モンテーニュ81〜126
「エセー」(81)<危険は逃げるものを追いかける>
アルキビアデスが語る戦友、ソクラテスの退却の様子。
「いつもと少しも変わらぬ悠々たる足取りで歩きなが
ら、しっかりと落ち着いた視線で自分の周囲の状勢を
的確に判断し、ときには味方を、ときには敵を見廻し、
味方に対しては激励し、敵に対しては自分の命を奪お
うとする者にこの血と命をしこたま高く売りつけてや
るぞという気構えを見せていることに気がついた。
二人(ソクラテスとラケス)はこうして逃げおおせた。
実際、敵はこういう人には進んで攻撃をしかけずに、
かえって恐れる人を追いかけるものである。」
「われわれが常に経験するように、危険からしゃにむ
に逃れようとすること以上に、われわれを危険におと
すものはない」
「一般に恐れることが少なければ危険に会うことも
少ない」
「エセー」(82)
<高貴な身分の不便なことについて>
「私も人並みな願いをもっているし、その願いに人
並みな自由と無分別を許している。けれども、帝国
や、王位や、人を支配する雲の上の高位を願ったこ
とはただの一度もない。
そんな方向をねらうにはあまりにも自分を愛している。
私は、自分の成長を考えるときはずっと低いところ
をねらう。
剛毅においても、思慮においても、健康においても、
美貌においても、さらに富においても、控え目な、
おずおずした、私自身のためだけの成長を考える。」
「あらゆるものを何の苦もなく、やすやすと自分の
下に屈服させることができるということは、あらゆ
る種類の快楽の敵である。」
「エセー」(83)
<いかに自分を語るか>
「自分を語ればかならず損をする。自己に対する非難は
常に信用され、称賛は常に信用されないからである。」
<愚かなる者の大いなる壁>
「賢い者が愚かな者から学ぶことのほうが、愚かな者が
賢い者から学ぶことよりも多い」(大カトー)
<ソクラテスに習って>
「精神を鍛錬するもっとも有効で自然な方法は、私の考え
では、話し合うことであると思う。・・・
したがって、一致ということは話し合いにはまったく退屈
な要素である。」
<怒りはニーチェが言うように、幼稚の証である>
「私は人から反駁されると、注意は覚まされるが怒りは覚
まされない。・・・私は、真理をどんな人の手の中に見出
しても、これを喜び迎える。・・・私は、・・誉められよ
うと、けなされようと、平気である。私の思想そのものが
自分に矛盾し、自分を非難するのが始終なのだから、他人
がそれをしたところでまったく同じことである。」
「エセー」(84)
<バカは伝染する>
「われわれの精神は力強い立派に整った精神との交流に
よって強められるが、その反対に、低級で病的な精神と
の絶えざる交際と往来によって、どれだけ損なわれ、低
下するかわからない。」
<バカと議論してはならない>
「バカを相手に本気で議論することはできない。こうい
う無茶な先生の手にかかっては、私の判断ばかりでなく
良心までが駄目になる。・・・
だからプラトンは、その国家において、無能な素質の悪
い人々に議論を禁じている。(プラトン「国家」第7巻)」
「エセー」(85)
<議論の風景は古今東西かわらない>
「ある者は相手を攻撃さえすれば、どんなに自分の
バカをみせようとかまわない。ある者は、自分の言
葉にいちいち勿体をつけ、それが何か立派な理論の
ようなつもりでいる。ある者は、声の大きさと肺活
量の強さだけを振り回す。あっちには自分に矛盾し
た結論を出す者がいるかと思うと、こっちには、無
益な前置きや脇道の理屈で耳をがんがんさせる者が
いる。ある者は、徹頭徹尾、悪口だけで身を固め、
筋の通らぬ喧嘩をふっかけ、鋭く追いつめて来る相
手の機知と渡り合うことから逃れようとする。」
彼らはわれわれよりも学問はあるが無能である。
学問は鈍感な魂に出会うと、不消化の塊となって、
これをますます鈍重にして窒息させる。
「エセー」(86)
<問題は、誰がそれを言ったかである>
「私は毎日、いろいろの著者の著作を読みふけって
いるが、彼らの知識は問題にしない。内容ではなく、
話し方を求めるからである。私が誰か有名な精神の
持ち主との交際を求めるのは、彼からものを教わる
ためではなく、彼を知るためであるのと同じ事である。
真理にかなったことを言うことは誰にもできる。だが、
秩序正しく、賢明に、上手に言うことは、わずかの人
にしかできない。
だから、無知からくる誤謬は私を怒らせない。私を怒
らせるのは、へまさ加減である。」
「エセー」(87)
<先生方の悲劇>
「学問は強い天性の中にしか宿ることができない。」
「学問は、入れ物が悪いと、無益で有害なようである。」
皆さんが、バカにする”先生”がたも、よい百姓、よい
商人、よい職人になれたかもしれない人達なのである。
しかし、彼らの天性は学問に押しつぶされるほどに弱かっ
た。・・・残念!
