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「夏目漱石を読む」吉本隆明

<漱石の偉大さ>
「漱石がわたしたちに偉大に感じさせるところが
あるとすれば、つまり、わたしたちだったら、
ひとりでに目にみえない枠があって、この枠の
なかでおさまるところなら、どんな辛辣なことも、
どんな自己批評も、どんな悪口も、なんでもいうと
いうことはありうるわけですけれども、漱石は、
そういう場合に真剣になって、度を越してあるいは
枠を超えちゃっていいきってしまうところだとおも
います。
・・・
しかも言い方が大胆で率直なものですから、すこしも
悪感情をもたせないんです。
・・・
ためらいもないし、また利害打算もどこにもなくて、
ほんとに心からいいきってしまうところが魂の大きさ
で、なかなかふつうの作家たちがもてないものですから、
偉大な文学者だなとおもうより仕方ないわけです。」

<知識人の憂鬱>
「「二百十日」や「野分」のような作品で、漱石は
ものすごい勢いで社会的な特権階級に成り上った
明治の富有者たちを、えげつないものとして、
登場人物をかりて攻撃しています。
そして、明治の成り上った分限者たちが、知識とか、
人間の人格とかというようなものを軽蔑する文明の
行方が、どんなに堕落していくかはかり知れないと、
声をおおきくして叫ばせています。」

<作家と思想家>
「明治以降、ただ一人の作家をといわれれば、漱石を
挙げる以外にないとおもえます。
それから、一人の思想家をといえば、柳田国男を挙げる
より仕方がない。」

<勝つものは必ず女である>
「女の二十四は男の三十にあたる。理も知らぬ、
世の中がなぜ廻転して、なぜ落ちつくかは無論
知らぬ。大いなる古今の舞台の極まりなく発展
するうちに、自己はいかなる地位を占めて、いか
なる役割を演じつつあるかは、固(もと)より
知らぬ。ただ口だけは巧者である。
天下を相手にする事も、国家を向うへ廻す事も、
一団の群衆を眼前に、事を処する事も、女には
出来ぬ。女はただ一人を相手にする芸当を心得て
いる。
一人と一人と戦う時、勝つものは必ず女である。
男は必ず負ける、
具象の籠の中に飼われて、個体の粟(あわ)を
啄(ついば)んでは嬉しげに羽ばたきするものは
女である。
籠の中の小天地で女と鳴く音(ね)を競うものは
必ず斃(たお)れる。」
(夏目漱石「虞美人草」より)

<漱石は最も偉大な作家>
「明治以降の文学者で射程の長い、息の長い偉大な作家は
何人もいますが、そのなかで少なくとも作品のなかでは
けっして休まなかった、いいか悪いかは別にして遊ばな
かった。
じぶんの資質をもとにしたじぶんの考えを展開しながら、
最後まで弛(たる)むことのない作品を書いたという点では、
息が長いだけではなくて、たぶん最も偉大だといえる作家
だとおもいます。」

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「真贋」吉本隆明

<親鸞>
「親鸞の教えで何が特徴かといったら、「修行
したら浄土、天国には行けないよ」と言ったこ
とです。
修行をしてはだめだというのです。僧侶がやる
ような修行をしたら浄土、天国へはいけないと
いうことを言い出したのです。
そして、もう一つ、・・・
「浄土」、つまりキリスト教で言う天国は、実体
としてはないと言ったのです。」

「僕はもともと無信仰ですが、親鸞はほとんど
無信仰に近いところまで仏教を持っていきました。
戒律もすべてやめました。・・・
ある意味で仏教にとどめを刺した人です。」
「善人が天国にいけるなら悪人はなおさら行ける。」

だったら悪人になればいいじゃないか。

それに対して、親鸞は
「じゃあ、いい薬があるからといってわざと病気に
なったり怪我をしたりするか。それはしないだろう。
だから、つくった悪はだめだ。心ならずも悪いこと
をしてしまったとか、ひとりでにこうなってしまった、
という悪の人は必ず救われるんだ」

「一人のときにはたった一人も殺せないのに、たとえば
戦争になると百人、千人殺すことはあり得る。
それはその人自身が悪くなくても、機縁によって千人
も殺すということはある。
だから、悪だから救われない、善だから救われるという
考え方は間違いだ、ということです。これはすごく
いい言い方だと僕は思いました。」
<職業選択の難しさ>
「よく出版社に入りたいという人に話を
聞くと、将来作家になりたいからと答え
る人がいます。でも、もし将来、もの書
きになりたいと考えているとしたら、編
集者という職業は近いようで一番遠いと
ころにある職業と考えたほうがいいでし
ょう。
・・・
長年編集者をやっていて小説家になった
という人は、ほとんどいません。僕の知
っている人で、一人としてそんな人はい
ません。
なぜかと言えば、それが編集者という仕
事の持つ毒なのです。「目高・手低」と
いうことです。」

<老人は超人間なのだ>
「老人というのは、人間の中の動物性が
極限まで小さくなった、より人間らしい
人間であって、それは老人が本来評価さ
れるべき点だと思うのです。
若い者は年寄りを侮りますが、僕に言わ
せれば、老人は「超人間」なのです。」

