モンテーニュ41〜80
「エセー」(41)「すべての事柄がすべての人にふさわしいとは限らない」
(プロペルティウス)
<結婚とは>
「人間社会の中でもっとも必要で、もっとも有利なもの
を選ぶとすれば、結婚であろう。
だが、聖人たちの教えは、その反対の決意をより正しい
ものとみなして、ちょうどわれわれがもっとも値打ちの
ない馬を種馬に当てているように、結婚から人間のもっと
も尊い職業を締め出している。」
「エセー」(42)
<私は・・最初の人間である>
「世の著者たちは自分を何かの特別な珍しいしるしに
よって人々に知らせる。私は、私の全存在によって、
文法家とか、詩人とか、法曹家としてでなく、
ミシェル・ド・モンテーニュとして、人々に自分を示
す最初の人間である。」
「私はときどき矛盾したことを言うらしい。だが、デ
マデスが言ったように、真実に反することはけっして
言わない。」
デマデス:BC4世紀のアテナイの大雄弁家
「エセー」(43)
<私の著作の取り柄>
「いかなる人も、自分で知りかつ理解している主題を、
私がここに企てた主題を論ずるよりも、うまくは論じ
なかったという点、そしてこのことにかけては、私は
現存する人の中でもっとも造詣が深いという点である。
第二に、いかなる人も、自分の扱う主題を私ほどに深
く掘り下げなかったし、その部分や関連を私以上に綿
密に調べもしなかったし、また、自分の仕事において
、自ら立てた目的に、私以上に正確に、完全に到達し
なかったという点である。」
「私はめったに後悔しない。私の良心は自分に満足し
ている。・・・私は問う者、無知なる者として語り、
その決定を、無条件に、単純に、一般の正しい考えに
任せる。私は決して教えない。語るだけである。」
「エセー」(44)
<名誉への近道>
「名誉に達するもっとも近い道は、名誉のためにする
ことを良心にためにすることであろう。」
「魂の偉大さは、偉大さの中ではなく、平凡さの中に
発揮される。」
<生まれつきの傾向は直し難い>
「邪悪な魂が何かの外部の刺激で善いことをすること
があるように、有徳な魂も、ときには悪いことをする
ことがある。」
「狭い檻の中に飼い馴らされて野生を忘れ、恐ろしい
形相を去って、人間に従うことに馴れた獣も、一度か
わいた口に数滴の血が入ると、たちまち狂暴に立ちか
えり、血を味わった喉をふくらませて、怒りに狂い、
おののく主人に飛びかかる。」
(ルカヌス「ファルサリア」4-237)
「エセー」(45)
<古今東西、変わらない嘆き>
「現代の人々に共通な真の罪業は、引退の生活さえも
腐敗と汚辱に満ちており、匡正(きょうせい)の観念
さえも曇っており、贖罪さえも罪過とほとんど同じく
らいに、病的で誤っていることである。
ある人々は生まれつきの愛着か長い間の習慣によって
、不徳にへばりついているために、そのことの醜さに
気がつかずにいる。」
「エセー」(46)
<小人閑居して不善をなす>
「閑居の不善は労働によって追い払うべきである」
(セネカ)
<神々の仕事ーアリストテレス>
「思索は、自己を力強く検討し行使することのできる
人にとっては、強力な、充実した勉強である。・・・
最も偉大な心の人はこれを自分の職業とする。<彼ら
にとって生きることは考えることだ>(キケロ)」
<男の会話>
「努力を要しない会話は、ほとんど私の興味を引かな
い。」
<知恵の基準>
「民衆の無知にとけ込めないような知恵は、すべて味
がない。」
「エセー」(47)
<ふさわしい、ということ>
「もっとも良い仕事というのはもっとも無理のない
仕事である。・・・「自分の能力に応じて」とは、
ソクラテスの好んで口にした文句であり、きわめて
内容のある言葉である。」
<女性にすすめる学問とは>
「よい生まれつきのご婦人方は、もしも私の言うこ
とを真に受けて下さるなら、自分に特有な、天性豊
かな美質を発揮するだけで満足すべきである。・・
彼女らの美しさは技巧の下に埋没し去っている。
<化粧箱から出てきたようにめかし込んで>これは
彼女らが自分を知らないからである。
