

「我々はでたらめに、無思慮に理性を働かす。
われわれの理性も、われわれと同様に、偶然と
密接なかかわりをもつからである。」
(プラトン「ティマイオス」)

<酩酊について>
「プラトンは18歳未満の少年に酒を飲むことを
禁じ、40歳未満の者に酔っ払うことを禁じてい
る。しかし、40歳を過ぎた者には、大いにこれ
を楽しむことを命じ、食事の中にたっぷりとディ
オニュソス(酒神バッコス)の感化をまぜるこ
とを命じている。」

「エセー」(8)

<ケオス島の習慣について>

<最も避けるべき暴力>
「良心に対して加えられる暴力のうちでもっとも
避くべきものは、私の考えでは、婦人の貞操に対
する暴力であると思う。そこには自然にいくらか
の肉体的快楽がまじるからである。また、そのゆ
えに、婦人の拒否も完全ではありえないし、その
暴力には婦人の側からの多少の同意がまじるよう
に思われる。
ペラギアとソフロニアは二人共、聖女の列に加え
られているが、前者は数人の兵士の暴行を避ける
ために母と妹たちとともに河に身を投げ、後者も
皇帝マクセンティウスの暴行を逃れるために自殺
した。
教会の歴史は、暴君どもが良心を辱しめようとし
たのに対し、死をもって身を守った信心の厚い婦
人たちのこのような多くの実例に敬意を表してい
る。」

<自殺は絶望か>
「アンブラキアのクレオンブロトスはプラトンの
「パイドン」を読んで大いに来世にあこがれ、ほ
かにこれという理由もないのに、海に身を投げた。
このことから、自殺を絶望と呼ぶのがいかに不適
当であるかは明らかである。」

「エセー」(9)

<結婚と年齢>
「私は33才で結婚しましたが、アリストテレス
の説といわれる35才説に賛成します。プラトン
は30才前には結婚すべきではないと言っていま
す。もっとも55才以後に結婚の営みをする人た
ちを軽蔑して、彼らの子供は養育するに値しな
いと言っているのも正当です。」

「スペイン領インドのある地方では、男は40を
過ぎてからでないと結婚を許されませんでした。
女は10才で許されました。」

<女>
「妻は常に夫の意見に逆らいたがるものです」

「金持ちな女ほど善良です」

「貧困や窮乏は男性よりも女性にとってはいっ
そう不似合いで、耐え難いものです」

「彼女らはもっとも間違っているとき、最も自
分が可愛いのです」

「女には・・・男の上に立つ権力を与えるべき
ではないと思われます。・・・彼女らの選択は
常に気まぐれです。・・・彼女らには本当に値
打ちのあるものを選び、これを抱くだけの理性
の力がありません」

「エセー」(10)

<愛読書>
プルタルコスの「倫理論集」とセネカの「書簡」
「彼らの教えは哲学の精華であり、表現は単純、
適切である。プルタルコスはより一様で恒常であ
り、セネカはより多様と変化に富んでいる。後者
は努力し、緊張して、惰弱や恐怖や諸々の不徳な
欲望に対して徳を武装させようとする。
前者はこれらの悪徳の力をそれほど高く買わず、
そのために足を早めたり身構えたりするのをばか
にしているようにみえる。
プルタルコスはプラトン的な、おだやかな、市民
社会に順応した意見をもっている。
セネカはストア的な、エピクロス的な意見、一般
の習慣からはより離れているが、私の考えでは、
個人生活により適した、より強固な意見を持って
いる。・・・プルタルコスはどこにおいても自由
である。セネカは警句と名言に満ちており、プル
タルコスは事実に満ちている。
前者は人を刺激し、感奮させる。後者はそれ以上
に人を満足させ、よりよき報いを与える。
プルタルコスはわれわれを導き、セネカはわれわ
れを駆り立てる。」

「エセー」(11)

<ソクラテスの徳は称賛に値するか>
「ソクラテスの精神は私の知る限りもっとも完全
なものであるが、・・・(果たして称賛すべきも
のなのか?)・・・この人の中には、不徳な情欲
のいかなる働きも認めることができないからであ
る。私は、彼の徳の歩みの中に、いかなる困難も
いかなる葛藤も想像することができないし、彼の
理性があまりに強く、あまりにも権威をもってい
るために、不徳な欲望が生まれることさえできな
かったのを知っている。
彼のようなあんなに高い徳に対しては、いかなる
抵抗も考えることができない。
彼の徳は勝ち誇った足取りで、堂々と、悠々と、
いかなる障害にも会わずに、歩いてゆくように見
える。」

「エセー」(12)

<動物との会話>
「プラトンはサトゥルヌスが治めていた黄金時代
を描いて(「ポリティコス」272)、当時に人間
の主な長所の中に、動物と話し合うことができた
ことをあげている。
そして人間が動物たちから尋ねたり学んだりして、
それぞれの動物の真の特徴と差異を知っていたた
めに、きわめて完全な知性と思慮を得て、今のわ
れわれよりもずっと幸福な生活を送っていたとい
っている。」

「自然が動物にいろいろの体形を与えたのは、そ
れをいまの人間に吉兆の占いのために使わせよう
としたからにほかならない」
(プラトン「ティマイオス」72)

「エセー」(13)

<良心について>
「悪事は悪事を企む者をもっとも苦しめる」
(アウルス・ゲリウス「アッティカ夜話」)

「どんな隠れ家も悪人どもには役にたたない。
良心が彼らを彼ら自身にあばくので、安心して
隠れていられないからだ」
(エピクロス)

<友情、動物について>
「王リュシマコスの犬ヒルカヌスは、主人が死
ぬとその寝台の上に座ったまま、飲もうとも食
おうともしなかった。そして主人の遺骸が焼か
れた日に、いきなり駆けだして、その火の中に
身を投げて、焼け死んだ。
ピュロスという人の犬も同じだった。その犬は、
主人が死んでから寝台のそばを離れず、遺骸と
一緒に運ばれていって、最後に主人が焼かれて
いる薪の山に飛び込んだ。」

「エセー」(14)

<賢いという禍>
「あまりに賢すぎないことは大きな幸いである」

「考えるところには、けっして楽しい生活がない」
(ソフォクレス)

「知識が多ければ苦痛も多い」
(「伝道の書」)

「単純な者と無知な者は高められて天国を得るが、
われわれは知識のゆえに地獄の深淵に落ちる」
(聖パウロ)アグリッパ「学問のむなしさと不確か
さについて」

「無知なるものがかえってよく神を知る」
(聖アウグスティヌス「秩序について」)

「神々の御業を知るよりも信ずるほうが、いっそう
神聖で敬虔である」(タキトゥス「ゲルマニア」)

「神は徳にも不徳にもひとしくかかわりがない」
(アリストテレス「ニコマコス倫理学」)

「神は愛情にも怒りにも動かされない。なぜなら、
こういうものはすべて弱い者に属する特性である
から」(キケロ「神々の本姓」)

「エセー」(15)

–禅以前、しかし、禅に似たるもの–

<ピュロン主義者の不動心(アタラクシア)>
「不動心とはわれわれが事物についてもっているつも
りでいる意見や知識の印象から受ける動揺を受けるこ
とのない、平和で冷静な生き方である。実はこの動揺
から、恐怖、吝嗇、羨望、過度の欲望、野心、高慢、
迷信、新し好き、反逆、反抗、執拗、その他大部分の
肉体的な病気が生じるのである。」

<ピュロン主義者の信条>
「自分を知り、自分を判断し、自分を非難する無知は
完全な無知ではない。完全な無知であるためには、自
分自身についても無知でなければならない。したがっ
てピュロン主義者の信条は、動揺し、疑い、探究し、
何事にも確信をもたず、何事も保証しないということ
になる。」

<ピュロン主義者の表現>
「「これでもないし、あれでもない」「私にはわから
ない」「外見はどこもおなじである」「賛成も反対も
ひとしく可能である」「真実らしく見えるもので虚偽
らしく見えないものはない」「神は、われわれがこれ
らの事物を知ることではなくて、用いることだけを欲
し給う」・・・
人間の考え出した学説の中でこれほど真実らしさと有
用さをもつものはない。この学説は人間を、赤裸で空
虚なもの、おのれの弱さを認め、天上からの何かの外
来の力を受けるにふさわしいもの、人間的な知恵を去
ってそれだけ神の知恵を宿すにふさわしいもの、自分
の判断を捨ててそれだけ多く信仰に席を譲ろうとする
もの、不信心でもなく、一般の慣習に反するどんな説
も立てず、謙虚で、従順で、素直で、熱心なもの、異
端を徹底的に憎むもの、したがって、誤った宗派によ
って持ち込まれたむなしい、不敬な教説に煩わされな
いもの、として描いている。」

「エセー」(16)

われわれの想像力は果たして進化しているだろうか?

<神とはなにか>
「タレスは、・・神は水で万物をつくる精霊だと考え
た。・・アナクシメネスは、神は空気であり、生み出
された無限のもので、常に動いていると考えた。
アナクサゴラスは、・・万物の配置や秩序が無限な力
と理性に導かれているものと考えた。
ピュタゴラスは、神を、万物の本性に偏在する精神で
あり、われわれの精神もそこから分かれたものである
とした。・・エンぺドクレスは、万物の元である四つ
の元素であるとした。・・
プラトンは、・・その存在を詮索してはならないと言
い(「法律」)・・ヘラクレイデスは、・・神は感情
をもたず、次々と形を変えるものであると言い、天と
地であるとも言った。
・・
クセノファノスは、神は円く、目と耳を持ち、呼吸せ
ず、人間と何の共通点ももたないものであるとした。
・・
ディアゴラスとテオドロスは、神々の存在をきっぱり
と否定した。」

「エセー」(17)

<存在とは>
私の、「存在論」の結論は、以下、ルクレティウス
の言葉と同じである。
「宇宙の中に唯一のものは何もない。単独で生まれ、
単独で生長するものは何もない。」
(ルクレティウス2-1077)

注:ルクレティウス
Titus Lucretius Carus BC94-BC55
「物の本質について」(岩波文庫)

自分というものは、考えてもわからない。
自分がどんな人間と付き合い、どんなことに関わっ
ているか、ということが、即ち、「自分」なのだ。

「あるらしく見えるものの中で無以上のものは何も
ない。不確実以外に確実なものは何もない。」
(ナウシファネス)
これは、まるで量子力学の世界である。

パルメニデスは、あるものは「一」だけである、と
言い、ゼノンは「一」すらも存在しないという。
「もし「一」があるとするならば、他のものの中に
あるか、それ自身の中にあるかのいずれかである。
他のものの中にあるとすれば、それは二つである。
それ自身の中にあるとしても、含むものと含まれる
ものとで、やはり二つである。」

「人間は実に愚かである。一匹のダニもつくれない
くせに、何ダースもの神をつくる。」

「エセー」(18)

プラトンは神の子だったというお話

<プラトンの両親>
「アテナイでは、プラトンが父方も母方も神々の出で
あり、一族の共通の祖先としてネプトゥヌス神をいた
だいているということだけではまだ足りないみたいに、
次のことがまことしやかに信じられていた。
すなわち、アリストンは美しいペリクティオネを物に
しようとして果たすことができなかった。
そして夢の中でアポロンの神から、彼女が分娩するま
では、無垢のまま手を触れずにおくようにとのお告げ
を受けた。
このアポロンとペリクティオネの間に生まれたのが、
プラトンだというのである。」

「母、間人皇女は救世観音が胎内に入り、皇子を身籠
もった」という聖徳太子出生伝説を思い出させる。

「エセー」(19)

