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モンテーニュ

< モンテーニュ・エセー>
モンテーニュ1533-1592
Michel Eyquem de Montaigne
「エセー」(1)

最近の悲しみの表現はどこか嘘っぽい。

<no2 悲しみについて>
「軽い悲しみは語り、深い悲しみは沈黙する」
(セネカ「ヒッポリュトス」)

<no3 われわれの感情はわれわれを超えてゆくこと>
ソクラテスは最後に臨んでどのように葬られた
いかと尋ねたクリトンに「おまえの好きなよう
に」と答えた。(プラトン「パイドン」)

<no4 心は正しい目標を欠くと、偽りの目標に
はけ口を向けること>
「事柄に怒ってはならぬ。事柄はわれわれがい
くら怒っても意に介さない。」
(プルタルコス「怒りを抑える方法」)

–空舟に衝突しても怒りの先は見つからない–

<no8 無為について>
「確固たる目的をもたない精神は自分を失う。」

「無為は常にさ迷う精神を生む」
(ルカヌス「ファルサリア」)
「エセー」(2)

<no20 哲学をきわめることは死ぬことを学ぶこと>
「哲学をきわめるとは死の準備をすること」
(キケロ)

「あらかじめ死を考えておくことは自由を考える
ことである。」

<no21 想像力について>
「私は何かの病気を調べているうちに、その病気
をとらえて、自分の中に宿してしまう」

「彼は日中非常な興味を覚えながら闘牛を見物し、
その夜一晩じゅう頭に角の生える夢を見たために、
想像の力によって本当に額に角が生えた。」
(プリニウス「博物誌」11-45)

「眼は眼病にかかった眼をみていると自分も眼病
になる」(オウィディウス「愛の妙薬」5-615)

「エセー」(3)

<no26 子供の教育について>
「剛毅、信義、誠実が真の哲学であり、それ以外
を目的とする学問は虚飾にすぎない」
(プラトン「アリストドロスへの手紙」)

「知恵のもっとも明白なしるしは、常に変わらぬ
喜悦であります。」(セネカ「書簡」59)

「事柄が明らかになれば、言葉はおのずから従う」
(ホラティウス「詩論」311)

「心を打つ言葉だけが味わいがある」
(ルカヌスの墓碑銘)

「真理に役立つ話し方は、巧まずに、単純でなけ
ればならぬ」
(セネカ「書簡」40)

<no28 友情について>
「友情にあっては、もしも一方が他方に与えること
がありうるとすれば、親切を受け取るほうこそ、こ
れを与えるほうに恩義を施すことになるであろう。」

男女の友情が成立しないのは、その目的が肉体的で
飽満を免れえないからである。
女性の才能は、この神聖な結合(友情)を育てるに
は適していないし、永い結合の緊縛に堪えるだけ強
くはないようである。
「女性がそこ(友情)に到達したという実例は一つ
もない。そして古代の学派はみな一様に、女性を友
情から締め出している。」

「エセー」(4)

<no30 節制について>
「過度に徳を求めれば、狂人といわれ、正しい人も
不正な人と呼ばれる」
(ホラティウス「書簡詩」1-6-15)

「哲学は適度に学べば面白く快適なものであるが、
結局は、人間を交際嫌いにし、不徳にし、宗教や
一般のしきたりを軽蔑させ、社交や人間のもろもろ
の快楽を敵視させ、あらゆる政治に不向きにし、他
人を救うことも自分を救うこともできなくし、誰か
らも嘲笑されるにふさわしいものにする」

<no32 天命を判断するには慎ましくすること>
「われわれは太陽の光線から与えられる光だけで満
足しなければならない。目を上げてじかにもっと多
くの光を得ようとする者は、傲慢の罰として目が見
えなくなっても驚いてはいけない。」