この世に女ほど美しいものはない。・・・
彼女らが修辞学とか、占星術とか、論理学とか、そ
の他これに類した、彼女らの役にたちそうもない下
らぬしろものに没頭しているのを見ると、私は、こ
れをすすめた男達がこれを口実に彼女らを支配しよ
うとしているのではないかと心配になる。
・・・
だが、もしも、何事によらず、われわれ男性にひけ
を取ることが癪だというなら、そして、好奇心から、
書物を読んでみたいというなら、詩こそは彼女らの
要求にふさわしい楽しみである。
詩は彼女らとおなじく、浮気で、繊細で、おしゃれ
で、おしゃべりで、面白ずくめ、はでずくめの芸術
である。
また、歴史からもいろいろな利益を引き出せよう。
哲学では、実生活に役立つ部分から、われわれ男性
の気質や性格を判断し、男性の裏切りから身を守り、
彼女ら自身の軽率な欲望を規制し、気儘を抑制し、
人生の喜びを延ばし、召使いの気まぐれや夫の横暴
や年齢や皺の不幸やその他に柔和に堪えるように訓
練してくれる所説を学びとればよい。
学問のうちで、彼女らにふさわしいものとして私が
選ぶものは、せいぜい以上のようなものである。」
「エセー」(48)
<交際、友達について>
「われわれは自分の欲望を、もっとも安易で手近な
物事に向けて、そこにとどめなければならない。
・・・
私のおだやかな、あらゆる険しさや激しさを嫌う生
き方は、私を羨望や敵意から易々と免れさせてくれ
たと言えよう。
人から愛せられるとまでは言わないが、私以上に人
から憎まれる種をもたない者はけっしてなかったと
言えよう。
けれども、私の交際の冷たさが、私から多くの人々
の好意を奪い、別のもっと悪い意味にとられたのも
無理はない。
私は稀有の無上の友情を獲得し維持することにはき
わめて有能である。
自分の好みに合う交際には、非常に渇望してとびつ
くからそこに自分を現わし、貪るように突進する。
だから、自分から進んで行くところには、容易に自
分を結びつけ、よい印象を与えずにはおかない。
・・・
だが、普通の友情にはいくらかそっけなく冷たい。
私の進み方は、いっぱいに帆を張らないと自然でな
いからだ。・・・
「友情とは対(つい)の動物で、群をなす動物では
ない」
(プルタルコス倫理論集「友達の多いことについて」)」
「エセー」(49)
<社交好きな私が孤独を愛するわけ>
「私の本質は自分を外にあらわして皆と交わること
に向いている。・・・私が孤独を愛してこれを説く
のは、主として私の感情や思想を私自身に集中する
ためであり、私の歩みを抑制し制限するためではな
くて、欲望と心労を抑制し制限するためである。
外部のことで気をつかうことを避け、隷属と恩義に
縛られることを死ぬほどきらうからである。・・
孤独な場所に離れていることは、実を言うと、かえ
って私を外に向かって大きく拡げる。
私は孤独でいるときにかえって国家や世間の問題に
没頭する。
ルーブルの宮廷や群集の間にいると私は自分の殻の
中に閉じこもる。群集は私を私自身の中に押しもど
す。」
「エセー」(50)
<お付き合いしたい人>
「私が親密なお付き合いを願いたいと思う人々は、
正しく有能だと言われる人々である。
そういう人々を見ていると他の人々がいやになる。
・・・
この交際の目的は、ただ親密と友好と歓談だけで
ある。つまり、魂の修練で、それ以外に何の成果
も望まない。われわれの会話では話題は何であっ
てもよい。
重さや、深さがなくともかまわない。そこには常
に優雅さと適切さがある。すべてが円熟した、恒
常な判断にいろどられ、善意と率直と快活と友情
がまじっている。・・・
私は沈黙と微笑の中にさえ仲間の見分けがつく。
・・
ヒッポマコスが「すぐれた闘技士は路上を歩いて
いるところを見るだけでわかる」と言ったのは正
しい。」
「エセー」(51)
<どんな女も魅力的である>
「どんなに不器量に生まれついた女でも、自分を
きわめて魅力的だと思わない者はいない。
また、年が若いとか、笑い顔がいいとか、挙措動
作が美しいとか、どこかに、自慢するものをもた
ない女もいない。