<目で見たことしか信じない人へ>
「人間の目は、物事を自分の知っている形でしか
とらえることができない。」

<専門家の愚かさ>
「学問の始めと終わりは、愚かさの点で一致する」

<プラトンは来世を信じていた?>
「プラトンは、・・来世の報いを、人間の寿命に
釣り合わせて、百年間に限るとした。」
(プラトン「国家」第10巻615A)

「プラトンは、・・来世における刑罰や報酬も、現世
の生命と同じように、一時的なものにすぎないと言った。
そして、精神が何度も旅をして滞在してきた天国や地獄
や現世について、不思議な知識をもっていることが想起
の材料になると結論した。」
(プラトン「メノン」)

プラトンは「われわれが学ぶことは一度知ったことの
想起にすぎない」と言った。
(プラトン「パイドン」)

「エセー」(20)

<人間の能力の程度は一事が万事である>
「一つの物が他の物よりも、より多く、あるいは
より少なく、理解されるということはありえない。
なぜなら、すべての物についての理解の仕方はただ
一つだから。」
(キケロ「アカデミカ」)

<言葉の意味>
「万物はその中に外見どおりのものをもっている」
(ヘラクレイトス)

「事物はその中に、けっして外見どおりのものを
もたない」
(デモクリトス)

上記二人の意見は実は、同じなのである。
言葉の意味とは、言葉にはなく、誰がそれを言った
かにある。

<こんな男は嫌われる>
「ソクラテスの妻が、「おお、よこしまな裁判官た
ちが不正にも夫を死刑にする」と言って悲しむと、
ソクラテスは「それならおまえは私が正当な理由で
処刑されたほうがいいと言うのか」と答えた」

「エセー」(21)

<盲人の視覚言語>
「生まれつき盲の、少なくとも視覚とは何であるか
を知らないくらい幼いときから盲の人に会ったこと
がある。
彼は自分に欠けているものをまったく理解していな
いために、われわれと同じように視覚に特有な言葉
を用い、それを全く独特な方法で用いていた。
自分が名付け親になった子供を差し出されると、そ
れを両手に抱いて、「ああ、美しい子だ。見るから
に気持ちがいい。なんて可愛い顔をしていること」
と言った。」

「人類もまた、何かの感覚を欠いているためにこれ
と同じような愚かなことをしているかも知れない。」

「エセー」(22)

<死について>
「カエサルは、どういう死がもっとも望ましいかと
聞かれて「もっとも思いがけなくもっとも短い死だ」
と答えた。」

「不幸な、堪えがたい出来事ばかりでなく、生の飽満
も、死にたい気持ちを起こさせるのだ。」

「次のことを銘記しなければならない。すなわち、「
人はなかなか死期に達したとは思わないものだ」とい
うことである。これが自分の最後だと覚悟して死ぬ人
はほとんどいない。また、そのときほどはかない望み
に欺かれることもない。」

<欲望>
「われわれの欲望は、手中にあるものを軽蔑し、それ
を飛び越えて、手元にないものを追い求める」

「欠乏と豊富は同じ不幸におちいる」

「困難は事物に価値を与える」

「エセー」(23)

<恋人と長く付き合う方法>
「もしも長く恋人をおさえておきたいなら、すげなく
せよ」
(オイディウス「恋愛詩」2-19-33)

<厳格・羞恥・貞潔・節制>
「あの乙女らしい羞恥のしなは何のためだろう。落着
きはらった冷たさや、きびしい顔つきや、教えるほう
のわれわれよりもよく知っている事柄を知らないふり
をするのは何のためだろう。
われわれに、これらのすべてのとりすました儀礼や障
害を征服し、抑えつけて、欲望の足下に踏みにじって
やろうという気持ちを増大させるためでなくて何であ
ろう。・・・
われわれにとっては、彼女らの心が恐怖にふるえ、わ
れわれの言葉に純潔な耳を汚され、いやいやながら、
われわれのしつこさに負けてやむをえず同意するのだ
と信ずることが必要なのだ。」

「彼女は柳の陰に逃げてゆくが、始めから見つかるこ
とを望んでいる」
(ウェルギリウス「田園詩」3-65)

「エセー」(24)

<栄誉について>
「世界中の栄誉も、理性ある人にとっては、これを
得るために指一本のばすにも値しない」

「「なんじの生活を隠せ」という(エピクロスの)
教訓は、人々に公の仕事や交際にかかずらうことを
禁ずるものであるが、これはまた必然的に、栄誉を
軽蔑することを前提とする。
なぜなら、栄誉は、人前にあからさまに見せる行為
に対する世間の称賛であるからだ。」

「アリストテレスは、栄誉に、外的な幸福のうちの
第一位を与えている。そしてこれを求めすぎること
も避けすぎることも両極端の悪として避けるように
教えている。」
(アリストテレス「ニコマコス倫理学」)

「立派な婦人は誰でも、自分の良心を失うよりは
むしろ名誉を失うほうを選ぶ。」

「エセー」(25)

<美貌の価値について>
「人間同士の間にあった最初の区別、互いの優劣を
きめた最初の基準は、おそらく美においてすぐれて
いることであったらしい。」

「土地はめいめいの美貌と体力と才知に応じて分配
された。なぜなら、美貌は尊ばれ、体力は重んじら
れたから。」
(ルクレティウス5-1109)

「小さい男は可愛いが美しくない。」
(アリストテレス)

「プラトンも、彼の国家の統治者には節制と勇気と
ともに、美貌を要求した。」
(プラトン「国家」第7巻535A,B)

「背丈の美しさだけが男性の唯一の美しさである。」
家来どもの真ん中にいる自分が、「ご主君はどこに
おいでですか」とたずねられるのは、まったく癪に
さわる。

「エセー」(26)

<真実に不忠な人は嘘にも不忠である>
「いったい、始終自分をごまかし、偽ることから、
人々はいかなる利益を期待するのだろうか。
結局、真実を言ったときにも人から本気にされなく
なるというだけではないだろうか。」

「アポロニオスは、嘘をつくのは奴隷のすること、
真実を言うのは自由人のすることと言った。」

「アリスティッポスは、哲学から得た第一の利益は、
誰にでも自由に、率直に話すことである、と言った。」

「心が疑いの中にあるときは、わずかの重みで、こっち
にも、あっちにも傾く。」
(テレンティウス「アンドリア」)

<愚かさの増幅>
「彫刻家は、立派な材料を手にして、へたくそに、彫刻
の規則に反していじくり廻せば、つまらない材料を使う
場合よりもいっそう愚かさをあらわすし、われわれも、
石膏における欠点よりも金の彫像における欠点を見て腹
を立てるようなものである。」

「エセー」(27)

<古今東西、いずこも同じ>
「もっとも軽蔑に値しない階級は、その単純さのゆえに
いちばん下層を占めている人々であるように思われる。
そして彼らの交際はずっと正常であるように思われる。
私(モンテーニュ)は、いつも百姓たちの行状や言葉が、
われわれの哲学者たちのそれよりも、真の哲学の教えに
かなっていると思っている。」

<快楽と苦痛>
「われわれの快楽の極致は、うなったり泣いたりしてい
るように見える。」

「神々はいかなる幸福をも純粋で完全なままでは与えな
い。われわれは何かの苦しみを払ってそれを買っている。」

「ソクラテスは、「ある神様が苦痛と快楽とを一つにま
ぜ合わせようとしたがうまくいかないので、せめて尻尾
のところだけでも結びつけようとした」と言っている。」

「メトロドロスは、「悲しみにはいくらか楽しみがまじ
っている」と言った。」

「エセー」(28)

<背教者ユリアヌス>
「本当に、ユリアヌス帝は実に偉大で稀有な人物であった。
精神は哲学の思想に濃く色どられ、・・・どの種類の徳に
おいてもきわめていちじるしい模範を残した。純潔という
点では、・・・数ある絶世の美人の捕虜の中の誰にも会お
うとしなかった。正義という点では、わざわざ自分で訴訟
の両方の言い分を聞いた。出頭した者どもには、好奇心か
ら、どの宗教を奉ずるかをたずねたけれども、キリスト教
に対していだいていた敵意のために、いささかも判断の天
秤を傾けなかった。自らも、多くのよい法律を作り、前の
皇帝たちが徴集した租税の大部分を撤廃した。
・・・ユリアヌス帝は確かに厳格ではあるが、残酷な敵で
はなかった。・・・(ある日)土地の司教マリスが大胆に
も「キリストの邪悪な反逆者」と呼ばわったが、彼(ユリ
アヌス)はただ「去れ、あわれな者よ、おまえの目が見え
ないことを嘆け」と答えただけだった。・・・・
彼の質素については、常に兵士と同じ生活をした。
そして平時にも、戦時のきびしさに自分を鍛えるような食
事をとった。・・・(そして彼は)あらゆる種類の文学に
精通していた。・・・われわれの記憶では、彼ほど多くの
危険に立ち向かい、試練に身をさらした人はほとんどいな
い。・・・宗教に関しては、あくまでも誤っていて、キリ
スト教を捨てたために、背教者とあだ名された。」
モンテーニュの「ユリアヌス」評を読んで、辻邦生の「背
教者ユリアヌス」を読むのも一興なり。

「エセー」(29)

<法律とは>
「法律からあらゆる不便と不都合を取り除こうとする
のはヒュドラの頭を切ろうとするようなものだ。」
(プラトン「国家」第4巻、426D)
注:ヒュドラ:ギリシャ神話の九頭の蛇でヘラクレス
に退治された怪物。一つの頭を切るとその跡に新たに
二つの頭ができたという。

<よい目的に用いられる悪い手段について>
「いまやわれわれは長い泰平に損なわれている。戦争
よりも恐ろしい惰弱に侵されている。」

「今日でもこのように論ずる者がたくさんいる。彼ら
はわれわれの中にたぎっている感情がどこか隣国との
戦争にまぎらわされることを望んでいる。」

「つつましい処女も、一太刀ごとに立ち上がり、勝利
者が敵の喉に剣を突き刺すごとに喜びの声をあげ、親
指をそらして、地に倒れ伏した敵を殺せとせき立てる。」

「エセー」(30)

<仮病をつかってはならぬこと>
病気の真似をしていると、本当に病気になる、という
お話。
「病人になるための気遣いと装いと報いは大したもの
だ。カエリウスの痛風の真似は、真似でなくなった。」

「運命はわれわれの冗談をそのままに受け取るのを喜ぶ
ように思われる」

<臆病は残酷の母>
「経験からも、意地悪くむごたらしい苛酷な心には普通
、女々しい惰弱が伴う・・・私は最も残酷な人々がつま
らない原因のために、きわめて涙もろいのを見た。」

「エセー」(31)

<ボクシングの創始者>
「プラトンは彼の国家の子供を教育するのに、アミュコス
とエペイオスによって伝えられた拳闘と、アンタイオスと
ケルキュオンによって伝えられた角力(すもう)を禁じた。
それが青年を軍務に順応させるのとは別の目的をもち、何
の役にも立たないからである。」

アミュコス:ギリシャ神話の中の、ポセイドンの子で拳闘
の発明者
エペイオス:トロヤ戦争の木馬の考案者で、優れた拳闘家。

アンタイオス:ポセイドンとガイヤの子。巨人でリュビア
に住み、通過する旅人に角力をいどみ、勝っては殺し、そ
の勝利品で父神の神殿を作った。

ケルキュオン:エレウシスの英雄。巨人で通行人に角力を
強いて殺した。

「エセー」(32)