<生き方は顔に出る>
「計算高さは、顔や挙措振る舞いの中に
自然に出てきてしまうということです。
恋愛関係であろうと、一般的な人間と人
間の関係であろうと、それはあまりいい
印象を相手に与えません。
利害関係を自分の中でどういう心がけで
持っていたらいいのかは、その人の全体
の人格に関することだと思います。
利害ばかり考えていたり、言っていたり
すると何となくそれが全体ににじみ出て
きて、相手にもあまりいい印象を与えな
いかもしれません。」

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「吉本隆明全著作集15」

<宮沢賢治の童話>
「自分(隆明)などが斯う言ってよいか悪いか
判りませんが、彼(賢治)の童話作品に至って
は恐らく我が国空前絶後の作品であると思いま
す。」

<宮沢賢治の詩歌>
「彼(賢治)が日本の詩歌の伝統的系列の中で
占める位置はそれら(高村光太郎、三好達治、
中原中也、立原道造・・)の人の位置よりは
遙かに巨きく、且つ独自であると思います。」
「田を耕しながらでも詩や童話は書ける、
けれどもそのためにはどんな僅かなエネルギー
でも他の事に用ひてはならない」
(宮沢賢治)
<宮沢賢治、生命の悲しみ>
「彼(賢治)の作品には「生命の悲しみ」とも
言ふべき一つの悲哀を帯びた調子が一貫して
流れている事なのです。それは実に大きな悲し
みであり、私達の魂を奥底からゆすぶってさら
ひ去って行くやうなものなのです。
何か自然の悲しみと言ひませうか、山川草木の
悲しみと言ひませうか、その様な確かに宇宙の
創造的な意志に付きまとふやうな本質的なもの
なのです。生々流転の悲しみなのです。
ここに「悲しみ」と言ふ言葉を用ひましたが、
これは普通私達が用ひている悲観と言ふ意味と
は全く異り、更に大きな深い、(その中には
私達が喜びとか楽しみとか呼んでいるもの
すべて含まれている様な)意味の悲しみです。
他に言ひ現はすやうな適当な言葉は見付かりま
せんが、仏教で言ふ「無常」と言ふ言葉が表現
している、その本質実体とも言ふべきものに
通ふ悲しみなのです。
私は仮にそれを「生命の悲しみ」と名付けま
した。」

<宮沢賢治1896-1933の生き方から学ぶ>
「私達は彼(賢治)の作品の中から真の生き方を
求めるべきであります。大きな銀河系にとどく様
な正しい意志を汲み取るべきであります。」

1933年9月21日,賢治「臨終の時は彼の側には母
一人がいて、彼は母親に礼など述べていたが、
ガーゼにオキシフルをひたしたもので身体をふき、
母親が一寸後を振返った時には既に帰するが如く
示寂していた。」

「大正から昭和初期に亘って稀有の壮大な宇宙感
覚と、高貴な生活と、肯定精神とを掲げて、東北
の青暗い風物の中で深浄な輪廻の舞を舞ったこの
一個の魂は、北上残丘の彼方へ遠く果しなく消え
て行った。もう彼は還らない。この稀有の偉大な
風格は再び日本の国土に生れかはらない。
後代は日本の生んだ最後の聖者として聖宮沢賢治
を遇するだろう。」
<宮沢賢治論>

・空前絶後の詩「雨ニモマケズ」

昭和6年(1931)11月3日、36才(1933.9.21没)
病床の中で「雨ニモマケズ」を手帳に記す。
「精神の高さに於て空前絶後の詩であります。」

「東洋が近代ヨーローッパを超克し得る唯一つ
の残された道を私は宮沢賢治から学ぼうとする
ものです。
私たちがむしろ宗教的な信仰に似た謙譲な心で、
彼を巨大な星のやうに仰ぐことが出来るのは、
ゲーテの言ふ「どんなときにも青空を仰ぐやう
な眼と心の余裕」を彼が持っているためでは
ないのです。掬めども掬めども尽きぬ深淵が、
恐らくは波音一つたてずに静かに青く湛(たた)
えられている彼を見るがためなのです。
どんな嵐がきてもゆるがない静かな巨大な肯定
精神の源泉を彼が持っているからなのです。」

・新しさはどこからくるのか

「彼の童話にしろ或は詩作にしろ一つとして
新しくないものはなく、彼だけが築いている
特異の一宇宙を私たちは眺めるばかりなので
す。私は彼が一切の伝統を無視し、固定した
思想を無視し、刹那刹那の時間軸の上を横転
している、その豪壮な決断が一体何に由来し
ているかを考へずには居られませんでした。
・・・
彼の残している足跡、彼の抱いている思想的
な色合は、最も日本的なものであり、最も日
本人以外の何者でもないことを示しています。
彼は言はば一切の伝統を無視し、過去を問は
ないことにより、却って日本的な自己を生か
し切ったと言ふことが出来ます。」

・日本の進むべき方向

「私は宮沢賢治を前にして新しい日本の叡智が
進むべき方向を、一つの可能性として見出し、
未来に明るい光を見るやうな気がするのです。
あらゆるものが行きづまった、そのやうな日本
に於て、新に急旋廻してくる光明の方向はどん
なにか私たちの勇気を振ひ起させるかも知れま
せん。
・・・
私は彼が自身のうちに原始と終末とを持った、
唯永遠の現在であるとしてその作品に対するこ
とが最も賢明なものであると信ずるのです。」