<no39 孤独について>
「われわれは出来れば、妻も、子供も、財産も、そ
してとくに健康も、持つべきである。だが、われわ
れの幸福がただそれだけに左右されるほどに縛られ
てはならない。そのためには、完全に自分自身の、
まったく自由な店裏の部屋を一つ取っておいて、そ
こに自分の真の自由と唯一の隠遁と孤独を打ち立て
ることができるようにしなければならない。」

ソクラテスいわく、若者は教養を積まねばならない。
成人は善行に励まねばならない。そして、老人は定
職の義務も負わずに気儘に生きてゆかねばならない、
と。

「エセー」(5)

<no42 われわれの間にある差異について>
「もしも精神が卑しく愚かな人間だったら、それが
何になるか。快楽も幸福も、生気溌剌たる精神がな
くては感じられない。」

「満ち足りて、思いのままになる恋愛は、過度の美
食が胃をこわすように、うとましい」
(オウィディウス「恋愛詩」2-19-25)

「豊富ということほど、楽しみの妨げとなり、人を
不快にするものはない。」
(カルコンディラス「東ローマ帝国衰亡史」3-13)

「プルタルコスはどこかで、動物相互の間には、人
間相互の間にあるような大きな差異はないと言って
いる。・・・私はプルタルコスに輪をかけて、人間
相互の間には人間と動物の間における以上の差異が
ある、と言いたい。」

「健康や、美貌や、体力や、富や、その他、善と称
せられるすべてのものは、正しい者には善となるが、
不正なものには悪となる。」(プラトン「法律」)

「エセー」(6)

<no46 名前について>

<ノートルダム寺院の場所は、暴行者の家>
「ポアチエにあるノトル・ダーム・ラ・グラン寺院
の由来は次のように伝えられている。
その近くに住む放蕩者の若者が、若い娘を手ごめに
して、まずその名前をたずねると、娘はマリアと答
えた。彼はわが救世主の御母である聖処女の御名に
非常に強い敬虔の念に打たれ、ただちに女を追い返
したばかりでなく、その後の一生を贖罪に捧げた。
そしてこの奇蹟のために若者の家のあった場所に
ノトル・ダームに捧げる礼拝堂が建立され、それが
のちに今日見られるような寺院となったのである。」

<音楽の力>
「ピュタゴラスは、あるとき、一緒にいた若者達が
祭りの気分に浮かれて、貞淑な子女の家を荒らしに
行こうと企んでいるのを察して、踊りの伴奏をして
いた女に命じて調子を変えさせ、荘重で、厳粛な、
長々格の音楽を弾かせた。そして、いつの間にか彼
らの血気を眠らせて取り鎮めた。」

人名によらず、企業名、商品名など、よい名前を
もつことは大切である。
「ソクラテスも、子供にいい名前をつけてやるこ
とは父親の大いに心すべきことだといっている」

「エセー」(7)

<われわれの判断の不定なことについて>
「何事にも賛否はいくらでも言える」
(ホメロス「イリアス」20-249)

「誤った考えが成功し、思慮深い考えが間違う
ことがある。運命はかならずしも正しい道理を
認めないし、それに値するものを助けるとは限
らない。」(マニリウス4-95)

「我々はでたらめに、無思慮に理性を働かす。
われわれの理性も、われわれと同様に、偶然と
密接なかかわりをもつからである。」
(プラトン「ティマイオス」)

<酩酊について>
「プラトンは18歳未満の少年に酒を飲むことを
禁じ、40歳未満の者に酔っ払うことを禁じてい
る。しかし、40歳を過ぎた者には、大いにこれ
を楽しむことを命じ、食事の中にたっぷりとディ
オニュソス(酒神バッコス)の感化をまぜるこ
とを命じている。」

「エセー」(8)