「人真似をする猿が、いたずらっ子に立派な絹の着物を
着せられて、尻と背をむき出しにして、会食者を大笑い
させたように。」
(クラウディアヌス「エウトロピウスを駁する詩」)
「エセー」(88)
<成功の条件>
「都市においてもっとも強力な者、もっともよくその
仕事を果たす者は誰かを考えてみるならば、それは常
にもっとも無能な人々であることがわかるだろう。
ときには、女や子供や愚かな者が、もっとも有能な君
主と肩を並べて大国を支配したこともある。
トゥキュディデスも、そのことでは愚鈍な者が利口な
者よりも成功することが多いと言っている。
(トゥキュディデス「歴史」3-57)」
「エセー」(89)
<報いる、ということ>
「主君に対しては、主君があとで正当な報いを見出せ
ないほどの過度の奉仕をしないように注意しなければ
ならない。」
(フィリップ・ド・コミーヌ)
「善行は、報いうると思われる限り、快く受け入れら
れる。その限度を越すと、感謝の代わりに憎悪が返っ
てくる。」
(タキトゥス「年代記」)
「報いないことを恥じと思う人は、報いるべき人のあ
ることを欲しない。」
(セネカ「書簡」)
「人に報いることができないと思う者は、決して人の
友となることはできない。」
(キケロ「執政官立候補のための演説」)
「エセー」(90)
以下のような文章に出会うと、無性に「歴史」を読ん
でみたいと思うものである。
<「歴史」のすすめ>
「私は最近、タキトゥスの「歴史」を一気に読み通し
た(こんなことはめったにないことだ。・・・)
・・・
私はタキトゥスほど公の記録の中に、個人の生き方や
傾向に関する考察をまぜている著者はないと思う。
・・・
タキトゥスの「歴史」は、歴史の叙述というよりはむ
しろ判断であって、物語よりも教訓が多い。読む書物
ではなくて、研究し学ぶための書物である。数多くの
格言に満ちあふれているから、中には間違ったのも正
しいのもある。
これは道徳論、政治論の苗床(なえどこ)であり、世
を指導すべき地位にある人々の備えとも飾りともなる。
彼の叙述はつねに堅実で強力な理論に支えられ、警抜
精妙で、当時の凝った文体にならっている。・・・
彼の書きぶりはセネカにかなり似ている。私には、
タキトゥスは豊富でセネカは鋭敏であるように思われ
る。タキトゥスの著作は今日のわが国のような混乱し
た病的な国家にはいっそう役に立つ。」
「エセー」(91)
<生活の心得>
「常に支出を切りつめて、貧乏を迎え撃て。このことが、
そして貧乏に強いられる前に自分の生活を改めることが、
私のつねづね心がけていることである。・・・
<富み度合いは収入の多寡ではなく、暮らし方によって
計られる。>(キケロ「逆説」6-3)」
「私は強力で学識ある思想よりも、むしろ容易で、生活
に適した思想をもちたいと思う。
思想は有益で快適であれば、十分に真実で健全なのであ
る。」
「私はあくせくせずにこの世を楽しみ、まあまあという
程度の生活ができ、自分にも他人にも厄介にならない生
活ができさえすれば、それで満足である。」
「エセー」(92)
<負債としての恩義と感謝>
「私はなんとかして恩義をまぬかれ、その重荷を下ろし
たいと思っているので、自然か、あるいは偶然によって、
何かの友情の義務を負っていた人々から、忘恩や、侮辱
や、無礼を働かれて、幸いだと思ったことがしばしばあ