・異常?感覚

「彼は億光年の太陽系外の事をもまるで、眼前
にあるもののやうに平然と且又十分な具体性を
以て受感し描出すことが出来ました。
これは時間と言ふことについても全く同様でし
た。彼は壮大な地質時代の時劫の流れを如実に、
体験として把握し彼自身が第三紀新生層の上に
生活し、思想し、自由に飛翔することが出来ま
した。
彼は人類を横の拡りとして確実に眺めることが
出来たと同様に、幾十万年の歴史的な流れとし
て人類を眺めています。
彼が空間と時間に対する受感に於て常人に勝る
深度と奔放さを持っていたことは確かに彼の作
品を不可思議なものに致しました。」

・宮沢賢治は語る

「これは決して偽でも仮空でも窃盗でもない。
多少の再度の内省と分析とはあっても、たしか
にこの通りその時心象の中に現はれたものであ
る。故にそれはどんなに馬鹿げていても、難解
でも必ず心の深部に於て万人の共通である。
卑怯な成人達に畢竟不可解なだけである。」

・漱石と宮沢賢治、孤独の質

「宮沢賢治の孤高もレベルを絶した偉大な魂
の悩みとしては、漱石と同様なものに外なり
ませんでした。
けれど不思議な事に彼の孤高の精神は少なく
とも外面的には低俗な周囲との調和を失って
は居ません。ここに宮沢賢治の特異性があった
やうに思はれます。」

「彼(賢治)の孤独の精神が低俗への反発から
由来したのではないといふ事は、彼が人間性に
対する深い苦悩よりも自然科学的な修練の結果
としてその孤独の精神を抱いたことを意味して
います。
そしてその結果は彼の孤独性に得も言はれぬ寒
冷な部分を導入致しました。
夏目漱石の孤高は内的には惨憺たる自意識の格
闘があり、外的には周囲の低俗との激しい反発
に露呈していますが、その根源に於て人間性に
対する暖い愛を感じさせ、その愛が余りに清潔
であったための悲劇と解することが出来ます。
漱石の苦悩には暖いものがあふれているのです。
しかるに宮沢賢治の孤独は周囲の低俗とは調和
を保ちながら、実は徹底した冷たさを感ぜずに
は居られません。
人々は彼の孤独に於て人間性の底に横はる愛を
発見することは出来ないのです。
・・・
彼(賢治)の孤独は低俗に対する孤独ではなく
て、大きな自然の輪廻の中におかれた人類の心
の孤独と言ふことができます。」

・宮沢賢治は全ての人に理解され、全ての
人に理解されない。

「すべてのものに愛をそそぐといふことは
一面には明らかに誰をも愛さないといふに
外なりません。
・・・
私は眼前に宮沢賢治と相対したとしたらさ
ほど難解な人ではないと確信致しました、が
問題はこれだけでは解決しません。
・・・
彼の跡した業跡と風格を考へるとき、追へ
ども追へども尚不思議な未知の混沌を彼から
感ぜずには居られません。
・・・
私は彼(賢治)を攻撃する声は永遠に聴く
ことはないやうな気がします。」

・宮沢賢治と日本

「創造することは宿命に対する諦観を意味し
ました。
・・・
宮沢賢治には暗澹とした苦渋はありません。
彼の作品には冷く鋭い感覚が自然の風物と
交流し、途方もない空想と奇抜な大らかな
構想は、精神の世界から離れた不思議な安
堵さを感じさせました。
・・・
もし創造という言葉が冠せられるとしたら、
彼の作品程その名にふさはしいものはなか
ったでせう。彼の作品は徹頭徹尾無からの
生成に外なりません。
・・・
彼に取ってはあらゆるものは本質的に善で
も悪でもありませんでした。
・・・
彼は真善美をも彼の作品に中に示しません。
・・・
彼の作品は「ただ行はれる巨きなもの」で
した。
・・・
彼が人類の幸福を言はうが、実在を否定し
やうが少しも無理な感じを伴ひません。
それは彼が足を地から離して流転している
からなのです。彼の思想の場が何処に変ら
うと、それは唯彼の一つの相を現はしてい
るに過ぎないのです。
・・・
私は苦悩を背負ひ切れなくなったとき彼の
ふところに帰って行くやうでした。けれど
彼は苦悩を解いて呉れる人ではないことを
私は知りました。
・・・
彼の門はつねに開いているのですが余りに
高く到底私には這入れる門ではありません
でした。
・・・
私の青春期初期の貴重な幾年かは宮沢賢治
との連続的な格闘に終始しました。
・・・
宮沢賢治には祖国がない。けれど彼が日本
の生んだ永遠の巨星であることは疑ふべく
もありませんでした。
彼の非日本的な普遍性に対して私は考へつ
づけました。
・・・
そして私は終に一つの結論に達しました。
それは独創することは彼の場合には一つの
宿命への諦観を意味したのだといふ一事で
した。
彼は一切の伝統をしりぞけ、既成の思想や
手法をしりぞけ、新たに自己の一点から創
造するときに、それが歴史的な生命と必ず
や一縷の繋りを示すことが出来ることを彼
が体認していたといふ事なのです。」

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「最後の親鸞」吉本隆明

<最後の親鸞は「教行信証」にはいない>
「わたしが「教行信証」の核心として読み
得たものは二つある。
ひとつは<浄土>という概念を確定的に位
置づけたことである。
・・・
(もうひとつは)「涅槃経」に説かれた大
乗教の究極の<空無>の理念を是認するた
め、ひとつの手続きを確定した。・・・」
(昭和五十六年六月二十一日吉本隆明)