企業戦争たけなわな昨今、指導者達の
愛読書とはなんであろうか。

<戦争の達人ーユリウス・カエサル>
「カエサルこそは、戦術の真実最高の模範として
あらゆる武人の枕頭の書とすべきである」

「(カエサル)の語り方はきわめて純粋で、精巧
で、完璧で、私(モンテーニュ)の好みからすれ
ば、この部門で彼の著作に比べられるものは絶無
と言ってよい。」

「(カエサル)は兵士たちを、・・・単純に服従
するように訓練した。」

「機会を的確にとらえることと迅速であることと
は大将たる者の最高の特質である」(カエサル)

「カエサルはきわめて節制家だった。けれども
危急の際に必要とあれば、カエサルほど自分の
命を軽んずる者もなかった。」

「エセー」(33)

<最も偉大な男性について>
「もしもこれまでに知ったあらゆる男性の中で
誰を選ぶかと聞かれたら、三人の群うぃ抜いて
すぐれた人物がいると思う。

・ホメロス
・アレクサンドロス大王
・エパメイノンダス

<ホメロス>
「彼は盲目で貧乏だった。・・・彼の詩やその他
の学問は少年期にはすでに、成熟した完全な姿に
出来上がっていた・・・古代人が「彼には自分の
前には模倣すべき人がなく、自分のあとにも自分
を模倣しうる人がなかった」と証言した・・・
アリストテレスによると、彼の言葉は運動と行為
をもつ唯一の言葉である。つまり、実質をもつ唯
一の言葉だというのである。
プルタルコスは・・「いつも違った姿を現わし、
新しい魅力の花を咲かせて、けっして読者を倦み
疲れさせない唯一の著者である」

「エセー」(34)

<最も偉大な男性について-2>
「もしもこれまでに知ったあらゆる男性の中で
誰を選ぶかと聞かれたら、三人の群を抜いて
すぐれた人物がいると思う。

・ホメロス
・アレクサンドロス大王
・エパメイノンダス

<アレクサンドロス大王>
「わずか三十三才で人間の住める土地をことごと
く勝利者として踏破したあの偉大さはどうだろう。
・・・正義、節制、寛容、信義、部下に対する愛
情、敗者に対する仁愛などの多くのすぐれた徳は
どうだろう。・・・一挙にたくさんのペルシャ人
の捕虜を殺したことや、約束を破ってまでインド
の兵士の一隊を殺したことや、コッサイオイ族を
子供にいたるまで殺したことなどは、ちょっと弁
解のできない激情に駆られた行為である。・・・
彼のことを、徳は自然から得、不徳は運命から得
ている、と言ったのは至言である。・・・
彼はいささか自慢好きで、自分の悪口を聞くのに
我慢がなさすぎたこと、、・・・奇跡的なまでに
まれな美しさと特徴をもった体格をしていたこと、
あれほどに若々しく、燃えるような紅顔の下に堂
々たる風采を保っていたこと、・・・知識、才能
にすぐれていたこと、偉大な栄光が純粋無垢に、
汚点と羨望を絶して長く続いたこと、彼の死後も
長く、その像を刻んだメダルを帯びる者にしあわ
せが来るということが宗教的信念になっていたこ
と、・・・今日でも、他のあらゆる歴史を軽蔑す
るマホメット教徒が彼の歴史だけは特別に信用し、
尊敬するということ、これらのことを全部ひとま
とめにして考える人ならば、私がカエサルさえも
さしおいてアレクサンドロスを選ぶことも当然だ
というであろう。カエサルこそは私にこの選択を
迷わせた唯一の人物である。
またカエサルの武勲には彼自身の力によるものが
より多く、アレクサンドロスの武勲には運命に負
うものがより多いことも否定できない。
この二人は多くの等しいものをもっていたが、あ
る点ではおそらくカエサルのほうが偉大であった。」

「エセー」(35)

<最も偉大な男性について-3>
「もしもこれまでに知ったあらゆる男性の中で
誰を選ぶかと聞かれたら、三人の群を抜いて
すぐれた人物がいると思う。

・ホメロス
・アレクサンドロス大王
・エパメイノンダス

<エパメイノンダス>
「栄光については、他の二人には及びもつかない。
・・・剛毅と勇気については、それも野心に刺激さ
れたものではなく、知恵と理性によってきわめて正
しい魂の中に植えつけられたものについては、想像
しうる限りのものをもっていた。・・・ギリシャ人
は異口同音に、彼らの中の第一人者という名誉を与
えた。・・・彼の知識と才能については、「彼ほど
多くを知り、彼ほど少なく話した人はない」という
古人の判断が今もそのままに残っている。・・・
品性と良心については、国政にたずさわるいかなる
人をも遠くしのいでいた。・・・この点では、いか
なる哲学者にも、いや、ソクラテスにさえもひけを
とらない。・・・公の仕事にも私の仕事にも、平時
にも戦時にも、偉大に輝かしく生きることにも死ぬ
ことにも、申し分ない。人間の人格や生活で私がこ
れほどの尊敬と愛情をこめて見つめるものはほかに
ない。・・・彼は、生涯の最大の満足はレウクトラ
の勝利で父母を喜ばせたことだと言った・・・・
彼は、たとえ自分の祖国の自由を回復するためであ
ろうと、理由を究めずに一人でも殺すことは許され
ないと考えていた。」

「エセー」(36)

<不徳の役目>
「吹きすさぶ嵐に大海が荒れるとき、陸の上から他人の
苦労を眺めるのは楽しいことだ。」(ルクレティウス)

「もしも、これら(上記)の性質の萌芽を人間から取り
除くならば、人間の根本的な性状をも破壊することにな
ろう。同様に、あらゆる国家にも、必要な職務ではある
が、下賤なばかりでなく不徳な職業がある。諸々の不徳
はそこに所を得て、われわれの社会を縫い合わせる役目
を果たしている。
ちょうど毒がわれわれの健康の維持に役立つようなもの
である。」

しかし、モンテーニュは、こうしたこと(不徳)は神経
の太い人にまかせなさい、といっている。
「われわれ弱虫はもっと容易な危険の少ない役目を引き
受けよう」

「エセー」(37)

<私(モンテーニュ)のやり方>
「私のやり方はあけっぴろげで、初めて会う人々の心に
もやすやすと取り入って、信用される。
率直と純粋な真実とはいかなる時世にも、その好機を得
て立派に通用する。それに、自分の利益を考えずに動く
人々の自由な物言いは、疑いも受けないし、嫌われもし
ない。・・・私の率直な物言いは、その強さの故に、私
を仮装の嫌疑から容易に解放してくれた。(私はどんな
に言いにくい、辛辣なことでもずけずけ言ってのけたか
ら、本人のいないところでもそれ以上にひどいことは言
えなかったろう。)・・・
私は、・・・憎悪や愛情の感情に駆られないし、侮辱や
恩義のために意志を動かされない。・・・正当で公正な
意図はすべて、もともと平静で穏健なものである。・・
私はどこでも昂然と頭を上げ、明るい顔と心で歩くこと
ができるのである。」

「エセー」(38)

<自分に不実なものは会社に対しても不実である>
「自分が欺瞞の道具としての役目を演じなければ
ならぬときでも、少なくとも良心だけは完全にし
ておきたい。
人から、「あの男はいざとなれば誰をも裏切るほ
ど自分に真心と忠義をつくしてくれる」と思われ
るようにはなりたくない。
自分自身に対して不実な者が主人に対して不実な
のは無理もないことである。」

「エセー」(39)

公務員が税金を自らの欲望のために使い込むという
事件、ニュースが毎日のように流れ、国民の怒りを
かっている。
しかし、公務員というものは、想像以上につらい
仕事なのだ。

モンテーニュは言う、公務に就かなかったのは私の
決心のおかげというよりも、むしろ好運のおかげで
ある、と。

<公務の常識>
「われわれの間では、潔白なだけでは何もできない。
偽装なしでは交渉もできないし、欺瞞なしでは取引
もできない。だから、公務につくことはどう見ても
私の得手ではない。」

<公務の悲劇>
「セイヤヌスの娘は処女であるため、ローマの裁判の
ある規定ではこれを死刑にすることができなかったの
で、法律を通すために、その首を絞める前に獄吏に
汚させた。この獄吏は手ばかりではなく、心までも
国家のために奴隷となった。」

「エセー」(40)

<結果と行動>
「ポンペイウスの一兵士は、敵側にいる自分の兄弟
をそれと知らずに殺したが、恥辱と悲嘆のあまりそ
の場で自害した。
ところが、・・・ある兵士は自分の兄弟を殺したこ
とで大将たちに褒美を要求した。(タキトゥス「
歴史」)」

<有能の人>
「知識のある人はすべてについて知識があるとは限ら
ない。だが、有能な人は、すべてについて有能である。
無知にかけてさえも有能である。」

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モンテーニュ41〜80

「エセー」(41)

「すべての事柄がすべての人にふさわしいとは限らない」
(プロペルティウス)

<結婚とは>
「人間社会の中でもっとも必要で、もっとも有利なもの
を選ぶとすれば、結婚であろう。
だが、聖人たちの教えは、その反対の決意をより正しい
ものとみなして、ちょうどわれわれがもっとも値打ちの
ない馬を種馬に当てているように、結婚から人間のもっと
も尊い職業を締め出している。」

「エセー」(42)

<私は・・最初の人間である>
「世の著者たちは自分を何かの特別な珍しいしるしに
よって人々に知らせる。私は、私の全存在によって、
文法家とか、詩人とか、法曹家としてでなく、
ミシェル・ド・モンテーニュとして、人々に自分を示
す最初の人間である。」

「私はときどき矛盾したことを言うらしい。だが、デ
マデスが言ったように、真実に反することはけっして
言わない。」

デマデス:BC4世紀のアテナイの大雄弁家

「エセー」(43)

<私の著作の取り柄>
「いかなる人も、自分で知りかつ理解している主題を、
私がここに企てた主題を論ずるよりも、うまくは論じ
なかったという点、そしてこのことにかけては、私は
現存する人の中でもっとも造詣が深いという点である。
第二に、いかなる人も、自分の扱う主題を私ほどに深
く掘り下げなかったし、その部分や関連を私以上に綿
密に調べもしなかったし、また、自分の仕事において
、自ら立てた目的に、私以上に正確に、完全に到達し
なかったという点である。」

「私はめったに後悔しない。私の良心は自分に満足し
ている。・・・私は問う者、無知なる者として語り、
その決定を、無条件に、単純に、一般の正しい考えに
任せる。私は決して教えない。語るだけである。」

「エセー」(44)

<名誉への近道>
「名誉に達するもっとも近い道は、名誉のためにする
ことを良心にためにすることであろう。」

「魂の偉大さは、偉大さの中ではなく、平凡さの中に
発揮される。」

<生まれつきの傾向は直し難い>
「邪悪な魂が何かの外部の刺激で善いことをすること
があるように、有徳な魂も、ときには悪いことをする
ことがある。」

「狭い檻の中に飼い馴らされて野生を忘れ、恐ろしい
形相を去って、人間に従うことに馴れた獣も、一度か
わいた口に数滴の血が入ると、たちまち狂暴に立ちか
えり、血を味わった喉をふくらませて、怒りに狂い、
おののく主人に飛びかかる。」
(ルカヌス「ファルサリア」4-237)

「エセー」(45)

<古今東西、変わらない嘆き>
「現代の人々に共通な真の罪業は、引退の生活さえも
腐敗と汚辱に満ちており、匡正(きょうせい)の観念
さえも曇っており、贖罪さえも罪過とほとんど同じく
らいに、病的で誤っていることである。
ある人々は生まれつきの愛着か長い間の習慣によって
、不徳にへばりついているために、そのことの醜さに
気がつかずにいる。」

「エセー」(46)

<小人閑居して不善をなす>
「閑居の不善は労働によって追い払うべきである」
(セネカ)