る。・・・
<馬車の疾走を抑えるように、友情の衝動を抑えるのは
賢者のすることである。>(キケロ「友情論」17)・・
恩義と感謝(これは微妙な、大いに有益な知識だが)に
ついて私の理解しうる限りでは、これまでの私よりも自
由で、負債のない者は一人もない。私のの負債といえば、
万人共通の、自然からの負債だけである。それ以外の負
債では、私以上にきれいに負債をすましている者はない。」
「私は、約束を守ることにはやかましすぎるほど几帳面
である。」
「エセー」(93)
<自由への道>
「与えるということは野心と優越の特質であるように、
受けるということは屈服の特質である。」
「誰でもかまわずなれなれしく利用して恩義を受ける人
々を見かけるが、もし彼らが賢者のように、この恩義の
負担がどんなに重いものであるかをよくよく考えたら、
そうはしないだろうと思う。」
「私はどんなに些細な場合にも、重大な場合にも、他人
の好意にすがる前に、できるだけそうしないですませよ
うとつとめる。・・・
私は、人に与えようとつとめるよりも、人から受けるこ
とを避けて来た。」
「エセー」(94)
<家族に見守られてなんか死にたくない>
「死はどこにおいても、私には同じである。だが、もしも
選べるものなら、床の中よりも馬の上で、家の外で、家族
の者たちから離れたところで死にたい。
友人たちに別れを告げるのは、慰めよりもむしろ胸をかき
むしられる思いがする。」
<姥捨て山>
「長い余生をだらだらと引きずって生きながらえているよ
うな人は、自分のみじめさに、多くの家族の者をまき込も
うと願うべきではあるまい。
だから、インドのある地方では、このような不幸におちい
りそうな人を殺すのを正しいと考えていたし、他の地方で
は、そういう人を一人ぼっちに打ち捨てて自分の力で生き
のびさせた。(ヘロドトス3-99)」
「エセー」(95)
<日本的な感性>
「私は自分が求める旅宿の快適さの中に、豪華さとか
広大さを考えない。そんなものはかえって嫌いである。
だが、ある簡素な清潔さは必要で、これはあまり技巧
をこらさないところにあることが多く、自然もこれを
いかにも自然らしい風趣で引き立ててくれる。」
<千差万別だからおもしろい>
「私は常に過剰を余計だと思うし、ぜいたくや豊富の
中にさえ窮屈を感じる。・・・
私は何にでも順応できる体質と、世界の誰とも共通な
好みをもっている。各国相互の間の風習の違いは、そ
の千差万別なることによって私を喜ばすだけである。」
「エセー」(96)
<人間はこんなゆき方をする>
「裁判官はたったいまある間男を処刑する判決文を
書いたばかりのその同じ紙から一片をくすねて同僚
の妻へ恋文を書く。」
<法律とは>
「アンティステネスは、賢者には、法律を無視して
恋愛することも、自分勝手に適当と思うことをする
ことも許した。
なぜなら、賢者のほうが法律よりもすぐれた意見を
もち、徳についてよりよく知っているからである。
彼の弟子のディオゲネスは、「混乱には理性で、運
命には自信で、法律には自然で立ち向かえ」と言った。」
「エセー」(97)
<娼婦ライス>
「娼婦のライスはこう言っていた。「あの方々はどんな
書物を書き、どんな知恵をもち、どんな哲学をお話しに
なるかは存じませんが、他の人々と変わりなくしばしば
私の門をたたきます」と。」
