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愛国心

(以下、切腹2年前、43才三島氏の文章)
「実は私は「愛国心」という言葉が
あまり好きではない。・・・・
愛という言葉は、日本語ではなくて、
多分キリスト教から来たものだろう。
日本語としては「恋」で十分であり、
日本人の情緒的表現の最高のものは
「恋」であって、「愛」ではない。
もしキリスト教的な愛であるなら、
その愛は無限定無条件でなければな
らない。従って、「人類愛」という
のなら多少筋が通るが、「愛国心」
というのは筋が通らない。
なぜなら愛国心とは、国境を以て閉
ざされた愛だからである。」

「恋が盲目であるように、国を恋う
る心は盲目であるにちがいない。
しかし、さめた冷静な目のほうが日
本をより的確に見ているかというと、
そうも言えないところに問題がある。
さめた目が逸したところのものを、
恋に盲(めし)いた目がはっきり
つかんでいることがしばしばあるの
は、男女の仲と同じである。
一つだけたしかなことは、今の日本
では、冷静に日本を見つめているつ
もりで日本の本質を逸した考え方が、
あまりにも支配的なことである。」
(以上「朝日新聞」昭和43年1月8日)

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