<神々の仕事ーアリストテレス>
「思索は、自己を力強く検討し行使することのできる
人にとっては、強力な、充実した勉強である。・・・
最も偉大な心の人はこれを自分の職業とする。<彼ら
にとって生きることは考えることだ>(キケロ)」

<男の会話>
「努力を要しない会話は、ほとんど私の興味を引かな
い。」

<知恵の基準>
「民衆の無知にとけ込めないような知恵は、すべて味
がない。」

「エセー」(47)

<ふさわしい、ということ>
「もっとも良い仕事というのはもっとも無理のない
仕事である。・・・「自分の能力に応じて」とは、
ソクラテスの好んで口にした文句であり、きわめて
内容のある言葉である。」

<女性にすすめる学問とは>
「よい生まれつきのご婦人方は、もしも私の言うこ
とを真に受けて下さるなら、自分に特有な、天性豊
かな美質を発揮するだけで満足すべきである。・・
彼女らの美しさは技巧の下に埋没し去っている。
<化粧箱から出てきたようにめかし込んで>これは
彼女らが自分を知らないからである。
この世に女ほど美しいものはない。・・・
彼女らが修辞学とか、占星術とか、論理学とか、そ
の他これに類した、彼女らの役にたちそうもない下
らぬしろものに没頭しているのを見ると、私は、こ
れをすすめた男達がこれを口実に彼女らを支配しよ
うとしているのではないかと心配になる。
・・・
だが、もしも、何事によらず、われわれ男性にひけ
を取ることが癪だというなら、そして、好奇心から、
書物を読んでみたいというなら、詩こそは彼女らの
要求にふさわしい楽しみである。
詩は彼女らとおなじく、浮気で、繊細で、おしゃれ
で、おしゃべりで、面白ずくめ、はでずくめの芸術
である。
また、歴史からもいろいろな利益を引き出せよう。
哲学では、実生活に役立つ部分から、われわれ男性
の気質や性格を判断し、男性の裏切りから身を守り、
彼女ら自身の軽率な欲望を規制し、気儘を抑制し、
人生の喜びを延ばし、召使いの気まぐれや夫の横暴
や年齢や皺の不幸やその他に柔和に堪えるように訓
練してくれる所説を学びとればよい。
学問のうちで、彼女らにふさわしいものとして私が
選ぶものは、せいぜい以上のようなものである。」

「エセー」(48)

<交際、友達について>
「われわれは自分の欲望を、もっとも安易で手近な
物事に向けて、そこにとどめなければならない。
・・・
私のおだやかな、あらゆる険しさや激しさを嫌う生
き方は、私を羨望や敵意から易々と免れさせてくれ
たと言えよう。
人から愛せられるとまでは言わないが、私以上に人
から憎まれる種をもたない者はけっしてなかったと
言えよう。
けれども、私の交際の冷たさが、私から多くの人々
の好意を奪い、別のもっと悪い意味にとられたのも
無理はない。
私は稀有の無上の友情を獲得し維持することにはき
わめて有能である。
自分の好みに合う交際には、非常に渇望してとびつ
くからそこに自分を現わし、貪るように突進する。
だから、自分から進んで行くところには、容易に自
分を結びつけ、よい印象を与えずにはおかない。
・・・
だが、普通の友情にはいくらかそっけなく冷たい。
私の進み方は、いっぱいに帆を張らないと自然でな
いからだ。・・・
「友情とは対(つい)の動物で、群をなす動物では
ない」
(プルタルコス倫理論集「友達の多いことについて」)」

「エセー」(49)

<社交好きな私が孤独を愛するわけ>
「私の本質は自分を外にあらわして皆と交わること
に向いている。・・・私が孤独を愛してこれを説く
のは、主として私の感情や思想を私自身に集中する
ためであり、私の歩みを抑制し制限するためではな
くて、欲望と心労を抑制し制限するためである。
外部のことで気をつかうことを避け、隷属と恩義に
縛られることを死ぬほどきらうからである。・・
孤独な場所に離れていることは、実を言うと、かえ
って私を外に向かって大きく拡げる。
私は孤独でいるときにかえって国家や世間の問題に
没頭する。
ルーブルの宮廷や群集の間にいると私は自分の殻の
中に閉じこもる。群集は私を私自身の中に押しもど
す。」

「エセー」(50)

<お付き合いしたい人>
「私が親密なお付き合いを願いたいと思う人々は、
正しく有能だと言われる人々である。
そういう人々を見ていると他の人々がいやになる。
・・・
この交際の目的は、ただ親密と友好と歓談だけで
ある。つまり、魂の修練で、それ以外に何の成果
も望まない。われわれの会話では話題は何であっ
てもよい。
重さや、深さがなくともかまわない。そこには常
に優雅さと適切さがある。すべてが円熟した、恒
常な判断にいろどられ、善意と率直と快活と友情
がまじっている。・・・
私は沈黙と微笑の中にさえ仲間の見分けがつく。
・・
ヒッポマコスが「すぐれた闘技士は路上を歩いて
いるところを見るだけでわかる」と言ったのは正
しい。」

「エセー」(51)

<どんな女も魅力的である>
「どんなに不器量に生まれついた女でも、自分を
きわめて魅力的だと思わない者はいない。
また、年が若いとか、笑い顔がいいとか、挙措動
作が美しいとか、どこかに、自慢するものをもた
ない女もいない。
・・・
実際、何もかも完全に美しい女がいないと同じよ
うに、何もかも完全に醜い女もいない。」

<女の打算は、男の裏切りへの対抗策>
「男から愛を誓われてすぐに真に受けないような
女はいない。ところで、今日のように、男たちの
裏切りが普通で当たり前になると、すでにわれわ
れが経験で知っているようなことが必然的に起こ
ってくる。・・・
つまり、プラトンの中のリュシアス(プラトン
「パイドロス」)の説くところに従って、男達の
真の愛情が少なければ少ないほど、利益と打算ず
くで、身を任せてもよい、と考えるのである。」

「エセー」(52)

<書物と私>
「私は書物を、守銭奴がその財産を享楽するよう
に享楽する。いつでも好きなときに使えることを
知っているからである。
私の心はこの所有権だけで満ち足りている。私は
平時にも戦時にも書物を持たずに旅行することは
ない。
だが、何日も、何ヶ月も読まずに過ごす。「いま
に読もう」とか、「明日」とか、「気が向いたら
」とか言っているうちに時が過ぎてゆく。だが、
べつに気にならない。実際、書物が私のそばにあ
って、私の好きなときに楽しみを与えてくれると
考えると、そして、書物が私の人生にどんなに救
いになるかを思い知ると、どれほどの安らぎとく
つろぎを覚えるかは言葉では言い尽くせない。
これこそはこの人生の旅に私が見出した最良の備
えである。
だから、知性のある人で、これをもたない人をた
いへん気の毒に思う。」

「エセー」(53)

<大きな運命は大きな隷属である>
「私の考えでは、自分の家に、本来の自分に立ち
帰れるところ、自分自身を大事にできるところ、
自分で隠れるところをもたない者は実にあわれである。
野心はその信奉者たちに立派な仕返しをしている。・・
<大きな運命は大きな隷属である>(セネカ「ポリュビ
オスへの慰め」)彼らにとっては、便所さえも隠れ場で
はない。・・・
だから、私は、けっして一人になれないことよりもむし
ろ常に一人でいることのほうが堪えやすいと思う。」

「エセー」(54)

<読書の欠点>
「私は若い頃には人に見せびらかすために勉強した。
その後は少し賢くなるために勉強した。いまは楽しみ
のために勉強している。けっして何かを獲得するため
ではない。・・・床や壁を飾ろうという空虚な金のか
かる考え方はずっと前に捨ててしまった。・・・
けれどもどんな楽しみも苦しみをともなわないものは
ない。
この読書の楽しみも他の楽しみと同じように、・・
それなりの不便をもち、しかもきわめて重大な不便を
もっている。つまり、精神は働くが、私が精神と同じ
ようにおろそかにしたことのない肉体が、その間活動
しないで、不活発に、元気がなくなることだ。
私にとってこれほど有害な、そして、このような老境
に向かいつつある年齢にあってこれほどさく避くべき
不節制はないと思う。」

「エセー」(55)

<決闘の心理–考えをそらすということ>
「激戦の最中に、武器を手にして死ぬ人は、死を味わ
ってはいない。死を感じも考えもせずに、戦闘の激し
さに心を奪われているのである。
私の知っているある貴族が、決闘の最中に転倒して、
自分でも敵から九回か十回、剣で突かれたように感じ、
並みいる人々も口々に、「魂の救いをお祈りしなさい」
と叫んだが、彼があとで私に語るところによると、そ
の声は耳には聞こえたが、そのために少しも動揺する
ことがなく、ただ、危地を脱して仕返しをすることし
か考えていなかったそうである。」

「エセー」(56)

<人間生活の機微>
「クセノフォンは花輪の冠を頭にのせて、犠牲を捧げて
いるときに、息子のグリュロスがマンティネアの戦で戦
死したという知らせを受け、思わずかっとしてその冠を
地面にたたきつけた。だが、続いてその死に方がきわめ
て勇敢だったと聞くと、それを拾い上げてふたたび頭に
のせた。
・・・
クセノフォンは、「同じ傷、同じ労苦も、大将には兵士
ほどにつらくない」と言った。
エパメイノンダスは、味方が勝ったと知らされて、いっそ
う喜んで死んでいった。<これこそもっとも大きな悲しみ
の慰めであり、罨法(広辞苑「あんぽう」:炎症または充
血などを除去するために、水・湯・薬などで患部を温めま
たは冷やす療法)である。>
その他、こういう事情がわれわれをとらえ、事柄そのもの
の考察からそらし、まぎらすのである。」

「エセー」(57)

<苦痛からの脱出法>
「つらい考えにとらえられたときは、それを征服するより
も変えるほうが近道だと思う。」

<悪い評判の回復法>
「アルキビアデスは世間の評判の向きを変えるために、
美しい飼い犬の耳と尻尾を切って町の広場へ追いやって、
民衆に話の種を与え、自分のほかの行いについて何も言
わせまいとした。」
(プルタルコス英雄伝「アルキビアデス篇」)

<つまらぬことがわれわれを翻弄する>
「つまらぬことがわれわれの気持ちをそらせ、変えさせ
る。なぜなら、つまらぬことがわれわれをとらえるから
である。
われわれは事物を全体として、そのものだけとして見な
い。われわれの心を打つのは、些細な上っ面の事情と姿
である。」

「エセー」(58)

幽霊の正体みたり枯れ尾花
(芭蕉)

<人間と夢想の関係>
「われわれ人間以外に、空虚に養われ支配されるものが
何かあるか、・・・
カンビュセスは弟がペルシャ王になるだろうという夢を
見たためにこれを殺した。・・・
メッセニアの王アリストデモスは愛犬たちのある鳴き声
から不吉な前兆を読み取って自殺した。
ミダス王も不快な夢に心を乱し、悲しんで自殺した。」

「エセー」(59)

「過ぎ去った生活を楽しめることは人生を二度生きるこ
とだ。」(マルティアリス)

<老人に告ぐ>
「プラトンは老人たちに、若者たちが運動や舞踊や遊戯
をしているところに出掛けていって、自分になくなった
肉体のしなやかさや美しさを他人の中に見て喜び、自分
の若い頃の美しさや愛らしさを思い出すように命じた」
(プラトン「法律」)

「エセー」(60)

<老年論>
「私は偉大な、豪勢な、豪奢な快楽よりも、むしろ
甘美で、容易な、手近の快楽を欲する。」

「青年には剣と、馬と、槍と、棍棒と、毬(まり)と、
水泳と、競走をもたせよ。われわれ老人には数ある遊戯
の中で、サイコロとカルタだけを残しておいてくれれば
よい。」(キケロ「老年論」)