(ゲヴァラ「書簡集」1-263)
<宴会の心得>
「おまえが許す範囲内で羽目をはずして満足する者は一
人もない。」(ユウェナリス)
「エセー」(98)
<政治の基礎知識>
「政治に関する徳は、人間の弱さに順応し合致するために
、いろんな襞(ひだ)と角度と屈折のある、混ざりものの、
技巧をこらした徳であって、まっすぐな、純粋な、不変な
、清浄潔白な徳ではない。
純粋なままでいたい者は宮廷を去れ。
(ルカヌス「ファルサリア」))」
「国政にたずさわって汚れから免れている人は、奇蹟的に
免れているのだ。」(プラトン「国家」492e-493a)
「エセー」(99)
<名選手必ずしも名監督にあらず>
「自分を立派に導くことができても、他人を導くことが
できない人もいる。・・・
おそらく、一つのことができるということは、むしろ、
それ以外のことは下手にしかできないということの証拠
にほかならない。」
<人に適職あり>
「私は低い精神が高い物事に適しないと同じように、高
い精神は低い物事に適しないと思っている。
ソクラテスが、自分の部族の投票を数えて民会に報告す
ることができなかったために、アテナイ市民の物笑いの
種になったというのは本当だろうか。
(プラトン「ゴルギアス」474a)」
「エセー」(100)
<謙信もビックリ>
「アゲシラオスはかって戦争をしたことのある隣国の王が
領土内を通過させてほしいと申し入れて来たとき、その願
いを容れて、ペロポネソスを通ることを許した。
そしてこの王を意のままにできたのに、監禁も毒殺もしな
いばかりか、鄭重にもてなして、少しも害を与えなかった。
・・・
スパルタ人の純粋はフランスのそれとは似ても似つかぬも
のなのである。」
「優秀で清浄な人がいたら、これは怪物だ。」
(ユウェナリス13-64)
「エセー」(101)
<バカの解釈>
「いっそうばかにならないためには少しばかにならなければ
ならない。」
<いい加減は、無駄であること>
「どんなに有益なものでも、いい加減にしたのでは有益でな
くなる。」(セネカ「書簡」)
<自分の幸福とは>
「少しも他人のために生きない人は、ほとんど自分のために
も生きない人である。」
<売られた喧嘩も相手による>
「激情はすべてを台無しにする。」
(スタティウス「テーバイス」)
「エセー」(102)
<良い仕事をするために>
「そこに自分の判断と技巧だけを用いる人のほうが(熱烈な
欲望に駆られる人よりも)いっそう愉快に事を運び、状況に
応じて、自由自在に、偽装し、譲歩し、延期する。
標的をはずしても、苦しみも悲しみもせずに、すぐに立ち直
って新しい企てに取りかかり、いつも手綱を手に持って歩い
てゆく。だが、あの激しい、暴君のような意図に酔う人は、
かならず無謀と不正におちいる。
激烈な欲望に我を忘れるからである。これこそ無分別な行動
であって、よほど運がよくなければ、何の効果も生み出さな
い。
哲学はわれわれに、受けた侮辱を罰するときには、怒りを取
り除けと命じている。(セネカ「怒りについて」)」
「エセー」(103)
<いらないもの>
「ソクラテスは町の中を多くの富や宝石や高価な調度類が
豪華な行列を作って運ばれてゆくのを見て「私はずいぶん
多くのものを欲しがらないものだな」と言った。」
(キケロ「トゥスクルム論議」5-32)
<欲望の幾何学>