「「教行信証」は、内外の浄土門の経典か
ら必要な抄出をやり、それに親鸞の註釈を
くわえたものである。
・・・
最後の親鸞は、そこにはいないようにおも
われる。」

<<知>にとっての最後の課題>
「<知識>にとって最後の課題は、頂きを
極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらく
ことではない。頂きを極め、その頂きから
世界を見おろすことでもない。頂きを極め、
そのまま寂かに<非知>に向って着地する
ことができればというのが、おおよそ、ど
んな種類の<知>にとっても最後の課題で
ある。」

「どんな自力の計(はから)いをもすてよ、
<知>よりも<愚>の方が、<善>よりも
<悪>の方が弥陀の本願に近づきやすいの
だ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎ
りなく<愚>に近づくことは願いであった。
愚者にとって<愚>はそれ自体であるが、
知者にとって<愚>は、近づくのが不可能
なほど遠くにある最後の課題である。」

<凡夫のしるし>
「「念仏をとなえても、踊りあがるような
歓喜の心があまりわいてこないこと、また、
いちずに浄土へゆきたい心がおこらないの
は、どうしたことなのでしょうか」と訊ね
ましたところ、「親鸞もそういう疑念をも
っていたが、唯円房もおなじ気持を抱いて
いたのか。よくよくかんがえてみるに、天
に踊り地に躍るほどに喜ぶべきことなのに、
喜ぶ心がわいてこないというのは、凡夫の
しるしで、ますます「きっと往生できる」
とおもうべきではあるまいか。」
(「歎異抄」9 吉本訳)

<知の放棄>
「法然と親鸞のちがいは、たぶん<知>
(「御計(おんはからひ)」をどう処理
するかの一点にかかっていた。
法然には成遂できなかったが、親鸞には
成遂できた思想が<知>の放棄の仕方に
おいて、たしかにあったのである。」
<善人ぶるな>
「「たとえ牛盗人といわれても、あるい
は善人、あるいは後世を願う聖とか、仏
法を修行する僧侶とみえるように振舞って
はならない」と(親鸞聖人は)云われた」
(「改邪鈔」3 吉本訳)

<浄土と現世>
「親鸞にとって、現世の憂苦こそは浄土
への最短の積極的な契機であり、これを
逃れるところに浄土があるという思想は、
すでに存在しなかった。
だが、時衆では、現世が憂苦であるがゆ
えに、浄土は一刻もはやく現世を逃れて
到達すべき荘厳の地であった。
このちがいは親鸞の思想を、浄土宗一般
とわかつかなめであった。」

「法然の教義をつきつめていけば、現世
をいとい来世をもとめるという思想を徹
底化してゆくよりほかはない。」

<易行は至難なり>
「易行がもっとも至難の道だ。なんとなれ
ば人間は<信>よりさきに、すぐにすこし
でも善い行いをと思い立ったりするからだ。
この思いは、すこしでも楽な姿勢をという
思いとおなじように、人間につきものの考
え方である。
親鸞は<信>がないところで、易しい行い
にしたがうことが、どんなに難しいかを洞
察したはじめての思想家であった。」

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「親鸞復興」吉本隆明

<修行概念の解体>
「親鸞まできて日本浄土教の思想は、完全に
仏教の修行という概念を解体してしまった。
もちろんヨーガ的な心身集中法をもとにした
仏教の僧侶の修行の概念も解体してしまった。
そのうえ戒律の概念も出家の概念も解体した。」

<念仏の数>
「念仏は1回でいいのかとか、たくさん称え
なければいけないのかということが、お弟子
さんたちのあいだで問題になりました。
親鸞はそれにたいして、いや一遍でいいとか
たくさん称えなければいけないとかという考
え方は一切いけないんだ、念仏は時を選んだ
り場所を選んだりしないで、弥陀の他力の中
に包まれるというかたちでおのずから出てく
るということで、何遍称えればいいとか、十
遍称えればいいと言っているわけではない、
とにかく「乃至十念」ということは、時と場
所とを選ばないということなんだという理解
のしかたを親鸞はお弟子さんたちに告げてい
ます。」

<寄付しなくてもよい>
「かりに、アフリカの困っている人たちを
助けるために一人十万円だしてくれってい
う人がいたとします。
これはいいことなんだから絶対出してくれって
言われたら、ちょっときついね、それどうし
ようかと思い悩むことがありうるわけです。
それにたいして親鸞は、きっぱりと、たとえ
れば、わたしはそれなら念仏でも称えますって
いうふうに断ればそれでいいんですよ、悩む
ことはないんですよって言っていると思いま
す。」

<阿弥陀仏>
「つまり親鸞になりますと、ほとんど、実体と
しての浄土というのは信じられていないし、ま
た阿弥陀仏についても人間の形、いわゆる仏像の
形をしていて、人間のように目鼻があってという
ようなことはもちろん信じていません。それを
否定しています。
ようするに無上仏というのは形のないものだ、
ただ人々を無上仏にまでもっていきたいために、
その手段として阿弥陀仏というのはあるんだ、
そうじぶんは理解していると、親鸞は、かれこれ
八十六、七歳のときに、弟子に語っています。」

<一遍>
「法然からいえば弟子の弟子、孫弟子に当たり
ますが、一遍上人という人がいます。・・・
一遍にとって<浄土>とは、死んだあとでゆける
ところだという意味でいえば法然と同じです。
・・・
それでは<浄土>とはどういうところか、どう
いうふうに願ったらゆけるのかということが
問題になってくるわけです。
そこに至って、・・・・
一遍という人は一切の物を全部放棄してしまえ、
放棄してしまって名号を願えば、つまり執着を
どこにももたないようにして名号を願えば、願
ったその場所、その時刻、その瞬間がすでに
浄土なんだ、という言い方をしています。
・・・
一遍がいちばん傾倒したのは空也上人です。
・・・
一遍は空也上人の書いたものをいつも懐にもって
いたというエピソードがあります。」
「じぶんは人々とおなじようには住む処ももた
ないし、心に執着心ももたないし、それから特
別のお寺、修行場で修行するのではない、街中
を歩けば、その歩いてる街中、ゆくところ全部
が道場、修行場になってしまう、それがじぶん
の考え方だと空也上人は言っているわけです。
それが一遍がとても傾倒した言葉です。」

<すごいぞ!法然>
「<死>ということを基準にすれば、<死>に
たいして価値ある<生>は、愚純とか無知とか
にあるんで、知識とか高度なよい修行をすること
にあるんじゃないということです。
・・・
愚かさや無知の持つ一途さに人間的価値の大きさ
があるので、知識があるとか、善い行いをしてい
るとかということは、そんなにたいした問題じゃ
ないんだということを法然ははじめて言った人で
す。
・・・
人間の心の究極点を基準にすれば、知識がある
ということよりも、知識がないということのほ
うが価値があるんだよ。
また善行をつんだとか、あるいは社会的地位が
あるとかいうことよりも、ないほうが価値がある
生き方なんだよということを、法然ははじめて
言ったのです。
それはとても重要な意味をもつとおもいます。」
<法然のよさ>
「法然のよさは、・・・人間の価値観を、知識
とか善い行いとか、あるいは社会的地位が上だ
とか、お金持ちだとかそういうことに絶対おか
なかったことです。
そうじゃないんだ、逆なんだよ、という考え方
を確立したことです。
もうひとつは、源信の臨終正念、臨終の時の
念仏、あるいは臨終の時の<死>の儀式に対し
て疑いを最初にさしはさんだのが法然だという
ことになります。」
<一遍の偉大さ>
「一遍は病気ですが、偉大な僧侶だなとおもわせ
るところもあります。なぜかというと、こんな
ことを言っているのです。
ほんとにいい念仏往生とは何かというと、それは
妻子をもって、それから家ももって、財産ももって、
それでもって念仏を称え往生するというのが、
いちばんいいんだと言います。上根だということ
です。
二番目にいいのは、妻子はもたないけれども、
財産はほどほどにもち、住む処ももち、というの
が中くらいにいいんだ。
それでいちばん悪いのは、じぶんのように無一物
になって執着をすてないと、念仏往生ができない
ようなものだ、一遍はそう言います。
じぶんはじぶんが駄目な人間だと知っているので、
何かもつと往生できないと思うから、もたない
ようにしているという逆説を一遍は語っています。
現在にも通用する一遍の偉大さは、そういうところ
にあるとおもいます。」

<<死>の最も偉大な専門家、親鸞>
「ぼくなんかがいちばん偉大だとおもっている
のは、親鸞という人です。どうしてかというと、
病気でないからです。病気じゃないということと、
それからごくふつうの人の<死>ということが、
じぶんの考え方のなかにちゃんとひとりでに
含まれているということがとても重要だと思い
ます。
親鸞の思想が存在しなかったら<死>の専門家
とぼくらとをつなげる橋をかけることができない
とおもいます。
ぼくは親鸞がいちばん偉大な<死>の専門家だな
とおもっています。」

<正定聚>
「親鸞は、第一に、臨終念仏という考え方を
まったく否定しています。それからもうひとつ、
死ぬときになって一生懸命信仰して念仏を称え
ると、阿弥陀さまがやってきて、それでじぶん
を浄土へつれていってくれるという、そういう
源信以来の考え方をまったく否定しています。
どういう言い方をするかというと、ようするに
臨終を待つことはない。それから来迎を頼むこ
ともない。じぶんの信心が定まったときに往生
が定まるんだ、ということです。
それでは信心が定まった、そうしたらどうなる
んだ?ということがありましょう。
それにたいして親鸞はすぐに躊躇なく、
「正定聚の位に就けるんだ」と言います。
「正定聚」の位というのは何なんだ?
それは、死ねばすぐそのまま浄土へ直通できる、
そういう場所だと言っています。
それは生きながら信心が定まったときに、もう
そこにいっている。だから、生きながらそこに
ゆけるし、同時にその場所は、浄土に直通して
いる場所なんだということになります。」

<鈴木大拙>
「鈴木大拙という人は、・・・
一言でいってしまえば霊性という概念を、
固有に独自につくりあげた思想家だ、・・」

「大拙の霊性になかには、無分別智だけ
じゃなくて、分別智も、ちゃんと総合して
含まれているようにおもわれます。・・・
大拙自身はじぶんではよくわかってつくり
あげている概念のようにおもいます。
ただ、この大拙の霊性ということをわかる
ためには、どうしても宗教、とくに仏教に
たいする信仰がいるような気がするのです。」
「(大拙は第十八願にたいして)
一生懸命信仰して、言葉でいえば「至心に
信楽して」という状態は、大拙のいう、物
と心とが二元的に分かれていない状態に、
つまり悟りの状態にちかい状態に入ること
だと言うのです。大拙はそういう解釈のし
かたを十八願にたいしてやっています。
・・・
この理解のしかたは、一口にいいますと、
浄土教のかなめである十八願を、禅宗的に
理解したしかただとぼくにはおもわれます。
ぼくはそういうふうに十八願を理解して
いません。」

参考:<悟り>
「悟りとは、問いと自分が一体化することに
よって、問う者が問題を解こうと努めなくと
も解決がその一体性から、おのずから生まれ
てくる状態である。」(大拙)
「”悟りは人がその全心全体を消耗しつくし
たと思う時に、不意に来るものである”
悟りとは、決してクソ坊主が恐れ崇めるよう
なものではない。ただ、「全心全体を消耗」
した証なのである。」(大拙)

注:第十八願:真心をこめて弥陀の誓願を
信じて、念仏を十遍でもいいから称えたら、
かならず浄土に往生することができる。

「大拙は、考えが「大地」を離れない、ある
いは心が地面を離れないということを、浄土
教における<慈悲>を根本においているとお
もいます。この「大地」はどこからくるのか
ということは、ぼくにはまったくわかりません。
・・・
でも、何を言おうとしたのかはとてもよくわ
かる気がします。
この「大地」を離れた思考というのは、だい
たい抽象化されて、抽象化を推しすすめれば
物と心、物と精神とが全部二分化される。
だから、どうしても「大地」を離れてはいけ
ないんだという。
もし大いなる<慈悲>というものを離れまいと
すれば「大地」を離れてはだめだということ
でしょう。
・・・
日本浄土教の、法然、親鸞の思想から「大地」
という考え方を特徴として採り出したのは、
ぼくの知っているかぎりでは大拙以外にはあり
ません。これは珍しい考え方だといえるとおも
います。」

「ぼくが言っても、悟りがないから説明に
しかなりません。せめて信仰があるといい
のですが、それもないから、けっきょくは
解説というか、解釈になってしまいます。
・・・
大拙自身は心を持ったひとりの思想家です。
心はどこにあるのか、とつきつめてゆきま
すと、禅における「不生禅」、浄土教、浄土
真宗における法然、親鸞に至る教えに眼目を
つけて、そこにじぶんの考え方、じぶんの
感覚、じぶんの霊性とかんがえているものを
投影している優れた思想家であるということ
ができます。」
<蓮如ー親鸞思想の通俗化>
「話の内容は、親鸞のめがねを通して見た
蓮如ということになるとおもいます。
ですから蓮如を否定的にとらえる話になって
しまうのではないかとおもいます。
・・・
日本の浄土宗の眼目である十八願にたいして
蓮如はとてもいい理解を示していますが、
「在家止住のやから」という限定をつけて
います。こういう限定は親鸞にはないのです。
・・・
つまり教団から(蓮如は)ものを言っている
ことを意味しているわけです。
・・・
そういうところに蓮如の洞察力のおよばなさ
があらわれています。」

「蓮如は(輪廻転生を)実体化しています。
しかし、親鸞は一度もそういう言い方はして
いません。」

<新新宗教>
幸福の科学:大川隆法「太陽の法」
統一教会:「原理講論」
オウム真理教:麻原彰晃「生死を超える」

「読むたびに感じる印象は、一種奇妙な、
ある意味で病的、ある意味で読む人間の心
を打つ衝撃的な世界だということです。
・・・
特徴はふたつあります。ひとつは、どの
主張を読んでも、一種の早道を通っている
感じがします。それは直線コースを通って
いるという意味ではなく、ある地点からある
地点へ到達するのに、大なり小なり短絡路を
通っているということです。
宗教と思想の大道をまっすぐにすすんで
到達したという印象よりも、とにかく到達
することが目的で、遮二無二でも到達しよう
としています。
ですから、どこかで短絡しているという印象
です。
もうひとつは、いいことを言わなければ宗教
になりませんから、やはりいいことを言って
いるということです。その「いいこと」の
内容に立ち入ってみると、とにかくいいこと
を言っている。
そのふたつがとても強烈な印象です。」

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「宮沢賢治」吉本隆明

職業として、人造宝石の製造・販売を考えて
いた宮沢賢治。

年譜より

1896(明治29)岩手県花巻市に生まれる(長男)
1909(明治42)花城尋常高等小学校卒業。
6学年全甲、優等賞、精勤賞。県立盛岡中学入学。

1912(16歳、明治45,大正元年)
父あてに
「小生はすでに道を得候。歎異鈔の一頁を以て
小生の全信仰と致し候」と書く。

1914(18歳、大正3年)
看護婦に恋し、父に結婚の許可を求めて
戒められる。
島地大等編著「漢和対照妙法蓮華経」に感動。

1915(19歳、大正4年)盛岡高等農林学校に首席入学。

1916(20歳、大正5年)寮の部屋から法華経をあげる
賢治の力強い声が毎朝流れたという。

1918(22歳、大正7年)徴兵検査第二乙種で兵役免除。

1920(24歳、大正9年)
保阪あて書簡に
「世界唯一ノ大導師日蓮大上人」の「御命ニ
従ッテ起居決シテ御違背申シアゲナイコト」を
誓う。

1921(25歳、大正10年)家出決行。国柱会を訪れる。
本郷菊坂に下宿。出版社でアルバイトをしながら
創作に励み、これを「法華文学」と称した。
12月、雑誌「愛国婦人」に童話「雪渡り」その一
を発表、5円もらう。これが生前得た唯一の
原稿料といわれる。

1923(27歳、大正12年)一月、上京、本郷に下宿中
の清六に大トランクにつめた原稿を東京社へ持参
させるが、出版をことわられる。

1925(29歳、大正14年)
「多分は来春はやめてもう本当の百姓になります」
と手紙にかく。

1926(30歳、昭和元年)花巻農学校を依願退職。
十二月、上京、上野図書館で学習、タイプライター。
オルガン、エスペラント、セロを習う。

1931(35歳、昭和6年)嘱託技師として連日各地の
農業組合、肥料店を訪ねて宣伝につとめる。
9月、壁材料の宣伝・販売のため上京、たちまち
発熱し臥床する。死を覚悟し遺書を書く。
11月、「雨ニモマケズ」を手帳に書く。

1933(37歳、昭和8年)9月21日13:30永眠

 

<早すぎた信仰>
「おもうに宮沢賢治は、いちどもよく遊び、
ほかの子供たちと悪戯をやっては、侵犯する
こころを父母に叱られたり、きれいな女性に
胸をときめかして恋愛し、やがて結婚して、
楽しい生活をしようという発想をとったこと
はなく、開放されないこころの殻をやぶらな
いままに、宗教的な歓喜、有頂天、恍惚のと
ころまで登りつめてしまった。
・・・
世間知が足りない、経験からみちびいた叡智
がない。欲望のデカダンスを知らなすぎる。
・・・
きまじめな優等生の子どもが、やがて人なみ
の生活にめざめてゆく過程をたどる以前に、
とても早急にまた深く、信仰にとらえられて
しまった。」
<銀河鉄道の夜>
「言葉がつくりだした機能の<意味>と存在の
<意味>のあいだには、いくつもの階層がある
にちがいない。宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」で
やっていることは、この階層のそれぞれから放
射される多様な次元の<意味>を与えることだ
といえよう。
ジョバンニの父は存在の意味がなくて、<不在>
だし、作品に登場するほかの人物の言葉や行動
の描写の機能によってだけ意味づけられている。」
<無償の質>
「宮沢賢治の作品には、自在にのびちぢみし、
角度をかえながら景物にしみとおってゆく視線、
またその視線の全体を生と死の境界の向う側か
ら統御している眼がある。
わたしたちはそこに、物の像の恐怖や、蒼く暗
い色彩や、黄や白や灯火や星のような、きらきら
した花の色彩をみたりする。また宝石の硬質な
きらびやかなかがやきをみることもある。だが
視線のなかにいるかぎる言葉の意味は忘れられ
ている。
いちばんおわりのおさえ方をすれば、言葉で
つづった作品にはかならず意味がきっとつきま
とっていて、それからは逃れられない。言葉が
よびおこす像(イメージ)にじゅうぶん拮抗
しながら、同時に意味の官能をかれの作品に
あたえているのは、独特な無償の質と、それを
倫理へ組みかえ、もしかすると宗教的な情操の
要請にまでもっていくひとつの力能だとおもえ
る。」
<猫の事務所>
「宮沢賢治は、よいこころをもって振舞うのに、
まわりから侮蔑されたり、軽くあしらわれたり、
うとまれたりする生きものの姿を、すくなくと
もふたつの作品で描いている。
ひとつは「猫の事務所」のかま猫で、もうひと
つは「よだかの星」のよだかだ。」

「「猫の事務所」と「よだかの星」とで、もひと
つ関心をひかれることがある。それは宮沢賢治の
視線にある救いの構造ではなくて、関心の構造と
もいうべきものだ。
かま猫とよだかにあたえられた資質と境遇は、宮
沢賢治がつよい関心をもった登場人物(動物)の
ひとつの類型になっている。
ひとつの共通点は気が弱く片隅にちぢこまって、
まわりの言うままにうごかされて、おどおどいじ
けている存在だ。・・・・
いってみれば「ホメラレモセズ苦ニモサレズ」と
いう消極的な存在と境涯にあるものといっていい。
・・・
宮沢賢治が関心をよせ救いを願い、じぶんもまた
その場所にゆき、それらとおなじでありたいと
おもったのも、そういう存在だった。」
<なめとこ山の熊>
「熊捕りの名人小十郎と「なめとこ山の熊」たち
の関係は、猟師と獣の関係で、殺したり殺されたり
する。だが好きあった気ごころのしれたあいだがら
になっている。」

猟師は、生活のために熊を殺している。ある時、
熊と対面する。熊は2年、待ってくれという。
2年後、熊は約束を守り、猟師の家の前でじぶん
から死んで約束を履行する。
その後、猟師は、べつの熊に殺される。
「おお、小十郎おまへを殺すつもりはなかった」
という熊の声を小十郎は聞いた。
<めくらぶだうと虹>
「「アリヴロンと少女」と「めくらぶだうと虹」
は、同原異稿の枝わかれ作品だ。・・・
「めくらぶだうと虹」では、地をはう低く動け
ないめくらぶだうと、空の高みにかかるきれい
な虹のあいだにうらやましさが交換される。
束の間のいのちしかない虹が、めくらぶだうの
いのちの永さをあげ、ひくく地面をはうめくら
ぶだうは高く空にかがやき、草や花や鳥がたた
える虹の姿をうらやみ、いっしょにいきたいと
うったえる。だが虹はそれにこたえないうちに
消えかかる。」
<小岩井農場>
「彼(賢治)には性欲の抑圧や昇華はあったろうが、
性や恋愛にまつわる挫折はない。また宗教的な願望
に固執するあまり、生涯の生活を挫折させたとはい
えるが、生活の挫折のあげく宗教の救済感に変態し
たことはなかった。そうかんがえていいはずだ。
わたしたちは宮沢賢治の心理と生理の発達史を掘り
おこして、かれの意識と無意識のドラマを見つけだ
そうとしても、ガードがあまりにもかたくて、不可
能にちかい。
・・・・
(「小岩井農場」は)宮沢賢治のもつ感性と理念を
綜合したひとつの世界を、まるでクロマトグラフィー
で分離したように、はっきりと要素にわけて展開し
ている。その意味ではかれの詩のなかでいちばん有
機的な生命と理念を語る作品だといえる。」
<擬音>
「宮沢賢治ほど擬音のつくり方を工夫し、たく
さん詩や童話に使った表現者は、ほかにみあた
らない。
・・・・
かれは幼童をよろこばせるために童話を書いた
のではない。また幼童が好きだという理由で童
話を書いたのでもない。またかれ自身が幼童性
をもった未熟なこころだから童話を書いたので
もない。
仏教の信仰による幼童の教化というモチーフは
あったかもしれないが、それもじぶんが内がわ
から燃焼して白熱すると、じぶんでこわしてし
まっている。ただかれは、普遍的な年齢のため
の童話という矛盾を書く必然(宿命)をもって
いた。そしてこれだけがかれの擬音に、理念の
意味をあたえた。」

<擬音2ー神の如き童貞のエロスとして>
「もしかすると作者がエロスを遂げようとする
無意識の語音のようにもおもえる。
体内から精液を一滴ももらしたことがなかった
ものは、世界にじぶんをふくめて三人しかいな
いと知人に語ったという伝説が、宮沢賢治には
ある。
もしエロスの情感が性ときりはなされて普遍化
でき、その普遍化が幼童化を意味するとすれば、
まずいちばんに擬音の世界にあらわれるとは
いえそうな気がする。」
<地名・人名の造語>
「宮沢賢治は地名や人名を作品のなかでたくさん
造語した。
・・・
賢治の造語した人名と地名は度外れにおおいし、
度をこして徹底していた。それははるかに趣向の
境界をこえていた。
・・・
「あらゆる事が可能である」ためには、ほんとは
あらゆる実在の場所や、じっさいのこころのうご
きに無縁でなくてはならない。だがそれは不可能
だ。
わたしたちの命名はどれもじっさいの場所と、こ
ころのうごきとにどこかで、何かの経路でつなが
らなくては可能でないからだ。
・・・
たとえば、イートハーブという地名造語は岩手県
地方の暗喩といえるし、ハーナムキヤという地名
は花巻の暗喩だし、モーリオ市という地名は盛岡
の暗喩だ。
・・・
ペンネンネンネンネン・ネネムとかケンケンケン
ケンケンケン・クエクとかいう人名になるとそれ
は人名の物語化だといえよう。
・・・
造語の世界は、純粋に魔術的な世界だといえる。」

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三島由紀夫

「(豊穣の海」四部作は)・・
意図して古風な、時代に背いた重みのある文体を
えらび、真実といえども格調にそわずに醜ければ
捨ててしまい、登場人物たちの一挙手にも一投足に
も大文字の荘重な雰囲気をもたせることで、言葉の
走りと行動の走りを統一させようとする理念にほか
ならなかった。」
(「新 書物の解体学」吉本隆明)

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吉本隆明

十代、学生寮の天井には、墨でかいた
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を貼った。

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読書三大事件(吉本隆明)

「いままでの読書の体験のうち、恐ろしい精神的な
事件のような読み方をしたのは、十代の半ばごろ
読んだファーブルの「昆虫記」と、二十代のはじめ
ごろ読んだ「新約聖書」と、二十代の半ばごろ読んだ
「資本論」であった。」

・・・・・
人間が昆虫の観察のために一生を費しうるのだという
ことを「昆虫記」を通じて知った。
・・・・・
「新約聖書」を理解した日本の文学作品としては、
太宰治の「駆込み訴へ」が、最上のものではないか
と考えている。
・・・・・
わたしは「資本論」を千年に一度くらいしかあらわれ
ない種類の書物だとおもう。」

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三大老人小説

室生犀星「われはうたへどやぶれかぶれ」
川端康成「眠れる美女」
谷崎潤一郎「瘋癲(ふうてん)老人日記」

「若い人にとっては、老人というのは奇妙な
性の考え方ややり方をするものだというふうに
思える。
それは珍しいことで、若者にとってはまだ経験
したこがない世界ですが、こういうふうになる
のかというお手本に(上記3冊は)なっている
のではないでしょうか。」
(吉本隆明「老いの超え方」)

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「老いの超え方」」吉本隆明

「太宰治の「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。
人モ家モ暗イウチハマダ滅亡セヌ」(「右大臣実朝」)
というのが好きです。
僕らもそうで、まだおれは暗いから滅びないというか、
まだ仕事ができるという感じですね。」

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吉本隆明

「やはり鴎外、漱石ぐらいではないでしょうか。
本当にお世辞抜きで推薦するとそれぐらいでは
ないでしょうか。」
(「文学の書物」)

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