「病める精神はいかなる苦痛にも堪えられない。」
(オイディウス「黒海便り」)

「ひびの入ったものを割るにはほんのわずかの力があれ
ば足りる。」
(同上)

「悲しみは諧謔でまぎらすべきである。」
(シドニウス・アポリナリス「書簡」)
注:諧謔(かいぎゃく):おもしろい気の利いた言葉。
  おどけ。しゃれ。滑稽。ユーモア

「私は快活で愛想のよい賢さは好きだが、いかめしい顔
つきはどれも信用しないから、謹厳で厳粛な生き方を敬
遠する。」

「暗い顔の悲しい傲慢さ。」
(ブカナン「洗礼者ヨハネ」)

「エセー」(61)

<気さくな人の魂は善い>
「私はプラトンが、人の気持ちの気さくか気むずかしい
かは、魂の善し悪しに大いに影響する、と言ったことに
心から賛成する。
ソクラテスはいつも同じ顔をしていた。ただし、晴れや
かでにこにこした顔で、老いたクラッススのように誰も
笑ったのを見たことがない顔ではなかった。徳は愉快な
楽しい特質である。」

「エセー」(62)

いまだに、「秘密」を守れますか?と聞く人がいる。

<秘密>
「秘密を守るためには、生まれつきそういう素質がなけ
ればならない。義務ではそうはなれない。
王侯方に使えるには、秘密を守るということのほかに、
さらに嘘つきでなければ十分ではない。」

「エセー」(63)

<悪口とは>
「ソクラテスは、あなたの悪口を言っている者があると
知らせた人に向かって、「私のことではない。彼らの言
っていることは私の中には一つもないから」と言った。
この私も、もし誰かにすぐれた水先案内人だとか、きわ
めて節制家だとか、あるいはきわめて純潔だとか誉めら
れたとしても、すこしもありがたいとは思わないだろう。
同じように、裏切り者とか、泥坊とか、酔払いとか呼ば
れても、少しも傷つけられたとは思わないだろう。
・・・
私は私自身をはらわたまで見て研究しているし、私自身
に属するものをよく知っている。」

「エセー」(64)

<恥ずかしがり屋の老人へ>
「恥かしがりは青年には飾りとなるが、老人には非難の
種となる。」
(アリストテレス「ニコマコス倫理学」)

<芸術に興味がない人は自分にも興味をもてない>
「あまりにもウェヌスを避けようとする者は、ウェヌス
を追いすぎる者と同じように失敗する。」
(プルタルコス倫理論集「哲学者はとくに君主と話し合
うべきことについて」)

注:ウェヌス (Venus 『魅力』の意) はローマ神話の女
神。本来は囲まれた菜園を司る神。
ギリシャ神話におけるアプロディテ、美と愛の女神。
日本語ではヴィーナス( ビーナス)。

「エセー」(65)

<恋愛結婚は正しい?>
「結婚は本人のためにするものではなく、それと同等に、
あるいはそれ以上に、子孫や家族のためにするものである。
・・・
だから私には、本人よりも第三者の手で、自分の判断に
よらずに他人の判断で結ばれる結婚の方法が好ましい。
・・・
アリストテレスは、妻には慎重に、真面目に触れなければ
ならぬ、あまりみだらにくすぐりすぎて、快楽で理性の埒
(らち:柵の事)を踏みはずさせてはいけない、と言って
いる。
・・・
私の見るところでは、美貌や愛欲によって結ばれた結婚ほ
ど早く紛争を起こして失敗するものはない。」

「よい結婚というものがあるとすれば、それは恋愛の同伴
と条件をこばみ、友愛の性質を真似ようとする。」

「エセー」(66)

<結婚の是非>
「ソクラテスは妻をめとるのとめとらないのでは、どちら
がいいかときかれて、「どちらにしても後悔するだろう」
と答えた。」
(ディオゲネス・ラエルティオス「ソクラテス篇」2-33)

「現代では結婚が単純な庶民の間でかえってうまくいって
いる。庶民の結婚は快楽や好奇心や無為にそれほど乱され
ないからである。
私のように、あらゆる種類の規範や義務をきらう放縦な気
質の人間は、結婚にはあまり向かない。」
「夫には主人のように仕え、裏切り者に対するように用心
せよ」(フランスのことわざ)

「エセー」(67)
<神様だって女房はこわい>
「女は、けっして結婚しようと思わない男にだって身を
任せることがある。ここに言うのは、女にとって、男の
財産がどうこう言うのでなく、人柄そのものがいやな場
合のことである。
恋人と結婚して後悔しなかった男はほとんどない。これ
は神様の世界でも同じことである。
ユピテルは最初に情を交わし、愛の喜びを味わった妻と、
いかに仲の悪い夫婦であったことか。
ことわざにも「籠の中にクソをすれば、あとで頭にのせ
ねばならぬ」というのがある。」

注:ユピテル(Jupiterローマ神話の神)
ヘレネス神話の、浮気で有名なゼウス。

「エセー」(68)

<女性には適わない愛の営み>
「ご婦人方が惜しみなく与える愛情は、結婚においては、
過剰となり、愛情と欲望の鉾先を鈍らせる。この不都合
を避けるために、リュクルゴスとプラトンがその法律の
中でどんなに苦心しているかをごらんなさい。
女性は世間に認められている生活の掟をこばんだとして
も、少しも悪いことはない。これは男性が女性の同意な
しにきめたものだからである。
彼女らとわれわれとの間に策謀や闘争があるのは自然で
ある。
・・・
われわれは、彼女らがわれわれと比較にならないほど、
愛の営みに有能で熱烈であることを知っている。
このことは、はじめ男で、あとから女になった昔のある
僧侶も、証言しているし(オイディウス「メタモルフォ
セス」)かって別々の時代に、この道の達人として有名
なローマのある皇帝(ティトゥス・イリウス・プロクル
ス)とある皇后(メッサリナ)自身の口からも語られて
いる。(この皇帝は一晩に、捕虜にしたサルマティアの
十人の処女の花を散らした。だが皇后のほうは、欲望と
嗜好のおもむくままに、相手を変えながら、実に一晩に
二十五回の攻撃に堪えた。」

「エセー」(69)

「女性は前世で放埒な男性だった」
(プラトン「ティマイオス」42)

<女は、すべてお見通し>
「ある日、私の耳は偶然に、彼女らの間に交わされる会
話を、誰にも怪しまれずに盗み聴きすることができた。
・・・
私はこうつぶやいた。「ああ、ああ。今になって、われ
われがアマディウスの文句やボッカッチョやアレチーノ
の物語を学んで利口ぶろうとするなんて、まったく無駄
な暇つぶしだ。
どんな文句、どんな実例、どんなやり方だって、彼女ら
がわれわれの書物よりもよく知っていないものはない。
これこそ女性の血管の中に生まれる教えなのだ。」

「エセー」(70)

「地上に住むすべてが、人間も、獣も、水に住む魚類も
、家畜も、色とりどりの鳥類も、恋の火に狂おしく突進
する。」(ウェルギリウス「農耕詩」)


「プラトンによると、神々はわれわれに、手に負えない
横暴な器官を与えたが、この器官は横暴な動物のように
強烈な欲望によってすべてを自己に服従させようとする。
同じように、女性の体内にも、ある強欲で貪婪な動物が
いて、適当な時期に食物を与えられないと、待たされる
ことにいらいらして、自分を抑え切れなくなり、その怒
りを全身に吹き込み、もろもろの管をふさぎ、呼吸をつ
まらせ、ありとあらゆる種類の病気を引き起こし、しま
いには、全身の渇望する果実を吸って、子宮の奥を豊か
にうるおし、種を播かないとおさまらないのだそうであ
る。」

「エセー」(71)

<寝取られた男たちの対応について>
「ルクルスも、カエサルも、ポンペイウスも、アントニ
ウスも、カトーも、その他の立派な人々も妻を寝取られ
た。そしてそれを知っても騒ぎ立てなかった。当時それ
を苦にして死んだのは、レピドゥスという愚か者だけで
ある。」
(プルタルコス英雄伝「ポンペイウス篇」)

<浮気に腹を立てる女>
「天の女王であるユノーすらも、夫の毎日の不行跡に腹
を立てる。」(カトゥルス)

「(嫉妬が)いったん心をとらえてしまうと、好意の元
であった同じ原因が恐ろしい憎悪の元となる。・・・
夫の徳、健康、長所、名声が妻の憎悪と憤怒に火をつけ
る。」

「エセー」(72)

<享楽・・・女の作法>
「スキュティアの女は、奴隷や、戦争で捕虜にした男を、
いっそう自由に、内密に享楽するために、男の目をえぐ
り取った。」(ヘロドトス)

<売春法第1号>
「ソロンは、ギリシャで、女性が生活の資を得るために
貞操を売ることを法律で許した最初の人だそうである。
(コルネリウス・アグリッパ「学問の空しさと不確かさ
について」63)
もっとも、ヘロドトスは、この習慣は、その前にも多く
の国家で認められていたと言っている」

「エセー」(73)

<女を拘束するなかれ>
「錠をかけ、女を閉じ込めよ。だが誰がその番人たちを
見張るか。女は抜け目がないから、まず番人たちから手
をつけるぞ。」
(ユウェナリス)

<疑惑解除、一つの方法>
「ある国民の間では、神官が結婚式の当日に花嫁の処女
を破る習慣があった。それによって花婿が初めての試み
に、はたして花嫁が処女のままで自分に嫁いできたか、
それとも自分以外の男の愛で汚されているかと考える
疑惑と好奇心を取り除こうとした。」
(ゴマラ「インド通史」)

「エセー」(74)

<嫉妬と頭>
「女性の本質は疑惑と、虚栄と、好奇心の中にとっぷりと
漬かっている・・・
女性から受ける害のうちで、嫉妬ほどひどいものはないと
思う。これは女性の性質の中でもっとも危険なもので、
ちょうど女性の身体の諸部分のうちでは頭がそうであるの
に似ている。
ピッタコスは、「人にはそれぞれ悩みがある。私のは妻の
悪い頭だ。これさえなければあらゆる点で仕合せだと思う
のだが」と言った。(プルタルコス倫理論集「爽快な気分
について」)」

「エセー」(75)

<自殺請願許可>
「マルセーユの上院が、妻のヒステリーから免れるために
自殺の許可を申し出た男の請願を認めたのはもっともであ
る。(カスティリオネ「廷臣論」)
なぜなら、この病気は自分と一緒にすべてをさらわなけれ
ばなくならない病気であり、また、二つともきわめてむず
かしい方法であるが、逃げるか、我慢するか以外に、妥協
の方法がないからである。
「よい結婚は盲の妻と聾(つんぼ)の夫の間に成り立つ」
と言った人はこの間の事情をよく心得ていた人だと思う。」

「エセー」(76)

<バカな男もナメたらアカン>
「彼女(メッサリナ)は初めのうちは、よくあるように、
夫に隠れて不貞を働いた。だが、夫が間抜けなために、恋
の遊びをあまりにもやすやすと運ぶことができるので、こ
れまでのやり方が急につまらなくなった。そこで公然と恋
をし、恋人たちのいることを認め、皆の見ている前で彼ら
をもてなし、ちやほやした。
彼女は夫に感づいてくれればいいと願ったが、夫のバカは
こんなにされても目が覚めなかった。そして、まるで彼女
の不貞を許し、認めているかのように、あまりにも鷹揚だ
ったので、彼女の快楽は、だらけて味のないものになった。
そこでどうしたかというと、まだ健康でぴんぴんしている
皇帝の妃でありながら、世界の舞台であるローマで、白昼、
堂々と盛大な式典をあげて、久しい前からむつみ合ってい
たシリウスと、夫の皇帝が市外に出て留守のときに結婚し
たのである。」
(タキトゥス「年代記」)
「けれども彼女が出会った最初の困難は最後のものとな
った。夫のバカが突然目を覚ましたからである。・・・
皇帝は彼女を殺し、彼女と情を通じた多くの男を殺した。」

