art-tokyo

夢十夜

漱石の最も有名?な芸術論の一つです。
運慶の彫刻を見て思うこと。

<第六夜>
「運慶(うんけい)が護国寺(ごこくじ)の
山門で仁王(におう)を刻んでいると云う評
判だから、散歩ながら行って見ると、自分よ
り先にもう大勢集まって、しきりに下馬評
(げばひょう)をやっていた。
・・・・
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵(こしら)えるよりもよっぽど骨
が折れるだろう」とも云っている。
・・・・
 運慶は見物人の評判には委細頓着(とんじ
ゃく)なく鑿(のみ)と槌(つち)を動かし
ている。いっこう振り向きもしない。高い所
に乗って、仁王の顔の辺(あたり)をしきり
に彫(ほ)り抜(ぬ)いて行く。
・・・・
自分はどうして今時分まで運慶が生きている
のかなと思った。どうも不思議な事があるも
のだと考えながら、やはり立って見ていた。
・・・・
 運慶は今太い眉(まゆ)を一寸(いっすん)
の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪(たて)
に返すや否や斜(は)すに、上から槌を打(う)
ち下(おろ)した。堅い木を一(ひ)と刻(き
ざ)みに削(けず)って、厚い木屑(きくず)
が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻の
おっ開(ぴら)いた怒り鼻の側面がたちまち浮
き上がって来た。その刀(とう)の入れ方がい
かにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を
挾(さしはさ)んでおらんように見えた。
「よくああ無造作(むぞうさ)に鑿を使って、
思うような眉(まみえ)や鼻ができるものだな」
と自分はあんまり感心したから独言(ひとりごと)
のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。
あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)ってい
るのを、鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出
すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すよう
なものだからけっして間違うはずはない」と
云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思
い出した。」
漱石がミケランジェロの下記の言葉を読んで
いるとは思えないが、優れた感受性はいつの
時代、いづれの国も変わらないものだと納得
した。
”この感性”は、芸術に限ったことではない。
物理学者であろうと、政治家であろうと、す
ぐれた感性には、”完成ビジョン”が見える
ものだ。

「大理石の塊ひとつひとつに、わたしには
彫像が見える。まるでそれが眼前にあるか
のように完璧な姿態、躍動感ではっきりと
見える。わたしはただ、それを今わが目で
見ているように人々に明らかにするために
彫像の優美な姿を閉じこめている石の壁を
刻むだけなのだ。」(ミケランジェロ)

In every block of marble see a
statue;See it as plainly as through
it stood before me,
Shaped and perfect in attitude and
action.Ihave only to hew away the
rough walls which imprison the lovely
apparition to reveal it to other eyes,
as mine already see it.
(Michelangelo)

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