・・・
実際、何もかも完全に美しい女がいないと同じよ
うに、何もかも完全に醜い女もいない。」
<女の打算は、男の裏切りへの対抗策>
「男から愛を誓われてすぐに真に受けないような
女はいない。ところで、今日のように、男たちの
裏切りが普通で当たり前になると、すでにわれわ
れが経験で知っているようなことが必然的に起こ
ってくる。・・・
つまり、プラトンの中のリュシアス(プラトン
「パイドロス」)の説くところに従って、男達の
真の愛情が少なければ少ないほど、利益と打算ず
くで、身を任せてもよい、と考えるのである。」
「エセー」(52)
<書物と私>
「私は書物を、守銭奴がその財産を享楽するよう
に享楽する。いつでも好きなときに使えることを
知っているからである。
私の心はこの所有権だけで満ち足りている。私は
平時にも戦時にも書物を持たずに旅行することは
ない。
だが、何日も、何ヶ月も読まずに過ごす。「いま
に読もう」とか、「明日」とか、「気が向いたら
」とか言っているうちに時が過ぎてゆく。だが、
べつに気にならない。実際、書物が私のそばにあ
って、私の好きなときに楽しみを与えてくれると
考えると、そして、書物が私の人生にどんなに救
いになるかを思い知ると、どれほどの安らぎとく
つろぎを覚えるかは言葉では言い尽くせない。
これこそはこの人生の旅に私が見出した最良の備
えである。
だから、知性のある人で、これをもたない人をた
いへん気の毒に思う。」
「エセー」(53)
<大きな運命は大きな隷属である>
「私の考えでは、自分の家に、本来の自分に立ち
帰れるところ、自分自身を大事にできるところ、
自分で隠れるところをもたない者は実にあわれである。
野心はその信奉者たちに立派な仕返しをしている。・・
<大きな運命は大きな隷属である>(セネカ「ポリュビ
オスへの慰め」)彼らにとっては、便所さえも隠れ場で
はない。・・・
だから、私は、けっして一人になれないことよりもむし
ろ常に一人でいることのほうが堪えやすいと思う。」
「エセー」(54)
<読書の欠点>
「私は若い頃には人に見せびらかすために勉強した。
その後は少し賢くなるために勉強した。いまは楽しみ
のために勉強している。けっして何かを獲得するため
ではない。・・・床や壁を飾ろうという空虚な金のか
かる考え方はずっと前に捨ててしまった。・・・
けれどもどんな楽しみも苦しみをともなわないものは
ない。
この読書の楽しみも他の楽しみと同じように、・・
それなりの不便をもち、しかもきわめて重大な不便を
もっている。つまり、精神は働くが、私が精神と同じ
ようにおろそかにしたことのない肉体が、その間活動
しないで、不活発に、元気がなくなることだ。
私にとってこれほど有害な、そして、このような老境
に向かいつつある年齢にあってこれほどさく避くべき
不節制はないと思う。」
「エセー」(55)
<決闘の心理–考えをそらすということ>
「激戦の最中に、武器を手にして死ぬ人は、死を味わ
ってはいない。死を感じも考えもせずに、戦闘の激し
さに心を奪われているのである。
私の知っているある貴族が、決闘の最中に転倒して、
自分でも敵から九回か十回、剣で突かれたように感じ、
並みいる人々も口々に、「魂の救いをお祈りしなさい」
と叫んだが、彼があとで私に語るところによると、そ
の声は耳には聞こえたが、そのために少しも動揺する
ことがなく、ただ、危地を脱して仕返しをすることし
か考えていなかったそうである。」
「エセー」(56)
<人間生活の機微>
「クセノフォンは花輪の冠を頭にのせて、犠牲を捧げて
いるときに、息子のグリュロスがマンティネアの戦で戦
死したという知らせを受け、思わずかっとしてその冠を
地面にたたきつけた。だが、続いてその死に方がきわめ
て勇敢だったと聞くと、それを拾い上げてふたたび頭に
のせた。
・・・
クセノフォンは、「同じ傷、同じ労苦も、大将には兵士
ほどにつらくない」と言った。
エパメイノンダスは、味方が勝ったと知らされて、いっそ
う喜んで死んでいった。<これこそもっとも大きな悲しみ
