草枕
<情欲なしで女の裸体を描写する試み>「あらゆる事実や人の所作をいっさいの感情移入
も欲望も持たず、ただ純粋に眺める心構えこそ、
本当の芸術を生み出す力だと、彼は言う。
だから、ヒロインの那美にもまったく恋心を
抱かずに、ただひたすら彼女を観察する。
作中、風呂場で偶然出会ってしまった那美の
ヌードを描写する「余(よ)」の説明は、秀逸。
漱石は後に、「女の裸体を情欲なしで上品に書く
ことにチャレンジした」と、この部分の執筆意図
を雑誌インタビューで述べている。
また、本作では「読者にただ「美しい感じ」を
残せれば、それでよい」とも。」
(森本哲郎「20分でわかる「夏目漱石」)
<草枕について>
「天地開闢(かいびゃく)以来類のない小説」
(漱石)
「手紙」
(明治39年10月26日、鈴木三重吉への手紙)
「ただきれいにうつくしく暮らす、すなわち
詩人的にくらすということは生活の意義の何分一
か知らぬがやはりきわめて僅少な部分かと思う。
で草枕のような主人公ではいけない。
あれもいいがやはり今の世界に生存して自分の
よいところを通そうとするにはどうしてもイブセン
流に出なくてはいけない。
この点からいうと単に美的な文字は昔の学者が
冷評したごとく閑文字に帰着する。
俳句趣味はこの閑文字の中に逍遙(しょうよう)して
喜んでいる。しかし大なる世の中はかかる小天地に
寝ころんでいるようではとうてい動かせない。
しかも大いに動かさざるべからず敵が前後左右に
ある。
いやしくも文学をもって生命とするものならば単に
美というだけでは満足ができない。
・・・・・
僕は一面において俳諧的文学に出入りすると同時に
一面において死ぬか生きるか、命のやりとりをする
ような維新の志士のごとき烈しい精神で文学をやって
みたい。
それでないとなんだか難をすてて易につき劇を厭
(いと)うて閑に走るいわゆる腰抜け文学者のような
気がしてならん。」
注:明治39年9月,「新小説」に「草枕」を発表。
注2:明治39年11月,「文章世界」
「普通にいう小説、すなわち人生の真相を味わわせる
ものも結構であるが、同時にまた、人生の苦を忘れさ
せて、慰藉(いしゃ)を与えるという意味の小説も
存在していいと思う。私の「草枕」は、むろん後者に
属すべきものである。」