「エセー」(77)

<言葉とは>
「言葉の品位を高め、内容を増すものは生気溌剌たる
想像である。<雄弁を作るものは心である>われわれ
現代人は言葉を判断と呼び、美しい言葉を充実した思
想と呼ぶ。・・・
プルタルコスは、自分は事物によってラテン語を知っ
た、と言っているが、・・意味が言葉を照らし、生み
出すのである。」

「才気ある人々が国語を駆使すると、国語は一段と価
値を増す。国語を新しくするからではなく、伸ばした
り曲げたりして一段と力強い、いろいろな用い方をし
て充実させるからである。
少しも新しい言葉を加えるわけではなく、ただ、これ
までの言葉を、意味と用法の重さと深さを増して豊富
に使い分け、いままでにない働きを、しかも、慎重に、
巧妙に教えるだけである。」

「エセー」(78)

<神様仏様>
「私は私の流儀にしたがって誓うときには、ただ、
「神にかけて」とだけ誓う。これはあらゆる誓いの中
でもっとも単純直截な誓いである。
ソクラテスは「犬にかけて」、ゼノンはいまでもイタ
リア人が使っている間投詞の「山羊にかけて」、ピュ
タゴラスは「水と空気にかけて」と誓ったそうである。」

余談:
「ゼノンは、生涯に一度しか女と交渉をもたなかったそ
うである。その交渉も、礼儀のために、つまり、あまり
頑固に女を軽蔑すると見られたくないためにしたのだそ
うである。」
(ディオゲネス・ラエルティオス「ゼノン篇」7-13)

「エセー」(79)

<欲望への単純な空想>
「昔、飲み込む食物をもっと長く味わうために、喉が
鶴のように長ければよいと望んだ人があった。」
(アリストテレス「ニコマコス倫理学」3-10)

持続された空想は現実になる。いまだに鶴のような長い
喉をもたない人間にとって、食の味わいにたいする欲望
は、第一意ではなかった、と思わざるを得ない。

<貧乏人の一つの習慣>
「焼肉の匂いをかぎながら、自分のパンを出して食べた
という話がある。」
(ラブレー「第三の書」38)

「エセー」(80)

<アレクサンダーよ、あたいと寝ないか?>
アマゾン族の女王タレストリスはアレクサンドロスを
訪ねてこう言った。
「私はあなたの勝利と武勇の評判を聞いて、あなたに
お目にかかり、あなたの遠征のお手伝いに私の資力と
兵力を捧げにやって参りました。
いま、あなたのかくも美しく、若く、逞しいお姿を拝
見いたしましたが、この私も、あらゆる点で完全であ
りますので、私と臥所(ふしど)を共になされてはい
かがですか。
世界中でもっとも勇ましい女性と、今生きているうち
でもっとも勇ましい男性との間に将来、偉大にして稀
有な何ものかが生まれ出ますように」

アレクサンドロスは、その地に十三日間逗留して、そ
の間、勇ましい女王のために出来る限り楽しく宴を張
った。(ディオドルス・シクルス17-16)

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モンテーニュ81〜126

「エセー」(81)

<危険は逃げるものを追いかける>
アルキビアデスが語る戦友、ソクラテスの退却の様子。
「いつもと少しも変わらぬ悠々たる足取りで歩きなが
ら、しっかりと落ち着いた視線で自分の周囲の状勢を
的確に判断し、ときには味方を、ときには敵を見廻し、
味方に対しては激励し、敵に対しては自分の命を奪お
うとする者にこの血と命をしこたま高く売りつけてや
るぞという気構えを見せていることに気がついた。
二人(ソクラテスとラケス)はこうして逃げおおせた。
実際、敵はこういう人には進んで攻撃をしかけずに、
かえって恐れる人を追いかけるものである。」

「われわれが常に経験するように、危険からしゃにむ
に逃れようとすること以上に、われわれを危険におと
すものはない」

「一般に恐れることが少なければ危険に会うことも
少ない」

「エセー」(82)

<高貴な身分の不便なことについて>
「私も人並みな願いをもっているし、その願いに人
並みな自由と無分別を許している。けれども、帝国
や、王位や、人を支配する雲の上の高位を願ったこ
とはただの一度もない。
そんな方向をねらうにはあまりにも自分を愛している。
私は、自分の成長を考えるときはずっと低いところ
をねらう。
剛毅においても、思慮においても、健康においても、
美貌においても、さらに富においても、控え目な、
おずおずした、私自身のためだけの成長を考える。」

「あらゆるものを何の苦もなく、やすやすと自分の
下に屈服させることができるということは、あらゆ
る種類の快楽の敵である。」

「エセー」(83)

<いかに自分を語るか>
「自分を語ればかならず損をする。自己に対する非難は
常に信用され、称賛は常に信用されないからである。」

<愚かなる者の大いなる壁>
「賢い者が愚かな者から学ぶことのほうが、愚かな者が
賢い者から学ぶことよりも多い」(大カトー)

<ソクラテスに習って>
「精神を鍛錬するもっとも有効で自然な方法は、私の考え
では、話し合うことであると思う。・・・
したがって、一致ということは話し合いにはまったく退屈
な要素である。」

<怒りはニーチェが言うように、幼稚の証である>
「私は人から反駁されると、注意は覚まされるが怒りは覚
まされない。・・・私は、真理をどんな人の手の中に見出
しても、これを喜び迎える。・・・私は、・・誉められよ
うと、けなされようと、平気である。私の思想そのものが
自分に矛盾し、自分を非難するのが始終なのだから、他人
がそれをしたところでまったく同じことである。」

「エセー」(84)

<バカは伝染する>
「われわれの精神は力強い立派に整った精神との交流に
よって強められるが、その反対に、低級で病的な精神と
の絶えざる交際と往来によって、どれだけ損なわれ、低
下するかわからない。」

<バカと議論してはならない>
「バカを相手に本気で議論することはできない。こうい
う無茶な先生の手にかかっては、私の判断ばかりでなく
良心までが駄目になる。・・・
だからプラトンは、その国家において、無能な素質の悪
い人々に議論を禁じている。(プラトン「国家」第7巻)」

「エセー」(85)

<議論の風景は古今東西かわらない>
「ある者は相手を攻撃さえすれば、どんなに自分の
バカをみせようとかまわない。ある者は、自分の言
葉にいちいち勿体をつけ、それが何か立派な理論の
ようなつもりでいる。ある者は、声の大きさと肺活
量の強さだけを振り回す。あっちには自分に矛盾し
た結論を出す者がいるかと思うと、こっちには、無
益な前置きや脇道の理屈で耳をがんがんさせる者が
いる。ある者は、徹頭徹尾、悪口だけで身を固め、
筋の通らぬ喧嘩をふっかけ、鋭く追いつめて来る相
手の機知と渡り合うことから逃れようとする。」

彼らはわれわれよりも学問はあるが無能である。
学問は鈍感な魂に出会うと、不消化の塊となって、
これをますます鈍重にして窒息させる。

「エセー」(86)

<問題は、誰がそれを言ったかである>
「私は毎日、いろいろの著者の著作を読みふけって
いるが、彼らの知識は問題にしない。内容ではなく、
話し方を求めるからである。私が誰か有名な精神の
持ち主との交際を求めるのは、彼からものを教わる
ためではなく、彼を知るためであるのと同じ事である。
真理にかなったことを言うことは誰にもできる。だが、
秩序正しく、賢明に、上手に言うことは、わずかの人
にしかできない。
だから、無知からくる誤謬は私を怒らせない。私を怒
らせるのは、へまさ加減である。」

「エセー」(87)

<先生方の悲劇>
「学問は強い天性の中にしか宿ることができない。」

「学問は、入れ物が悪いと、無益で有害なようである。」

皆さんが、バカにする”先生”がたも、よい百姓、よい
商人、よい職人になれたかもしれない人達なのである。
しかし、彼らの天性は学問に押しつぶされるほどに弱かっ
た。・・・残念!

「人真似をする猿が、いたずらっ子に立派な絹の着物を
着せられて、尻と背をむき出しにして、会食者を大笑い
させたように。」
(クラウディアヌス「エウトロピウスを駁する詩」)

「エセー」(88)

<成功の条件>
「都市においてもっとも強力な者、もっともよくその
仕事を果たす者は誰かを考えてみるならば、それは常
にもっとも無能な人々であることがわかるだろう。
ときには、女や子供や愚かな者が、もっとも有能な君
主と肩を並べて大国を支配したこともある。
トゥキュディデスも、そのことでは愚鈍な者が利口な
者よりも成功することが多いと言っている。
(トゥキュディデス「歴史」3-57)」

「エセー」(89)

<報いる、ということ>
「主君に対しては、主君があとで正当な報いを見出せ
ないほどの過度の奉仕をしないように注意しなければ
ならない。」
(フィリップ・ド・コミーヌ)

「善行は、報いうると思われる限り、快く受け入れら
れる。その限度を越すと、感謝の代わりに憎悪が返っ
てくる。」
(タキトゥス「年代記」)

「報いないことを恥じと思う人は、報いるべき人のあ
ることを欲しない。」
(セネカ「書簡」)

「人に報いることができないと思う者は、決して人の
友となることはできない。」
(キケロ「執政官立候補のための演説」)

「エセー」(90)

以下のような文章に出会うと、無性に「歴史」を読ん
でみたいと思うものである。

<「歴史」のすすめ>
「私は最近、タキトゥスの「歴史」を一気に読み通し
た(こんなことはめったにないことだ。・・・)
・・・
私はタキトゥスほど公の記録の中に、個人の生き方や
傾向に関する考察をまぜている著者はないと思う。
・・・
タキトゥスの「歴史」は、歴史の叙述というよりはむ
しろ判断であって、物語よりも教訓が多い。読む書物
ではなくて、研究し学ぶための書物である。数多くの
格言に満ちあふれているから、中には間違ったのも正
しいのもある。
これは道徳論、政治論の苗床(なえどこ)であり、世
を指導すべき地位にある人々の備えとも飾りともなる。
彼の叙述はつねに堅実で強力な理論に支えられ、警抜
精妙で、当時の凝った文体にならっている。・・・
彼の書きぶりはセネカにかなり似ている。私には、
タキトゥスは豊富でセネカは鋭敏であるように思われ
る。タキトゥスの著作は今日のわが国のような混乱し
た病的な国家にはいっそう役に立つ。」

「エセー」(91)

<生活の心得>
「常に支出を切りつめて、貧乏を迎え撃て。このことが、
そして貧乏に強いられる前に自分の生活を改めることが、
私のつねづね心がけていることである。・・・
<富み度合いは収入の多寡ではなく、暮らし方によって
計られる。>(キケロ「逆説」6-3)」

「私は強力で学識ある思想よりも、むしろ容易で、生活
に適した思想をもちたいと思う。
思想は有益で快適であれば、十分に真実で健全なのであ
る。」

「私はあくせくせずにこの世を楽しみ、まあまあという
程度の生活ができ、自分にも他人にも厄介にならない生
活ができさえすれば、それで満足である。」

「エセー」(92)