の慰めであり、罨法(広辞苑「あんぽう」:炎症または充
血などを除去するために、水・湯・薬などで患部を温めま
たは冷やす療法)である。>
その他、こういう事情がわれわれをとらえ、事柄そのもの
の考察からそらし、まぎらすのである。」
「エセー」(57)
<苦痛からの脱出法>
「つらい考えにとらえられたときは、それを征服するより
も変えるほうが近道だと思う。」
<悪い評判の回復法>
「アルキビアデスは世間の評判の向きを変えるために、
美しい飼い犬の耳と尻尾を切って町の広場へ追いやって、
民衆に話の種を与え、自分のほかの行いについて何も言
わせまいとした。」
(プルタルコス英雄伝「アルキビアデス篇」)
<つまらぬことがわれわれを翻弄する>
「つまらぬことがわれわれの気持ちをそらせ、変えさせ
る。なぜなら、つまらぬことがわれわれをとらえるから
である。
われわれは事物を全体として、そのものだけとして見な
い。われわれの心を打つのは、些細な上っ面の事情と姿
である。」
「エセー」(58)
幽霊の正体みたり枯れ尾花
(芭蕉)
<人間と夢想の関係>
「われわれ人間以外に、空虚に養われ支配されるものが
何かあるか、・・・
カンビュセスは弟がペルシャ王になるだろうという夢を
見たためにこれを殺した。・・・
メッセニアの王アリストデモスは愛犬たちのある鳴き声
から不吉な前兆を読み取って自殺した。
ミダス王も不快な夢に心を乱し、悲しんで自殺した。」
「エセー」(59)
「過ぎ去った生活を楽しめることは人生を二度生きるこ
とだ。」(マルティアリス)
<老人に告ぐ>
「プラトンは老人たちに、若者たちが運動や舞踊や遊戯
をしているところに出掛けていって、自分になくなった
肉体のしなやかさや美しさを他人の中に見て喜び、自分
の若い頃の美しさや愛らしさを思い出すように命じた」
(プラトン「法律」)
「エセー」(60)
<老年論>
「私は偉大な、豪勢な、豪奢な快楽よりも、むしろ
甘美で、容易な、手近の快楽を欲する。」
「青年には剣と、馬と、槍と、棍棒と、毬(まり)と、
水泳と、競走をもたせよ。われわれ老人には数ある遊戯
の中で、サイコロとカルタだけを残しておいてくれれば
よい。」(キケロ「老年論」)
「病める精神はいかなる苦痛にも堪えられない。」
(オイディウス「黒海便り」)
「ひびの入ったものを割るにはほんのわずかの力があれ
ば足りる。」
(同上)
「悲しみは諧謔でまぎらすべきである。」
(シドニウス・アポリナリス「書簡」)
注:諧謔(かいぎゃく):おもしろい気の利いた言葉。
おどけ。しゃれ。滑稽。ユーモア
「私は快活で愛想のよい賢さは好きだが、いかめしい顔
つきはどれも信用しないから、謹厳で厳粛な生き方を敬
遠する。」
「暗い顔の悲しい傲慢さ。」
(ブカナン「洗礼者ヨハネ」)
「エセー」(61)
<気さくな人の魂は善い>
「私はプラトンが、人の気持ちの気さくか気むずかしい
かは、魂の善し悪しに大いに影響する、と言ったことに
心から賛成する。
ソクラテスはいつも同じ顔をしていた。ただし、晴れや
かでにこにこした顔で、老いたクラッススのように誰も
笑ったのを見たことがない顔ではなかった。徳は愉快な
楽しい特質である。」
「エセー」(62)
いまだに、「秘密」を守れますか?と聞く人がいる。
<秘密>
「秘密を守るためには、生まれつきそういう素質がなけ
ればならない。義務ではそうはなれない。
王侯方に使えるには、秘密を守るということのほかに、
さらに嘘つきでなければ十分ではない。」
「エセー」(63)
<悪口とは>
「ソクラテスは、あなたの悪口を言っている者があると
知らせた人に向かって、「私のことではない。彼らの言
っていることは私の中には一つもないから」と言った。
この私も、もし誰かにすぐれた水先案内人だとか、きわ
めて節制家だとか、あるいはきわめて純潔だとか誉めら
れたとしても、すこしもありがたいとは思わないだろう。
同じように、裏切り者とか、泥坊とか、酔払いとか呼ば
れても、少しも傷つけられたとは思わないだろう。
・・・