「われわれは欲望と所有を拡げれば拡げるほど、運命と災
禍の打撃にさらされる。
われわれの欲望の競走場は、われわれにもっとも身近な安
楽の狭い場所に制限されなければならない。そしてさらに、
その走路は別のところで終点になるような一直線のもので
はなく、円形で、その両端が狭い円周をえがいたあとに、
われわれ自身の中でふたたび合わさって終わるものでなけ
ればならない。
このような回帰、つまり、近い確実な回帰にない行為は、
吝嗇家や野心家などが直線上をまっしぐらに走る行為と同
じく、間違った、病的な行為である。」
「エセー」(104)
こんな簡単なこと、と思うかもしれないが、是々非々を
言える人は殆どいない。まず、マスコミは全滅である。
過ちを一つも犯さない人はいない。しかし、人は一つの
過ちを犯した人を抹殺する暴挙にでるのである。
<是々非々>
「泥棒でも美しい脚をもっていると言ってはいけないだ
ろうか。娼婦だからと言って、息が臭くなければならな
いだろうか。・・・人々は、ある弁護士を憎み出すと、
その翌日はその弁舌までを下手だと言う。・・・
私なら、こう言いきることができる。「あの人のあの行
ないは悪いが、この行ないは立派だ」と。」
「エセー」(105)
<賢人会議のある風景>
「われわれ人間のもっとも大きな混乱も、その動機と
原因はばかげたものである。・・・
わが国のもっとも賢明な人々が、仰々しい様子でたく
さんの公費を使い、条約や協定を取りきめるために集
まりながら、それの本当の決定は貴婦人方の私室のお
しゃべりや、どこかの名もない一婦人の気まぐれで、
決定的に決まるのを見た。一つのりんごをきっかけに
ギリシャとアジアを戦火と流血の巷と化した詩人たち
は、よくこの間の事情をわきまえていた。
(注:パリスのりんごがトロヤ戦争の原因になったこ
とを指す)」
「エセー」(106)
<ソクラテス>
「(ソクラテスは)高級な精神や豊富な精神を示した
わけでなく、ただ健全な精神を示しただけであるが、
しかし、そこには活気にあふれた純粋な健康さがある。
こういう平凡で自然な手段と普通のありふれた思想に
よって、興奮も発奮もせずに、もっとも正常で、しか
もこれまでにない崇高で力強い信念と行為と道徳を打
ち立てたのである。
天上でむなしく時を費していた人間の知恵を取り戻し
て、もっとも正当な、もっとも骨の折れる、もっとも
有益な働き場所である人間界に返してやったのはこの
人である。」
「エセー」(107)
<学問の弱点>
「学問は、しっかりした目で見つめると、人間のほかの
幸福と同じように、本来のむなしさと弱点を多くもって
いるし、高くつくものなのである。・・・
われわれが安穏に生きるためにはほとんど学問を必要と
しない。
<健全な精神を作るには学問はあまり必要ではない>
(セネカ「書簡」)」
<剛毅と忍耐>
「アリストテレスもカトーも知らず、模範も教訓も知ら
ずにいるあわれな民衆を見よう。だが、自然は、彼らの
間から毎日、われわれが学校であんなに一生懸命に学ん
でいるものよりもはるかに純粋で、はるかに力強い剛毅
と忍耐の実例を見せている。」
「エセー」(108)
<健康な人ほど重い病気になる理屈>
「実際、健康な肉体ほど重い病気にかかりやすいもので
ある。重い病気でなければこれを負かすことができない
からである。」
この理屈で、いえば楽天家ほど自殺をしやすい?