<負債としての恩義と感謝>
「私はなんとかして恩義をまぬかれ、その重荷を下ろし
たいと思っているので、自然か、あるいは偶然によって、
何かの友情の義務を負っていた人々から、忘恩や、侮辱
や、無礼を働かれて、幸いだと思ったことがしばしばあ
る。・・・
<馬車の疾走を抑えるように、友情の衝動を抑えるのは
賢者のすることである。>(キケロ「友情論」17)・・
恩義と感謝(これは微妙な、大いに有益な知識だが)に
ついて私の理解しうる限りでは、これまでの私よりも自
由で、負債のない者は一人もない。私のの負債といえば、
万人共通の、自然からの負債だけである。それ以外の負
債では、私以上にきれいに負債をすましている者はない。」

「私は、約束を守ることにはやかましすぎるほど几帳面
である。」

「エセー」(93)

<自由への道>
「与えるということは野心と優越の特質であるように、
受けるということは屈服の特質である。」

「誰でもかまわずなれなれしく利用して恩義を受ける人
々を見かけるが、もし彼らが賢者のように、この恩義の
負担がどんなに重いものであるかをよくよく考えたら、
そうはしないだろうと思う。」

「私はどんなに些細な場合にも、重大な場合にも、他人
の好意にすがる前に、できるだけそうしないですませよ
うとつとめる。・・・
私は、人に与えようとつとめるよりも、人から受けるこ
とを避けて来た。」

「エセー」(94)

<家族に見守られてなんか死にたくない>
「死はどこにおいても、私には同じである。だが、もしも
選べるものなら、床の中よりも馬の上で、家の外で、家族
の者たちから離れたところで死にたい。
友人たちに別れを告げるのは、慰めよりもむしろ胸をかき
むしられる思いがする。」

<姥捨て山>
「長い余生をだらだらと引きずって生きながらえているよ
うな人は、自分のみじめさに、多くの家族の者をまき込も
うと願うべきではあるまい。
だから、インドのある地方では、このような不幸におちい
りそうな人を殺すのを正しいと考えていたし、他の地方で
は、そういう人を一人ぼっちに打ち捨てて自分の力で生き
のびさせた。(ヘロドトス3-99)」

「エセー」(95)

<日本的な感性>
「私は自分が求める旅宿の快適さの中に、豪華さとか
広大さを考えない。そんなものはかえって嫌いである。
だが、ある簡素な清潔さは必要で、これはあまり技巧
をこらさないところにあることが多く、自然もこれを
いかにも自然らしい風趣で引き立ててくれる。」

<千差万別だからおもしろい>
「私は常に過剰を余計だと思うし、ぜいたくや豊富の
中にさえ窮屈を感じる。・・・
私は何にでも順応できる体質と、世界の誰とも共通な
好みをもっている。各国相互の間の風習の違いは、そ
の千差万別なることによって私を喜ばすだけである。」

「エセー」(96)

<人間はこんなゆき方をする>
「裁判官はたったいまある間男を処刑する判決文を
書いたばかりのその同じ紙から一片をくすねて同僚
の妻へ恋文を書く。」

<法律とは>
「アンティステネスは、賢者には、法律を無視して
恋愛することも、自分勝手に適当と思うことをする
ことも許した。
なぜなら、賢者のほうが法律よりもすぐれた意見を
もち、徳についてよりよく知っているからである。
彼の弟子のディオゲネスは、「混乱には理性で、運
命には自信で、法律には自然で立ち向かえ」と言った。」

「エセー」(97)

<娼婦ライス>
「娼婦のライスはこう言っていた。「あの方々はどんな
書物を書き、どんな知恵をもち、どんな哲学をお話しに
なるかは存じませんが、他の人々と変わりなくしばしば
私の門をたたきます」と。」
(ゲヴァラ「書簡集」1-263)

<宴会の心得>
「おまえが許す範囲内で羽目をはずして満足する者は一
人もない。」(ユウェナリス)

「エセー」(98)

<政治の基礎知識>
「政治に関する徳は、人間の弱さに順応し合致するために
、いろんな襞(ひだ)と角度と屈折のある、混ざりものの、
技巧をこらした徳であって、まっすぐな、純粋な、不変な
、清浄潔白な徳ではない。

純粋なままでいたい者は宮廷を去れ。
(ルカヌス「ファルサリア」))」

「国政にたずさわって汚れから免れている人は、奇蹟的に
免れているのだ。」(プラトン「国家」492e-493a)

「エセー」(99)

<名選手必ずしも名監督にあらず>
「自分を立派に導くことができても、他人を導くことが
できない人もいる。・・・
おそらく、一つのことができるということは、むしろ、
それ以外のことは下手にしかできないということの証拠
にほかならない。」

<人に適職あり>
「私は低い精神が高い物事に適しないと同じように、高
い精神は低い物事に適しないと思っている。
ソクラテスが、自分の部族の投票を数えて民会に報告す
ることができなかったために、アテナイ市民の物笑いの
種になったというのは本当だろうか。
(プラトン「ゴルギアス」474a)」

「エセー」(100)

<謙信もビックリ>
「アゲシラオスはかって戦争をしたことのある隣国の王が
領土内を通過させてほしいと申し入れて来たとき、その願
いを容れて、ペロポネソスを通ることを許した。
そしてこの王を意のままにできたのに、監禁も毒殺もしな
いばかりか、鄭重にもてなして、少しも害を与えなかった。
・・・
スパルタ人の純粋はフランスのそれとは似ても似つかぬも
のなのである。」

「優秀で清浄な人がいたら、これは怪物だ。」
(ユウェナリス13-64)

「エセー」(101)

<バカの解釈>
「いっそうばかにならないためには少しばかにならなければ
ならない。」

<いい加減は、無駄であること>
「どんなに有益なものでも、いい加減にしたのでは有益でな
くなる。」(セネカ「書簡」)

<自分の幸福とは>
「少しも他人のために生きない人は、ほとんど自分のために
も生きない人である。」

<売られた喧嘩も相手による>
「激情はすべてを台無しにする。」
(スタティウス「テーバイス」)

「エセー」(102)

<良い仕事をするために>
「そこに自分の判断と技巧だけを用いる人のほうが(熱烈な
欲望に駆られる人よりも)いっそう愉快に事を運び、状況に
応じて、自由自在に、偽装し、譲歩し、延期する。
標的をはずしても、苦しみも悲しみもせずに、すぐに立ち直
って新しい企てに取りかかり、いつも手綱を手に持って歩い
てゆく。だが、あの激しい、暴君のような意図に酔う人は、
かならず無謀と不正におちいる。
激烈な欲望に我を忘れるからである。これこそ無分別な行動
であって、よほど運がよくなければ、何の効果も生み出さな
い。
哲学はわれわれに、受けた侮辱を罰するときには、怒りを取
り除けと命じている。(セネカ「怒りについて」)」

「エセー」(103)

<いらないもの>
「ソクラテスは町の中を多くの富や宝石や高価な調度類が
豪華な行列を作って運ばれてゆくのを見て「私はずいぶん
多くのものを欲しがらないものだな」と言った。」
(キケロ「トゥスクルム論議」5-32)

<欲望の幾何学>
「われわれは欲望と所有を拡げれば拡げるほど、運命と災
禍の打撃にさらされる。
われわれの欲望の競走場は、われわれにもっとも身近な安
楽の狭い場所に制限されなければならない。そしてさらに、
その走路は別のところで終点になるような一直線のもので
はなく、円形で、その両端が狭い円周をえがいたあとに、
われわれ自身の中でふたたび合わさって終わるものでなけ
ればならない。
このような回帰、つまり、近い確実な回帰にない行為は、
吝嗇家や野心家などが直線上をまっしぐらに走る行為と同
じく、間違った、病的な行為である。」

「エセー」(104)

こんな簡単なこと、と思うかもしれないが、是々非々を
言える人は殆どいない。まず、マスコミは全滅である。
過ちを一つも犯さない人はいない。しかし、人は一つの
過ちを犯した人を抹殺する暴挙にでるのである。

<是々非々>
「泥棒でも美しい脚をもっていると言ってはいけないだ
ろうか。娼婦だからと言って、息が臭くなければならな
いだろうか。・・・人々は、ある弁護士を憎み出すと、
その翌日はその弁舌までを下手だと言う。・・・
私なら、こう言いきることができる。「あの人のあの行
ないは悪いが、この行ないは立派だ」と。」

「エセー」(105)

<賢人会議のある風景>
「われわれ人間のもっとも大きな混乱も、その動機と
原因はばかげたものである。・・・
わが国のもっとも賢明な人々が、仰々しい様子でたく
さんの公費を使い、条約や協定を取りきめるために集
まりながら、それの本当の決定は貴婦人方の私室のお
しゃべりや、どこかの名もない一婦人の気まぐれで、
決定的に決まるのを見た。一つのりんごをきっかけに
ギリシャとアジアを戦火と流血の巷と化した詩人たち
は、よくこの間の事情をわきまえていた。
(注:パリスのりんごがトロヤ戦争の原因になったこ
とを指す)」

「エセー」(106)

<ソクラテス>
「(ソクラテスは)高級な精神や豊富な精神を示した
わけでなく、ただ健全な精神を示しただけであるが、
しかし、そこには活気にあふれた純粋な健康さがある。
こういう平凡で自然な手段と普通のありふれた思想に
よって、興奮も発奮もせずに、もっとも正常で、しか
もこれまでにない崇高で力強い信念と行為と道徳を打
ち立てたのである。
天上でむなしく時を費していた人間の知恵を取り戻し
て、もっとも正当な、もっとも骨の折れる、もっとも
有益な働き場所である人間界に返してやったのはこの
人である。」

「エセー」(107)

<学問の弱点>
「学問は、しっかりした目で見つめると、人間のほかの
幸福と同じように、本来のむなしさと弱点を多くもって
いるし、高くつくものなのである。・・・
われわれが安穏に生きるためにはほとんど学問を必要と
しない。
<健全な精神を作るには学問はあまり必要ではない>
(セネカ「書簡」)」

<剛毅と忍耐>
「アリストテレスもカトーも知らず、模範も教訓も知ら
ずにいるあわれな民衆を見よう。だが、自然は、彼らの
間から毎日、われわれが学校であんなに一生懸命に学ん
でいるものよりもはるかに純粋で、はるかに力強い剛毅
と忍耐の実例を見せている。」

「エセー」(108)

<健康な人ほど重い病気になる理屈>
「実際、健康な肉体ほど重い病気にかかりやすいもので
ある。重い病気でなければこれを負かすことができない
からである。」

この理屈で、いえば楽天家ほど自殺をしやすい?