<ケオス島の習慣について>

<最も避けるべき暴力>
「良心に対して加えられる暴力のうちでもっとも
避くべきものは、私の考えでは、婦人の貞操に対
する暴力であると思う。そこには自然にいくらか
の肉体的快楽がまじるからである。また、そのゆ
えに、婦人の拒否も完全ではありえないし、その
暴力には婦人の側からの多少の同意がまじるよう
に思われる。
ペラギアとソフロニアは二人共、聖女の列に加え
られているが、前者は数人の兵士の暴行を避ける
ために母と妹たちとともに河に身を投げ、後者も
皇帝マクセンティウスの暴行を逃れるために自殺
した。
教会の歴史は、暴君どもが良心を辱しめようとし
たのに対し、死をもって身を守った信心の厚い婦
人たちのこのような多くの実例に敬意を表してい
る。」

<自殺は絶望か>
「アンブラキアのクレオンブロトスはプラトンの
「パイドン」を読んで大いに来世にあこがれ、ほ
かにこれという理由もないのに、海に身を投げた。
このことから、自殺を絶望と呼ぶのがいかに不適
当であるかは明らかである。」

「エセー」(9)

<結婚と年齢>
「私は33才で結婚しましたが、アリストテレス
の説といわれる35才説に賛成します。プラトン
は30才前には結婚すべきではないと言っていま
す。もっとも55才以後に結婚の営みをする人た
ちを軽蔑して、彼らの子供は養育するに値しな
いと言っているのも正当です。」

「スペイン領インドのある地方では、男は40を
過ぎてからでないと結婚を許されませんでした。
女は10才で許されました。」

<女>
「妻は常に夫の意見に逆らいたがるものです」

「金持ちな女ほど善良です」

「貧困や窮乏は男性よりも女性にとってはいっ
そう不似合いで、耐え難いものです」

「彼女らはもっとも間違っているとき、最も自
分が可愛いのです」

「女には・・・男の上に立つ権力を与えるべき
ではないと思われます。・・・彼女らの選択は
常に気まぐれです。・・・彼女らには本当に値
打ちのあるものを選び、これを抱くだけの理性
の力がありません」

「エセー」(10)

<愛読書>
プルタルコスの「倫理論集」とセネカの「書簡」
「彼らの教えは哲学の精華であり、表現は単純、
適切である。プルタルコスはより一様で恒常であ
り、セネカはより多様と変化に富んでいる。後者
は努力し、緊張して、惰弱や恐怖や諸々の不徳な
欲望に対して徳を武装させようとする。
前者はこれらの悪徳の力をそれほど高く買わず、
そのために足を早めたり身構えたりするのをばか
にしているようにみえる。
プルタルコスはプラトン的な、おだやかな、市民
社会に順応した意見をもっている。
セネカはストア的な、エピクロス的な意見、一般
の習慣からはより離れているが、私の考えでは、
個人生活により適した、より強固な意見を持って
いる。・・・プルタルコスはどこにおいても自由
である。セネカは警句と名言に満ちており、プル
タルコスは事実に満ちている。
前者は人を刺激し、感奮させる。後者はそれ以上
に人を満足させ、よりよき報いを与える。
プルタルコスはわれわれを導き、セネカはわれわ
れを駆り立てる。」

「エセー」(11)

<ソクラテスの徳は称賛に値するか>
「ソクラテスの精神は私の知る限りもっとも完全
なものであるが、・・・(果たして称賛すべきも
のなのか?)・・・この人の中には、不徳な情欲
のいかなる働きも認めることができないからであ
る。私は、彼の徳の歩みの中に、いかなる困難も
いかなる葛藤も想像することができないし、彼の
理性があまりに強く、あまりにも権威をもってい
るために、不徳な欲望が生まれることさえできな
かったのを知っている。
彼のようなあんなに高い徳に対しては、いかなる
抵抗も考えることができない。
彼の徳は勝ち誇った足取りで、堂々と、悠々と、
いかなる障害にも会わずに、歩いてゆくように見
える。」

「エセー」(12)

<動物との会話>
「プラトンはサトゥルヌスが治めていた黄金時代
を描いて(「ポリティコス」272)、当時に人間
の主な長所の中に、動物と話し合うことができた
ことをあげている。
そして人間が動物たちから尋ねたり学んだりして、
それぞれの動物の真の特徴と差異を知っていたた
めに、きわめて完全な知性と思慮を得て、今のわ
れわれよりもずっと幸福な生活を送っていたとい
っている。」