私は私自身をはらわたまで見て研究しているし、私自身
に属するものをよく知っている。」
「エセー」(64)
<恥ずかしがり屋の老人へ>
「恥かしがりは青年には飾りとなるが、老人には非難の
種となる。」
(アリストテレス「ニコマコス倫理学」)
<芸術に興味がない人は自分にも興味をもてない>
「あまりにもウェヌスを避けようとする者は、ウェヌス
を追いすぎる者と同じように失敗する。」
(プルタルコス倫理論集「哲学者はとくに君主と話し合
うべきことについて」)
注:ウェヌス (Venus 『魅力』の意) はローマ神話の女
神。本来は囲まれた菜園を司る神。
ギリシャ神話におけるアプロディテ、美と愛の女神。
日本語ではヴィーナス( ビーナス)。
「エセー」(65)
<恋愛結婚は正しい?>
「結婚は本人のためにするものではなく、それと同等に、
あるいはそれ以上に、子孫や家族のためにするものである。
・・・
だから私には、本人よりも第三者の手で、自分の判断に
よらずに他人の判断で結ばれる結婚の方法が好ましい。
・・・
アリストテレスは、妻には慎重に、真面目に触れなければ
ならぬ、あまりみだらにくすぐりすぎて、快楽で理性の埒
(らち:柵の事)を踏みはずさせてはいけない、と言って
いる。
・・・
私の見るところでは、美貌や愛欲によって結ばれた結婚ほ
ど早く紛争を起こして失敗するものはない。」
「よい結婚というものがあるとすれば、それは恋愛の同伴
と条件をこばみ、友愛の性質を真似ようとする。」
「エセー」(66)
<結婚の是非>
「ソクラテスは妻をめとるのとめとらないのでは、どちら
がいいかときかれて、「どちらにしても後悔するだろう」
と答えた。」
(ディオゲネス・ラエルティオス「ソクラテス篇」2-33)
「現代では結婚が単純な庶民の間でかえってうまくいって
いる。庶民の結婚は快楽や好奇心や無為にそれほど乱され
ないからである。
私のように、あらゆる種類の規範や義務をきらう放縦な気
質の人間は、結婚にはあまり向かない。」
「夫には主人のように仕え、裏切り者に対するように用心
せよ」(フランスのことわざ)
「エセー」(67)
<神様だって女房はこわい>
「女は、けっして結婚しようと思わない男にだって身を
任せることがある。ここに言うのは、女にとって、男の
財産がどうこう言うのでなく、人柄そのものがいやな場
合のことである。
恋人と結婚して後悔しなかった男はほとんどない。これ
は神様の世界でも同じことである。
ユピテルは最初に情を交わし、愛の喜びを味わった妻と、
いかに仲の悪い夫婦であったことか。
ことわざにも「籠の中にクソをすれば、あとで頭にのせ
ねばならぬ」というのがある。」
注:ユピテル(Jupiterローマ神話の神)
ヘレネス神話の、浮気で有名なゼウス。
「エセー」(68)
<女性には適わない愛の営み>
「ご婦人方が惜しみなく与える愛情は、結婚においては、
過剰となり、愛情と欲望の鉾先を鈍らせる。この不都合
を避けるために、リュクルゴスとプラトンがその法律の
中でどんなに苦心しているかをごらんなさい。
女性は世間に認められている生活の掟をこばんだとして
も、少しも悪いことはない。これは男性が女性の同意な
しにきめたものだからである。
彼女らとわれわれとの間に策謀や闘争があるのは自然で
ある。
・・・
われわれは、彼女らがわれわれと比較にならないほど、
愛の営みに有能で熱烈であることを知っている。
このことは、はじめ男で、あとから女になった昔のある
僧侶も、証言しているし(オイディウス「メタモルフォ
セス」)かって別々の時代に、この道の達人として有名
なローマのある皇帝(ティトゥス・イリウス・プロクル
ス)とある皇后(メッサリナ)自身の口からも語られて
いる。(この皇帝は一晩に、捕虜にしたサルマティアの
十人の処女の花を散らした。だが皇后のほうは、欲望と
嗜好のおもむくままに、相手を変えながら、実に一晩に
二十五回の攻撃に堪えた。」
「エセー」(69)
「女性は前世で放埒な男性だった」
(プラトン「ティマイオス」42)
<女は、すべてお見通し>
