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おわり方の美学

(切腹(11月25日)まで4ヶ月余り
前(7月7日)の文章)

「二十五年前に私が憎んだものは、
多少形を変えはしたが、今もあい
かわらずしぶとく生き永らえてい
る。生き永らえいるどころか、お
どろくべき繁殖力で日本中に完全
に浸透してしまった。それは戦後
民主主義とそこから生ずる偽善と
いうおそるべきバチルスである。
・・・・・・
それほど否定してきた戦後民主主
義の時代二十五年間を、否定しな
がらそこから利得を得、のうのう
と暮らして来たということは、私
の久しい心の傷になっている。
・・・・・・
私は何とか、私の肉体と精神を等
価のものとすることによって、そ
の実践によって、文学に対する近
代主義的妄信を根底から破壊して
やろうと思って来たのである。
・・・・・・
私はこれからの日本に大して希望
をつなぐことができない。このま
ま行ったら「日本」はなくなって
しまうのではないかという感を日
ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、
無機的な、からっぽな、ニュート
ラルな、中間色の、富裕な、抜目
がない、或る経済的大国が極東の
一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たち
と、私は口をきく気にもなれなく
なっているのである。」

「自分では十分俗悪で、山気もあ
りすぎるほどあるのに、どうして
「俗に遊ぶ」という境地になれな
いものか、われとわが心を疑って
いる。」
(「サンケイ新聞」昭和45年7月7日)

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