「自然が動物にいろいろの体形を与えたのは、そ
れをいまの人間に吉兆の占いのために使わせよう
としたからにほかならない」
(プラトン「ティマイオス」72)

「エセー」(13)

<良心について>
「悪事は悪事を企む者をもっとも苦しめる」
(アウルス・ゲリウス「アッティカ夜話」)

「どんな隠れ家も悪人どもには役にたたない。
良心が彼らを彼ら自身にあばくので、安心して
隠れていられないからだ」
(エピクロス)

<友情、動物について>
「王リュシマコスの犬ヒルカヌスは、主人が死
ぬとその寝台の上に座ったまま、飲もうとも食
おうともしなかった。そして主人の遺骸が焼か
れた日に、いきなり駆けだして、その火の中に
身を投げて、焼け死んだ。
ピュロスという人の犬も同じだった。その犬は、
主人が死んでから寝台のそばを離れず、遺骸と
一緒に運ばれていって、最後に主人が焼かれて
いる薪の山に飛び込んだ。」

「エセー」(14)

<賢いという禍>
「あまりに賢すぎないことは大きな幸いである」

「考えるところには、けっして楽しい生活がない」
(ソフォクレス)

「知識が多ければ苦痛も多い」
(「伝道の書」)

「単純な者と無知な者は高められて天国を得るが、
われわれは知識のゆえに地獄の深淵に落ちる」
(聖パウロ)アグリッパ「学問のむなしさと不確か
さについて」

「無知なるものがかえってよく神を知る」
(聖アウグスティヌス「秩序について」)

「神々の御業を知るよりも信ずるほうが、いっそう
神聖で敬虔である」(タキトゥス「ゲルマニア」)

「神は徳にも不徳にもひとしくかかわりがない」
(アリストテレス「ニコマコス倫理学」)

「神は愛情にも怒りにも動かされない。なぜなら、
こういうものはすべて弱い者に属する特性である
から」(キケロ「神々の本姓」)

「エセー」(15)

–禅以前、しかし、禅に似たるもの–

<ピュロン主義者の不動心(アタラクシア)>
「不動心とはわれわれが事物についてもっているつも
りでいる意見や知識の印象から受ける動揺を受けるこ
とのない、平和で冷静な生き方である。実はこの動揺
から、恐怖、吝嗇、羨望、過度の欲望、野心、高慢、
迷信、新し好き、反逆、反抗、執拗、その他大部分の
肉体的な病気が生じるのである。」

<ピュロン主義者の信条>
「自分を知り、自分を判断し、自分を非難する無知は
完全な無知ではない。完全な無知であるためには、自
分自身についても無知でなければならない。したがっ
てピュロン主義者の信条は、動揺し、疑い、探究し、
何事にも確信をもたず、何事も保証しないということ
になる。」

<ピュロン主義者の表現>
「「これでもないし、あれでもない」「私にはわから
ない」「外見はどこもおなじである」「賛成も反対も
ひとしく可能である」「真実らしく見えるもので虚偽
らしく見えないものはない」「神は、われわれがこれ
らの事物を知ることではなくて、用いることだけを欲
し給う」・・・
人間の考え出した学説の中でこれほど真実らしさと有
用さをもつものはない。この学説は人間を、赤裸で空
虚なもの、おのれの弱さを認め、天上からの何かの外
来の力を受けるにふさわしいもの、人間的な知恵を去
ってそれだけ神の知恵を宿すにふさわしいもの、自分
の判断を捨ててそれだけ多く信仰に席を譲ろうとする
もの、不信心でもなく、一般の慣習に反するどんな説
も立てず、謙虚で、従順で、素直で、熱心なもの、異
端を徹底的に憎むもの、したがって、誤った宗派によ
って持ち込まれたむなしい、不敬な教説に煩わされな
いもの、として描いている。」

「エセー」(16)

われわれの想像力は果たして進化しているだろうか?