「ある日、私の耳は偶然に、彼女らの間に交わされる会
話を、誰にも怪しまれずに盗み聴きすることができた。
・・・
私はこうつぶやいた。「ああ、ああ。今になって、われ
われがアマディウスの文句やボッカッチョやアレチーノ
の物語を学んで利口ぶろうとするなんて、まったく無駄
な暇つぶしだ。
どんな文句、どんな実例、どんなやり方だって、彼女ら
がわれわれの書物よりもよく知っていないものはない。
これこそ女性の血管の中に生まれる教えなのだ。」
「エセー」(70)
「地上に住むすべてが、人間も、獣も、水に住む魚類も
、家畜も、色とりどりの鳥類も、恋の火に狂おしく突進
する。」(ウェルギリウス「農耕詩」)
「プラトンによると、神々はわれわれに、手に負えない
横暴な器官を与えたが、この器官は横暴な動物のように
強烈な欲望によってすべてを自己に服従させようとする。
同じように、女性の体内にも、ある強欲で貪婪な動物が
いて、適当な時期に食物を与えられないと、待たされる
ことにいらいらして、自分を抑え切れなくなり、その怒
りを全身に吹き込み、もろもろの管をふさぎ、呼吸をつ
まらせ、ありとあらゆる種類の病気を引き起こし、しま
いには、全身の渇望する果実を吸って、子宮の奥を豊か
にうるおし、種を播かないとおさまらないのだそうであ
る。」
「エセー」(71)
<寝取られた男たちの対応について>
「ルクルスも、カエサルも、ポンペイウスも、アントニ
ウスも、カトーも、その他の立派な人々も妻を寝取られ
た。そしてそれを知っても騒ぎ立てなかった。当時それ
を苦にして死んだのは、レピドゥスという愚か者だけで
ある。」
(プルタルコス英雄伝「ポンペイウス篇」)
<浮気に腹を立てる女>
「天の女王であるユノーすらも、夫の毎日の不行跡に腹
を立てる。」(カトゥルス)
「(嫉妬が)いったん心をとらえてしまうと、好意の元
であった同じ原因が恐ろしい憎悪の元となる。・・・
夫の徳、健康、長所、名声が妻の憎悪と憤怒に火をつけ
る。」
「エセー」(72)
<享楽・・・女の作法>
「スキュティアの女は、奴隷や、戦争で捕虜にした男を、
いっそう自由に、内密に享楽するために、男の目をえぐ
り取った。」(ヘロドトス)
<売春法第1号>
「ソロンは、ギリシャで、女性が生活の資を得るために
貞操を売ることを法律で許した最初の人だそうである。
(コルネリウス・アグリッパ「学問の空しさと不確かさ
について」63)
もっとも、ヘロドトスは、この習慣は、その前にも多く
の国家で認められていたと言っている」
「エセー」(73)
<女を拘束するなかれ>
「錠をかけ、女を閉じ込めよ。だが誰がその番人たちを
見張るか。女は抜け目がないから、まず番人たちから手
をつけるぞ。」
(ユウェナリス)
<疑惑解除、一つの方法>
「ある国民の間では、神官が結婚式の当日に花嫁の処女
を破る習慣があった。それによって花婿が初めての試み
に、はたして花嫁が処女のままで自分に嫁いできたか、
それとも自分以外の男の愛で汚されているかと考える
疑惑と好奇心を取り除こうとした。」
(ゴマラ「インド通史」)
「エセー」(74)
<嫉妬と頭>
「女性の本質は疑惑と、虚栄と、好奇心の中にとっぷりと
漬かっている・・・
女性から受ける害のうちで、嫉妬ほどひどいものはないと
思う。これは女性の性質の中でもっとも危険なもので、
ちょうど女性の身体の諸部分のうちでは頭がそうであるの
に似ている。
ピッタコスは、「人にはそれぞれ悩みがある。私のは妻の
悪い頭だ。これさえなければあらゆる点で仕合せだと思う
のだが」と言った。(プルタルコス倫理論集「爽快な気分
について」)」
「エセー」(75)
<自殺請願許可>
「マルセーユの上院が、妻のヒステリーから免れるために
自殺の許可を申し出た男の請願を認めたのはもっともであ
る。(カスティリオネ「廷臣論」)
なぜなら、この病気は自分と一緒にすべてをさらわなけれ
ばなくならない病気であり、また、二つともきわめてむず
かしい方法であるが、逃げるか、我慢するか以外に、妥協
の方法がないからである。