<平常心>
「もしもわれわれが着実に平静に生きることを知ったと
すれば、同じように死ぬことも知るであろう。」
「私は、近所の百姓たちが、どんな態度と確信をもって
最後の時を過ごしたらよいかなどと考え込むのを一度も
見たことがない。」
「エセー」(109)
<愚鈍学派設立の主旨>
「俗衆は愚鈍で理解力を欠くために、目前の不幸には
あんなにも辛棒強く、将来の災厄にはあんなにもとん
と無頓着なのではないだろうか。
また、俗衆の魂は皮が厚くて鈍いために、突き通すこ
とも動かすこともできないのではないだろうか。
ああ、神よ、もしもそうだとすれば、これからは、愚
鈍を教える学派を守り立ててゆこうではないか。
これこそ学問がわれわれに約束する窮極の果実である。」
モンテーニュがもし、「禅」というものが理解できたと
すれば、発狂するほどに歓喜したにちがいない。
「エセー」(110)
<ソクラテスの弁明ー死刑に服する言葉>
「私は、自分が死とつき合ったことも知り合ったことも
ないし、死を経験して私に教えてくれるような人にも会
ったことがないことを知っている。
死を恐れる人々はあらかじめ、死を知っていなければな
らない。だが私は、死がどんなものであるかも、来世に
どんなことが起こるかもしらない。おそらく死はよくも
悪くもないものだろう。あるいは望ましいものかもしれ
ない。・・・・
正しい人は、生きても死んでも少しも神々を恐れる必要
がない。」(プラトン「ソクラテスの弁明」)
「エセー」(111)
<ソクラテスの死>
「自分の死をこれほど無頓着に恬淡として迎えたことは、
後世に、彼の死をますます尊敬に値するものとした。
・・・
アテナイの市民は彼の死刑の原因を作った人々を極度に
忌み嫌って、追放された人々のように避け、彼らの手に
触れたものをことごとく不浄のものとし、浴場では誰一
人として沐浴を共にせず、挨拶も、近づきもしなかった
ために、彼らはとうとう皆の憎悪に耐えかねて、自ら首
をくくったからである。」
(プルタルコス倫理論集「羨みと憎しみについて」)
「エセー」(112)
美貌、ソクラテスはそれを「短い支配」といい、プラト
ンは「自然の特権」と呼んだ。
プラトンは、人生の幸福を健康、美貌、富の順に並べた。
<20人程度の覆面の武士に襲われたモンテーニュが助か
った訳>
「彼らの中のひときわ目立った者が覆面を脱いで、名前
を名乗り、何度も繰り返して、私が釈放されたのは、私
の顔つきと私の物言いが率直で毅然としていたために、
このような不幸に会うにはふさわしくないお方だという
印象を与えたからだと言った。」
<ソクラテスの顔>
「あらゆる偉大な特質において完全な模範であったソク
ラテスが、人々の言うように、うつくしい魂に似合わな
いあんなにも醜い肉体を持ち合わせたというのは、私に
は残念なことである。」
<ソクラテスの自戒>
「もしも教育によって心を矯正しなかったら私(ソクラ
テス)の顔の醜さはそのまま心の醜さを表わしたことだ
ろう。」
(キケロ「トゥスクルム論議」1-33)
「エセー」(113)
<無常というもの>
「小川の流れは、水の絶えることがなく、次々に、列を
なし、追いつ追われつ、永遠に流れて行く。あの水はこ
の水に押され、この水は別の水に追い越される。
常に水は水の中を流れてゆく。小川は常に同じでも、流
れる水は常に別の水である。」
(「ラ・ボエシ著作集」254-55)
参考:
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しく
とゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またか
くの如し。」(「方丈記」鴨長明)
「エセー」(114)
<自分の無知に気づくためにはある程度の知識が必要>
「知っている者はたずねる必要がない。なぜなら、すで
に知っているからだ。また、知らない者もたずねる必要
