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神経衰弱の弁

「大学では講師として年俸八百円を頂戴していた。
子供が多くて、家賃が高くて八百円では到底暮らせ
ない。仕方ないから他に二三軒の学校を駆けあるい
て、漸くその日を送っていた。
いかな漱石もこう奔命につかれては神経衰弱になる。
その上多少の述作はやらなければならない。酔興に
述作をするからだと云うなら云わせておくが、近来
の漱石は何か書かないと生きている気がしないので
ある。それだけではない、教えるため、又は修養の
ため書物も読まなければ世間へ対して面目ない。
漱石は以上の事情によって神経衰弱に陥ったのであ
る。」

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