<平常心>
「もしもわれわれが着実に平静に生きることを知ったと
すれば、同じように死ぬことも知るであろう。」

「私は、近所の百姓たちが、どんな態度と確信をもって
最後の時を過ごしたらよいかなどと考え込むのを一度も
見たことがない。」

「エセー」(109)

<愚鈍学派設立の主旨>
「俗衆は愚鈍で理解力を欠くために、目前の不幸には
あんなにも辛棒強く、将来の災厄にはあんなにもとん
と無頓着なのではないだろうか。
また、俗衆の魂は皮が厚くて鈍いために、突き通すこ
とも動かすこともできないのではないだろうか。
ああ、神よ、もしもそうだとすれば、これからは、愚
鈍を教える学派を守り立ててゆこうではないか。
これこそ学問がわれわれに約束する窮極の果実である。」

モンテーニュがもし、「禅」というものが理解できたと
すれば、発狂するほどに歓喜したにちがいない。

「エセー」(110)

<ソクラテスの弁明ー死刑に服する言葉>
「私は、自分が死とつき合ったことも知り合ったことも
ないし、死を経験して私に教えてくれるような人にも会
ったことがないことを知っている。
死を恐れる人々はあらかじめ、死を知っていなければな
らない。だが私は、死がどんなものであるかも、来世に
どんなことが起こるかもしらない。おそらく死はよくも
悪くもないものだろう。あるいは望ましいものかもしれ
ない。・・・・
正しい人は、生きても死んでも少しも神々を恐れる必要
がない。」(プラトン「ソクラテスの弁明」)

「エセー」(111)

<ソクラテスの死>
「自分の死をこれほど無頓着に恬淡として迎えたことは、
後世に、彼の死をますます尊敬に値するものとした。
・・・
アテナイの市民は彼の死刑の原因を作った人々を極度に
忌み嫌って、追放された人々のように避け、彼らの手に
触れたものをことごとく不浄のものとし、浴場では誰一
人として沐浴を共にせず、挨拶も、近づきもしなかった
ために、彼らはとうとう皆の憎悪に耐えかねて、自ら首
をくくったからである。」
(プルタルコス倫理論集「羨みと憎しみについて」)

「エセー」(112)

美貌、ソクラテスはそれを「短い支配」といい、プラト
ンは「自然の特権」と呼んだ。
プラトンは、人生の幸福を健康、美貌、富の順に並べた。

<20人程度の覆面の武士に襲われたモンテーニュが助か
った訳>
「彼らの中のひときわ目立った者が覆面を脱いで、名前
を名乗り、何度も繰り返して、私が釈放されたのは、私
の顔つきと私の物言いが率直で毅然としていたために、
このような不幸に会うにはふさわしくないお方だという
印象を与えたからだと言った。」

<ソクラテスの顔>
「あらゆる偉大な特質において完全な模範であったソク
ラテスが、人々の言うように、うつくしい魂に似合わな
いあんなにも醜い肉体を持ち合わせたというのは、私に
は残念なことである。」

<ソクラテスの自戒>
「もしも教育によって心を矯正しなかったら私(ソクラ
テス)の顔の醜さはそのまま心の醜さを表わしたことだ
ろう。」
(キケロ「トゥスクルム論議」1-33)

「エセー」(113)

<無常というもの>
「小川の流れは、水の絶えることがなく、次々に、列を
なし、追いつ追われつ、永遠に流れて行く。あの水はこ
の水に押され、この水は別の水に追い越される。
常に水は水の中を流れてゆく。小川は常に同じでも、流
れる水は常に別の水である。」
(「ラ・ボエシ著作集」254-55)
参考:
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しく
とゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またか
くの如し。」(「方丈記」鴨長明)

「エセー」(114)

<自分の無知に気づくためにはある程度の知識が必要>
「知っている者はたずねる必要がない。なぜなら、すで
に知っているからだ。また、知らない者もたずねる必要
がない。なぜなら、たずねるためには何についてたずね
るかを知らなければならないからだ。」
(プラトン「メノン」80E)

「私の修業の成果は、学ぶべきことが無限にあると悟っ
たこと以外にはない。」

「自分の無力を思い知ったおかげで、私は謙虚に向かう
傾向と、命じられた信念には服従し、自説に対しては常
に変わらぬ冷静と節度を保とうとする傾向を身につけた
し、また、規律と真理の大敵であり、あくまでも自己を
過信する、あのうるさい喧嘩腰の傲慢に対する嫌悪を身
につけた。」

「エセー」(115)

<知恵と好意と大胆>
「自分に対する率直な判断を聞くにはきわめて強い耳を
もたねばならない。また、その言葉を聞いて気を悪くせ
ずにいられる人はほとんどいないから、これをあえてわ
れわれに試みようという人は、よほどの友情を示す人で
ある。・・・
プラトンは他人の魂を吟味しようとする人に、知恵と好
意と大胆の三つの特質を要求している。(プラトン「
ゴルギアス」)」

「エセー」(116)

<習慣>
われわれをつくるものは習慣である。モンテーニュはあ
るとき、乞食の子供を救ったことがあった。しかし、ま
もなく、子供は脱走して乞食に戻った。「乞食たちも、
金持ちと同じように、それなりの豪奢と快楽をもってい
る。」

<規則>
「規則と規律ずくめで引き回される生活ほどばかげた、
弱いものはない。

この人はごく近くへ行こうと思うときも、暦法の書物で
適当な時間を調べる。目の角(すみ)がむずむずすると
きも、星占いの書物で確かめてから目薬をさす。
(ユウェナリス)」

「エセー」(117)

<極端のすすめー紳士とは>
「私の言うことを真に受けるなら、ときどきは極端に
走るがよい。さもないと、ちょっとした道楽にも身を
滅ぼし、人とのつきあいにも扱いにくい不快な人間に
なる。
紳士たる者にもっとも不似合な生き方は、やかましす
ぎること、ある特別な生き方に束縛されることである。
生き方は、柔軟さがないと特殊なものとなる。」

「武人は、フィロポイメンが言うように、あらゆる種
類の変わった不規則な生活に自分を鍛えなければなら
ない。」
(プルタルコス英雄伝「フィロポイメン篇」)

「エセー」(118)

<モンテーニュの声>
「私の声は高くて強い。・・・
声には教えるための声、おもねるための声、あるいは
叱るための声がある。私の声は相手に達するばかりで
なく、相手を打ち、相手を突き刺すようであってほし
いと思う。
私が召し使いを、鋭く辛辣な調子で叱ったときに、
「旦那様、もっと静かにおっしゃってください。十分
に聞こえますから」などと言われたら結構なことだろ
う。」

「エセー」(119)

<夢を見ない人>
「歴史家たちによると、アトランティス島の人々は
けっして夢をみなかったし、死んだ動物の肉を食わ
なかったそうだ。」
(ヘロドトス4-184,プリニウス「博物誌」5-8)

「プラトンは・・夢から将来への教訓を引き出すこ
とが知恵の務めだと言った。」
(プラトン「ティマイオス」71E)

「エセー」(120)

<モンテーニュは美食家?>
「私は、食物はすべて可能な限り、あまり焼かない
ものが好きだし、たいていのものは、匂いが変わる
くらいまで古くなったものが好きだ。・・・魚でさ
えも、新しすぎ、肉がしまりすぎて困ることがある。
これは歯が弱いせいではない。歯はいつもすばらし
いほどよかったが、この頃、年のせいか悪くなり始
めた。私は子供の頃から、朝と食事の前後に
で歯をこする癖がある。」

「私はたいてい葡萄酒を水で半分に、ときには三分
の一に割って飲む。」

「エセー」(121)

<寿命と自然>
「古代の人だったソロンは人間の最も長い寿命を
七十歳としている。(ヘロドトス(1-32)・・・
自然の流れに逆らうものはすべて不快かもしれない
が、自然に従うものはすべて常に快適なはずである。
<自然に従って起こるものはすべて善の中に数えら
れるべきだ。>(キケロ「老年論」19)」

「エセー」(122)

<私は風である>
「われわれはすべてこれ風ではないか。そしてその
風さえも、われわれよりも賢明に、音をたてて動き
廻ることを好み、自分の仕事に満足して、自分の性
質でない安定や堅実を望もうとしない。」

<大きな運命なんて必要ない>
「「私だって重大な仕事をやらされたら、真価をみ
せてやれたのに。」—あなたは自分の生活を考え、
それを導くことが出来たか。それなら、もっと立派
な仕事を果たしたのだ。自然は、自己を示し、能力
を発揮するためには、大きな運命を必要としない。
・・・・われわれの務めは、・・・・
生き方に秩序と平静をかちとることである。」

「エセー」(123)

<一事が万事>
「心の賢い者は味覚も賢くなければならない。」
(キケロ「善悪の限界」2-8)

<高貴なる魂は気さくなり>
「自己を緩(ゆる)め、気さくに振舞えるというこ
とは、力強く気高い魂にとって、きわめて尊く、
いっそうふさわしいことだと思う。」

<汝自身を知れ>
「魂の偉大さは、昇ったり進んだりすることよりも、
自分を整え抑えることを知ることにある。」

<愚かな人生は不快なり>
「愚かな者の人生は不快で不安定で、未来のことば
かり考えている。」(セネカ「書簡」15)

「エセー」(124)

<志ん生もビックリ、酒に強いソクラテス>
「常に徒歩で従軍し、はだしで、氷を踏み、夏冬と
もに同じ衣服を着、仲間のだれよりも苦難に堪(た)
え、宴会でも不断と違う食べ方をしなかった。
二十七年の間、同じ顔つきで、飢えと貧困と子供た
ちの不従順と妻の爪に堪え、最後には、中傷と暴政
と牢獄と毒杯に堪えた。けれどもこの人は、人との
付き合いで、葡萄酒を飲む競走をさせられると、い
つも全軍でいちばん強かった。
また、子供たちとおはじき遊びをすることも、木馬
に乗って遊ぶこともこばまなかった。しかも、その
姿は実に優雅だった。」

「エセー」(125)

<愚者の特徴>
「なすべきことを怠けながら不承不承(ふしょうぶ
しょう)におこない、肉体と精神とを別々の方向に
駆り立て、両者を相反する運命に引き裂くのは、愚
者の特徴である。」
(セネカ「書簡」74)

<美しい生活>
「もっとも美しい生活とは、私の考えるところでは、
普通の、人間らしい模範に合った、秩序ある、しか
し、奇蹟も異常もない生活である。」
「エセー」(126)-完

「エセー」が初めて日本に紹介されたのは、
昭和10年(関根秀雄訳)。
デカルト、モリエール、ルソー、モンテスキュー、
ジード、カミュ、サルトルも「エセー」の愛読者。
特に、パスカルの「パンセ」については、聖書から
来ていないものは全て「エセー」から来ているとま
でいわれた。
哲学者ジョン・ロックはモンテーニュの教育論
(1-26)によって彼自身の教育論を書いている。
ドイツでは、ゲーテ、ショウペンハウエル、ニー
チェが影響を受けている。

<モンテーニュの生涯>
無常なり<4人の子供が生後まもなく死んだ>

1533.02.28生まれ、里子に出される。
1554 21歳、高等法院参議となる。(父、ボルドー
市長となる。)
1565 32歳、 フランソワーズ。ド・ラ・シャセー
ニュ21歳と結婚。
1568 35歳、父死去。
1570 37歳、長女出産。2ヶ月後に死ぬ。
1571 38歳、次女生まれる。
1572 39歳、「エセー」の執筆はじめる。
1573 40歳、三女生まれるが、七週間で死ぬ。
1574 41歳、四女生まれるが3ヶ月後に死ぬ。
1578 45歳、腎臓結石の発作を起こす。「ガリヤ戦記」熟読。
1583 50歳、ボルドー市長に再選される。
      六女が生まれるが、数日で死ぬ。
1585 52歳、ボルドー市にペスト発生、全市民非難。
1588 55歳〜読書に熱中。
1590 57歳、アンリ4世よりの要職要請を断る。
1592.09.13 59歳で死去。

著述に専念できたのは、53歳以後の6年間。

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モンテーニュ「エセー」

「エセー」が初めて日本に紹介されたのは、昭和10年
(関根秀雄訳)。
デカルト、モリエール、ルソー、モンテスキュー、
ジード、カミュ、サルトルも「エセー」の愛読者。
特に、パスカルの「パンセ」については、聖書から来
ていないものは全て「エセー」から来ているとまでい
われた。哲学者ジョン・ロックはモンテーニュの教育
論(1-26)によって彼自身の教育論を書いている。
ドイツでは、ゲーテ、ショウペンハウエル、ニーチェ
が影響を受けている。

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知恵(モンテーニュ「エセー」)

「剛毅、信義、誠実が真の哲学であり、それ以外
を目的とする学問は虚飾にすぎない」
(プラトン「アリストドロスへの手紙」)

「知恵のもっとも明白なしるしは、常に変わらぬ
喜悦であります。」(セネカ「書簡」59)

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