がない。なぜなら、たずねるためには何についてたずね
るかを知らなければならないからだ。」
(プラトン「メノン」80E)
「私の修業の成果は、学ぶべきことが無限にあると悟っ
たこと以外にはない。」
「自分の無力を思い知ったおかげで、私は謙虚に向かう
傾向と、命じられた信念には服従し、自説に対しては常
に変わらぬ冷静と節度を保とうとする傾向を身につけた
し、また、規律と真理の大敵であり、あくまでも自己を
過信する、あのうるさい喧嘩腰の傲慢に対する嫌悪を身
につけた。」
「エセー」(115)
<知恵と好意と大胆>
「自分に対する率直な判断を聞くにはきわめて強い耳を
もたねばならない。また、その言葉を聞いて気を悪くせ
ずにいられる人はほとんどいないから、これをあえてわ
れわれに試みようという人は、よほどの友情を示す人で
ある。・・・
プラトンは他人の魂を吟味しようとする人に、知恵と好
意と大胆の三つの特質を要求している。(プラトン「
ゴルギアス」)」
「エセー」(116)
<習慣>
われわれをつくるものは習慣である。モンテーニュはあ
るとき、乞食の子供を救ったことがあった。しかし、ま
もなく、子供は脱走して乞食に戻った。「乞食たちも、
金持ちと同じように、それなりの豪奢と快楽をもってい
る。」
<規則>
「規則と規律ずくめで引き回される生活ほどばかげた、
弱いものはない。
この人はごく近くへ行こうと思うときも、暦法の書物で
適当な時間を調べる。目の角(すみ)がむずむずすると
きも、星占いの書物で確かめてから目薬をさす。
(ユウェナリス)」
「エセー」(117)
<極端のすすめー紳士とは>
「私の言うことを真に受けるなら、ときどきは極端に
走るがよい。さもないと、ちょっとした道楽にも身を
滅ぼし、人とのつきあいにも扱いにくい不快な人間に
なる。
紳士たる者にもっとも不似合な生き方は、やかましす
ぎること、ある特別な生き方に束縛されることである。
生き方は、柔軟さがないと特殊なものとなる。」
「武人は、フィロポイメンが言うように、あらゆる種
類の変わった不規則な生活に自分を鍛えなければなら
ない。」
(プルタルコス英雄伝「フィロポイメン篇」)
「エセー」(118)
<モンテーニュの声>
「私の声は高くて強い。・・・
声には教えるための声、おもねるための声、あるいは
叱るための声がある。私の声は相手に達するばかりで
なく、相手を打ち、相手を突き刺すようであってほし
いと思う。
私が召し使いを、鋭く辛辣な調子で叱ったときに、
「旦那様、もっと静かにおっしゃってください。十分
に聞こえますから」などと言われたら結構なことだろ
う。」
「エセー」(119)
<夢を見ない人>
「歴史家たちによると、アトランティス島の人々は
けっして夢をみなかったし、死んだ動物の肉を食わ
なかったそうだ。」
(ヘロドトス4-184,プリニウス「博物誌」5-8)
「プラトンは・・夢から将来への教訓を引き出すこ
とが知恵の務めだと言った。」
(プラトン「ティマイオス」71E)
「エセー」(120)
<モンテーニュは美食家?>
「私は、食物はすべて可能な限り、あまり焼かない
ものが好きだし、たいていのものは、匂いが変わる
くらいまで古くなったものが好きだ。・・・魚でさ
えも、新しすぎ、肉がしまりすぎて困ることがある。
これは歯が弱いせいではない。歯はいつもすばらし
いほどよかったが、この頃、年のせいか悪くなり始
めた。私は子供の頃から、朝と食事の前後に
で歯をこする癖がある。」
「私はたいてい葡萄酒を水で半分に、ときには三分
の一に割って飲む。」
「エセー」(121)
<寿命と自然>
「古代の人だったソロンは人間の最も長い寿命を
七十歳としている。(ヘロドトス(1-32)・・・
自然の流れに逆らうものはすべて不快かもしれない
が、自然に従うものはすべて常に快適なはずである。
<自然に従って起こるものはすべて善の中に数えら
れるべきだ。>(キケロ「老年論」19)」
「エセー」(122)
<私は風である>
「われわれはすべてこれ風ではないか。そしてその
風さえも、われわれよりも賢明に、音をたてて動き
廻ることを好み、自分の仕事に満足して、自分の性
質でない安定や堅実を望もうとしない。」
<大きな運命なんて必要ない>
「「私だって重大な仕事をやらされたら、真価をみ
せてやれたのに。」—あなたは自分の生活を考え、
それを導くことが出来たか。それなら、もっと立派
な仕事を果たしたのだ。自然は、自己を示し、能力
を発揮するためには、大きな運命を必要としない。
・・・・われわれの務めは、・・・・
生き方に秩序と平静をかちとることである。」
「エセー」(123)
<一事が万事>
「心の賢い者は味覚も賢くなければならない。」
(キケロ「善悪の限界」2-8)
<高貴なる魂は気さくなり>
「自己を緩(ゆる)め、気さくに振舞えるというこ
とは、力強く気高い魂にとって、きわめて尊く、
いっそうふさわしいことだと思う。」
<汝自身を知れ>
「魂の偉大さは、昇ったり進んだりすることよりも、
自分を整え抑えることを知ることにある。」
<愚かな人生は不快なり>
「愚かな者の人生は不快で不安定で、未来のことば
かり考えている。」(セネカ「書簡」15)
「エセー」(124)
<志ん生もビックリ、酒に強いソクラテス>
「常に徒歩で従軍し、はだしで、氷を踏み、夏冬と
もに同じ衣服を着、仲間のだれよりも苦難に堪(た)
え、宴会でも不断と違う食べ方をしなかった。
二十七年の間、同じ顔つきで、飢えと貧困と子供た
ちの不従順と妻の爪に堪え、最後には、中傷と暴政
と牢獄と毒杯に堪えた。けれどもこの人は、人との
付き合いで、葡萄酒を飲む競走をさせられると、い
つも全軍でいちばん強かった。
また、子供たちとおはじき遊びをすることも、木馬
に乗って遊ぶこともこばまなかった。しかも、その
姿は実に優雅だった。」
「エセー」(125)
<愚者の特徴>
「なすべきことを怠けながら不承不承(ふしょうぶ
しょう)におこない、肉体と精神とを別々の方向に
駆り立て、両者を相反する運命に引き裂くのは、愚
者の特徴である。」
(セネカ「書簡」74)
<美しい生活>
「もっとも美しい生活とは、私の考えるところでは、
普通の、人間らしい模範に合った、秩序ある、しか
し、奇蹟も異常もない生活である。」
「エセー」(126)-完
「エセー」が初めて日本に紹介されたのは、
昭和10年(関根秀雄訳)。
デカルト、モリエール、ルソー、モンテスキュー、
ジード、カミュ、サルトルも「エセー」の愛読者。
特に、パスカルの「パンセ」については、聖書から
来ていないものは全て「エセー」から来ているとま
でいわれた。
哲学者ジョン・ロックはモンテーニュの教育論
(1-26)によって彼自身の教育論を書いている。
ドイツでは、ゲーテ、ショウペンハウエル、ニー
チェが影響を受けている。
<モンテーニュの生涯>
無常なり<4人の子供が生後まもなく死んだ>
1533.02.28生まれ、里子に出される。
1554 21歳、高等法院参議となる。(父、ボルドー
市長となる。)
1565 32歳、 フランソワーズ。ド・ラ・シャセー
ニュ21歳と結婚。
1568 35歳、父死去。
1570 37歳、長女出産。2ヶ月後に死ぬ。
1571 38歳、次女生まれる。
1572 39歳、「エセー」の執筆はじめる。
1573 40歳、三女生まれるが、七週間で死ぬ。
1574 41歳、四女生まれるが3ヶ月後に死ぬ。
1578 45歳、腎臓結石の発作を起こす。「ガリヤ戦記」熟読。
1583 50歳、ボルドー市長に再選される。
六女が生まれるが、数日で死ぬ。
1585 52歳、ボルドー市にペスト発生、全市民非難。
1588 55歳〜読書に熱中。
1590 57歳、アンリ4世よりの要職要請を断る。
1592.09.13 59歳で死去。
著述に専念できたのは、53歳以後の6年間。