「よい結婚は盲の妻と聾(つんぼ)の夫の間に成り立つ」
と言った人はこの間の事情をよく心得ていた人だと思う。」
「エセー」(76)
<バカな男もナメたらアカン>
「彼女(メッサリナ)は初めのうちは、よくあるように、
夫に隠れて不貞を働いた。だが、夫が間抜けなために、恋
の遊びをあまりにもやすやすと運ぶことができるので、こ
れまでのやり方が急につまらなくなった。そこで公然と恋
をし、恋人たちのいることを認め、皆の見ている前で彼ら
をもてなし、ちやほやした。
彼女は夫に感づいてくれればいいと願ったが、夫のバカは
こんなにされても目が覚めなかった。そして、まるで彼女
の不貞を許し、認めているかのように、あまりにも鷹揚だ
ったので、彼女の快楽は、だらけて味のないものになった。
そこでどうしたかというと、まだ健康でぴんぴんしている
皇帝の妃でありながら、世界の舞台であるローマで、白昼、
堂々と盛大な式典をあげて、久しい前からむつみ合ってい
たシリウスと、夫の皇帝が市外に出て留守のときに結婚し
たのである。」
(タキトゥス「年代記」)
「けれども彼女が出会った最初の困難は最後のものとな
った。夫のバカが突然目を覚ましたからである。・・・
皇帝は彼女を殺し、彼女と情を通じた多くの男を殺した。」
「エセー」(77)
<言葉とは>
「言葉の品位を高め、内容を増すものは生気溌剌たる
想像である。<雄弁を作るものは心である>われわれ
現代人は言葉を判断と呼び、美しい言葉を充実した思
想と呼ぶ。・・・
プルタルコスは、自分は事物によってラテン語を知っ
た、と言っているが、・・意味が言葉を照らし、生み
出すのである。」
「才気ある人々が国語を駆使すると、国語は一段と価
値を増す。国語を新しくするからではなく、伸ばした
り曲げたりして一段と力強い、いろいろな用い方をし
て充実させるからである。
少しも新しい言葉を加えるわけではなく、ただ、これ
までの言葉を、意味と用法の重さと深さを増して豊富
に使い分け、いままでにない働きを、しかも、慎重に、
巧妙に教えるだけである。」
「エセー」(78)
<神様仏様>
「私は私の流儀にしたがって誓うときには、ただ、
「神にかけて」とだけ誓う。これはあらゆる誓いの中
でもっとも単純直截な誓いである。
ソクラテスは「犬にかけて」、ゼノンはいまでもイタ
リア人が使っている間投詞の「山羊にかけて」、ピュ
タゴラスは「水と空気にかけて」と誓ったそうである。」
余談:
「ゼノンは、生涯に一度しか女と交渉をもたなかったそ
うである。その交渉も、礼儀のために、つまり、あまり
頑固に女を軽蔑すると見られたくないためにしたのだそ
うである。」
(ディオゲネス・ラエルティオス「ゼノン篇」7-13)
「エセー」(79)
<欲望への単純な空想>
「昔、飲み込む食物をもっと長く味わうために、喉が
鶴のように長ければよいと望んだ人があった。」
(アリストテレス「ニコマコス倫理学」3-10)
持続された空想は現実になる。いまだに鶴のような長い
喉をもたない人間にとって、食の味わいにたいする欲望
は、第一意ではなかった、と思わざるを得ない。
<貧乏人の一つの習慣>
「焼肉の匂いをかぎながら、自分のパンを出して食べた
という話がある。」
(ラブレー「第三の書」38)
「エセー」(80)
<アレクサンダーよ、あたいと寝ないか?>
アマゾン族の女王タレストリスはアレクサンドロスを
訪ねてこう言った。
「私はあなたの勝利と武勇の評判を聞いて、あなたに
お目にかかり、あなたの遠征のお手伝いに私の資力と
兵力を捧げにやって参りました。
いま、あなたのかくも美しく、若く、逞しいお姿を拝
見いたしましたが、この私も、あらゆる点で完全であ
りますので、私と臥所(ふしど)を共になされてはい
かがですか。
世界中でもっとも勇ましい女性と、今生きているうち
でもっとも勇ましい男性との間に将来、偉大にして稀
有な何ものかが生まれ出ますように」
アレクサンドロスは、その地に十三日間逗留して、そ
の間、勇ましい女王のために出来る限り楽しく宴を張
った。(ディオドルス・シクルス17-16)