<神とはなにか>
「タレスは、・・神は水で万物をつくる精霊だと考え
た。・・アナクシメネスは、神は空気であり、生み出
された無限のもので、常に動いていると考えた。
アナクサゴラスは、・・万物の配置や秩序が無限な力
と理性に導かれているものと考えた。
ピュタゴラスは、神を、万物の本性に偏在する精神で
あり、われわれの精神もそこから分かれたものである
とした。・・エンぺドクレスは、万物の元である四つ
の元素であるとした。・・
プラトンは、・・その存在を詮索してはならないと言
い(「法律」)・・ヘラクレイデスは、・・神は感情
をもたず、次々と形を変えるものであると言い、天と
地であるとも言った。
・・
クセノファノスは、神は円く、目と耳を持ち、呼吸せ
ず、人間と何の共通点ももたないものであるとした。
・・
ディアゴラスとテオドロスは、神々の存在をきっぱり
と否定した。」

「エセー」(17)

<存在とは>
私の、「存在論」の結論は、以下、ルクレティウス
の言葉と同じである。
「宇宙の中に唯一のものは何もない。単独で生まれ、
単独で生長するものは何もない。」
(ルクレティウス2-1077)

注:ルクレティウス
Titus Lucretius Carus BC94-BC55
「物の本質について」(岩波文庫)

自分というものは、考えてもわからない。
自分がどんな人間と付き合い、どんなことに関わっ
ているか、ということが、即ち、「自分」なのだ。

「あるらしく見えるものの中で無以上のものは何も
ない。不確実以外に確実なものは何もない。」
(ナウシファネス)
これは、まるで量子力学の世界である。

パルメニデスは、あるものは「一」だけである、と
言い、ゼノンは「一」すらも存在しないという。
「もし「一」があるとするならば、他のものの中に
あるか、それ自身の中にあるかのいずれかである。
他のものの中にあるとすれば、それは二つである。
それ自身の中にあるとしても、含むものと含まれる
ものとで、やはり二つである。」

「人間は実に愚かである。一匹のダニもつくれない
くせに、何ダースもの神をつくる。」

「エセー」(18)

プラトンは神の子だったというお話

<プラトンの両親>
「アテナイでは、プラトンが父方も母方も神々の出で
あり、一族の共通の祖先としてネプトゥヌス神をいた
だいているということだけではまだ足りないみたいに、
次のことがまことしやかに信じられていた。
すなわち、アリストンは美しいペリクティオネを物に
しようとして果たすことができなかった。
そして夢の中でアポロンの神から、彼女が分娩するま
では、無垢のまま手を触れずにおくようにとのお告げ
を受けた。
このアポロンとペリクティオネの間に生まれたのが、
プラトンだというのである。」

「母、間人皇女は救世観音が胎内に入り、皇子を身籠
もった」という聖徳太子出生伝説を思い出させる。

「エセー」(19)

<目で見たことしか信じない人へ>
「人間の目は、物事を自分の知っている形でしか
とらえることができない。」

<専門家の愚かさ>
「学問の始めと終わりは、愚かさの点で一致する」

<プラトンは来世を信じていた?>
「プラトンは、・・来世の報いを、人間の寿命に
釣り合わせて、百年間に限るとした。」
(プラトン「国家」第10巻615A)

「プラトンは、・・来世における刑罰や報酬も、現世
の生命と同じように、一時的なものにすぎないと言った。
そして、精神が何度も旅をして滞在してきた天国や地獄
や現世について、不思議な知識をもっていることが想起
の材料になると結論した。」
(プラトン「メノン」)

プラトンは「われわれが学ぶことは一度知ったことの
想起にすぎない」と言った。
(プラトン「パイドン」)

「エセー」(20)

<人間の能力の程度は一事が万事である>
「一つの物が他の物よりも、より多く、あるいは
より少なく、理解されるということはありえない。
なぜなら、すべての物についての理解の仕方はただ
一つだから。」
(キケロ「アカデミカ」)

<言葉の意味>
「万物はその中に外見どおりのものをもっている」
(ヘラクレイトス)

「事物はその中に、けっして外見どおりのものを
もたない」
(デモクリトス)

上記二人の意見は実は、同じなのである。
言葉の意味とは、言葉にはなく、誰がそれを言った
かにある。

<こんな男は嫌われる>
「ソクラテスの妻が、「おお、よこしまな裁判官た
ちが不正にも夫を死刑にする」と言って悲しむと、
ソクラテスは「それならおまえは私が正当な理由で
処刑されたほうがいいと言うのか」と答えた」

「エセー」(21)

<盲人の視覚言語>
「生まれつき盲の、少なくとも視覚とは何であるか
を知らないくらい幼いときから盲の人に会ったこと
がある。
彼は自分に欠けているものをまったく理解していな
いために、われわれと同じように視覚に特有な言葉
を用い、それを全く独特な方法で用いていた。
自分が名付け親になった子供を差し出されると、そ
れを両手に抱いて、「ああ、美しい子だ。見るから
に気持ちがいい。なんて可愛い顔をしていること」
と言った。」

「人類もまた、何かの感覚を欠いているためにこれ
と同じような愚かなことをしているかも知れない。」

「エセー」(22)

<死について>
「カエサルは、どういう死がもっとも望ましいかと
聞かれて「もっとも思いがけなくもっとも短い死だ」
と答えた。」

「不幸な、堪えがたい出来事ばかりでなく、生の飽満
も、死にたい気持ちを起こさせるのだ。」

「次のことを銘記しなければならない。すなわち、「
人はなかなか死期に達したとは思わないものだ」とい
うことである。これが自分の最後だと覚悟して死ぬ人
はほとんどいない。また、そのときほどはかない望み
に欺かれることもない。」

<欲望>
「われわれの欲望は、手中にあるものを軽蔑し、それ
を飛び越えて、手元にないものを追い求める」

「欠乏と豊富は同じ不幸におちいる」

「困難は事物に価値を与える」

「エセー」(23)

<恋人と長く付き合う方法>
「もしも長く恋人をおさえておきたいなら、すげなく
せよ」
(オイディウス「恋愛詩」2-19-33)

<厳格・羞恥・貞潔・節制>
「あの乙女らしい羞恥のしなは何のためだろう。落着
きはらった冷たさや、きびしい顔つきや、教えるほう
のわれわれよりもよく知っている事柄を知らないふり
をするのは何のためだろう。
われわれに、これらのすべてのとりすました儀礼や障
害を征服し、抑えつけて、欲望の足下に踏みにじって
やろうという気持ちを増大させるためでなくて何であ
ろう。・・・
われわれにとっては、彼女らの心が恐怖にふるえ、わ
れわれの言葉に純潔な耳を汚され、いやいやながら、
われわれのしつこさに負けてやむをえず同意するのだ
と信ずることが必要なのだ。」

「彼女は柳の陰に逃げてゆくが、始めから見つかるこ
とを望んでいる」
(ウェルギリウス「田園詩」3-65)

「エセー」(24)

<栄誉について>
「世界中の栄誉も、理性ある人にとっては、これを
得るために指一本のばすにも値しない」

「「なんじの生活を隠せ」という(エピクロスの)
教訓は、人々に公の仕事や交際にかかずらうことを
禁ずるものであるが、これはまた必然的に、栄誉を
軽蔑することを前提とする。
なぜなら、栄誉は、人前にあからさまに見せる行為
に対する世間の称賛であるからだ。」

「アリストテレスは、栄誉に、外的な幸福のうちの
第一位を与えている。そしてこれを求めすぎること
も避けすぎることも両極端の悪として避けるように
教えている。」
(アリストテレス「ニコマコス倫理学」)

「立派な婦人は誰でも、自分の良心を失うよりは
むしろ名誉を失うほうを選ぶ。」

「エセー」(25)

<美貌の価値について>
「人間同士の間にあった最初の区別、互いの優劣を
きめた最初の基準は、おそらく美においてすぐれて
いることであったらしい。」

「土地はめいめいの美貌と体力と才知に応じて分配
された。なぜなら、美貌は尊ばれ、体力は重んじら
れたから。」
(ルクレティウス5-1109)

「小さい男は可愛いが美しくない。」
(アリストテレス)

「プラトンも、彼の国家の統治者には節制と勇気と
ともに、美貌を要求した。」
(プラトン「国家」第7巻535A,B)

「背丈の美しさだけが男性の唯一の美しさである。」
家来どもの真ん中にいる自分が、「ご主君はどこに
おいでですか」とたずねられるのは、まったく癪に
さわる。

「エセー」(26)

<真実に不忠な人は嘘にも不忠である>
「いったい、始終自分をごまかし、偽ることから、
人々はいかなる利益を期待するのだろうか。
結局、真実を言ったときにも人から本気にされなく
なるというだけではないだろうか。」

「アポロニオスは、嘘をつくのは奴隷のすること、
真実を言うのは自由人のすることと言った。」

「アリスティッポスは、哲学から得た第一の利益は、
誰にでも自由に、率直に話すことである、と言った。」

「心が疑いの中にあるときは、わずかの重みで、こっち
にも、あっちにも傾く。」
(テレンティウス「アンドリア」)

<愚かさの増幅>
「彫刻家は、立派な材料を手にして、へたくそに、彫刻
の規則に反していじくり廻せば、つまらない材料を使う
場合よりもいっそう愚かさをあらわすし、われわれも、
石膏における欠点よりも金の彫像における欠点を見て腹
を立てるようなものである。」

「エセー」(27)

<古今東西、いずこも同じ>
「もっとも軽蔑に値しない階級は、その単純さのゆえに
いちばん下層を占めている人々であるように思われる。
そして彼らの交際はずっと正常であるように思われる。
私(モンテーニュ)は、いつも百姓たちの行状や言葉が、
われわれの哲学者たちのそれよりも、真の哲学の教えに
かなっていると思っている。」

<快楽と苦痛>
「われわれの快楽の極致は、うなったり泣いたりしてい
るように見える。」

「神々はいかなる幸福をも純粋で完全なままでは与えな
い。われわれは何かの苦しみを払ってそれを買っている。」

「ソクラテスは、「ある神様が苦痛と快楽とを一つにま
ぜ合わせようとしたがうまくいかないので、せめて尻尾
のところだけでも結びつけようとした」と言っている。」

「メトロドロスは、「悲しみにはいくらか楽しみがまじ
っている」と言った。」

「エセー」(28)

<背教者ユリアヌス>
「本当に、ユリアヌス帝は実に偉大で稀有な人物であった。
精神は哲学の思想に濃く色どられ、・・・どの種類の徳に
おいてもきわめていちじるしい模範を残した。純潔という
点では、・・・数ある絶世の美人の捕虜の中の誰にも会お
うとしなかった。正義という点では、わざわざ自分で訴訟
の両方の言い分を聞いた。出頭した者どもには、好奇心か
ら、どの宗教を奉ずるかをたずねたけれども、キリスト教
に対していだいていた敵意のために、いささかも判断の天
秤を傾けなかった。自らも、多くのよい法律を作り、前の
皇帝たちが徴集した租税の大部分を撤廃した。
・・・ユリアヌス帝は確かに厳格ではあるが、残酷な敵で
はなかった。・・・(ある日)土地の司教マリスが大胆に
も「キリストの邪悪な反逆者」と呼ばわったが、彼(ユリ
アヌス)はただ「去れ、あわれな者よ、おまえの目が見え
ないことを嘆け」と答えただけだった。・・・・
彼の質素については、常に兵士と同じ生活をした。
そして平時にも、戦時のきびしさに自分を鍛えるような食
事をとった。・・・(そして彼は)あらゆる種類の文学に
精通していた。・・・われわれの記憶では、彼ほど多くの
危険に立ち向かい、試練に身をさらした人はほとんどいな
い。・・・宗教に関しては、あくまでも誤っていて、キリ
スト教を捨てたために、背教者とあだ名された。」
モンテーニュの「ユリアヌス」評を読んで、辻邦生の「背
教者ユリアヌス」を読むのも一興なり。

「エセー」(29)

<法律とは>
「法律からあらゆる不便と不都合を取り除こうとする
のはヒュドラの頭を切ろうとするようなものだ。」
(プラトン「国家」第4巻、426D)
注:ヒュドラ:ギリシャ神話の九頭の蛇でヘラクレス
に退治された怪物。一つの頭を切るとその跡に新たに
二つの頭ができたという。

<よい目的に用いられる悪い手段について>
「いまやわれわれは長い泰平に損なわれている。戦争
よりも恐ろしい惰弱に侵されている。」

「今日でもこのように論ずる者がたくさんいる。彼ら
はわれわれの中にたぎっている感情がどこか隣国との
戦争にまぎらわされることを望んでいる。」

「つつましい処女も、一太刀ごとに立ち上がり、勝利
者が敵の喉に剣を突き刺すごとに喜びの声をあげ、親
指をそらして、地に倒れ伏した敵を殺せとせき立てる。」

「エセー」(30)

<仮病をつかってはならぬこと>
病気の真似をしていると、本当に病気になる、という
お話。
「病人になるための気遣いと装いと報いは大したもの
だ。カエリウスの痛風の真似は、真似でなくなった。」

「運命はわれわれの冗談をそのままに受け取るのを喜ぶ
ように思われる」

<臆病は残酷の母>
「経験からも、意地悪くむごたらしい苛酷な心には普通
、女々しい惰弱が伴う・・・私は最も残酷な人々がつま
らない原因のために、きわめて涙もろいのを見た。」

「エセー」(31)

<ボクシングの創始者>
「プラトンは彼の国家の子供を教育するのに、アミュコス
とエペイオスによって伝えられた拳闘と、アンタイオスと
ケルキュオンによって伝えられた角力(すもう)を禁じた。
それが青年を軍務に順応させるのとは別の目的をもち、何
の役にも立たないからである。」

アミュコス:ギリシャ神話の中の、ポセイドンの子で拳闘
の発明者
エペイオス:トロヤ戦争の木馬の考案者で、優れた拳闘家。

アンタイオス:ポセイドンとガイヤの子。巨人でリュビア
に住み、通過する旅人に角力をいどみ、勝っては殺し、そ
の勝利品で父神の神殿を作った。

ケルキュオン:エレウシスの英雄。巨人で通行人に角力を
強いて殺した。

「エセー」(32)

企業戦争たけなわな昨今、指導者達の
愛読書とはなんであろうか。

<戦争の達人ーユリウス・カエサル>
「カエサルこそは、戦術の真実最高の模範として
あらゆる武人の枕頭の書とすべきである」

「(カエサル)の語り方はきわめて純粋で、精巧
で、完璧で、私(モンテーニュ)の好みからすれ
ば、この部門で彼の著作に比べられるものは絶無
と言ってよい。」

「(カエサル)は兵士たちを、・・・単純に服従
するように訓練した。」

「機会を的確にとらえることと迅速であることと
は大将たる者の最高の特質である」(カエサル)

「カエサルはきわめて節制家だった。けれども
危急の際に必要とあれば、カエサルほど自分の
命を軽んずる者もなかった。」

「エセー」(33)

<最も偉大な男性について>
「もしもこれまでに知ったあらゆる男性の中で
誰を選ぶかと聞かれたら、三人の群うぃ抜いて
すