無心
「知を求めず、見を求めず、仏菩薩になろうとねがわず、平々凡々、木石のごとくにして、し
かも、そこから大慈大悲の大行動が開始せられ、
無功用の生活がつづけられる。」(法華経)
「周辺のない円相、これを無心といい、
また無念無想などともいう。」
「心を一点に留めたり、一物を見たり、
一事を知ったりして、一事一物一点の外
に出ることをわすれると、その知見は、
いずれも限られたものになって、自由の
はたらきが、そこから出てこない。
限られた一が、そのまま無限の全体であ
ることに、気がつかなくてはならぬ。」
「無心の代表的な表現として、彼(大拙)は
好んでつぎの句を引く。
「竹影、階(きざはし)を払って塵動かず、
月、潭底(たんてい)をうがって水に痕(あと)なし」
竹の葉がそよいで、その影を石段の上に
ゆるがすが、段の上の塵は少しも動かない。
また、月がふちの底をうがって影を落として
いるが、水にはそのあとかたもない。」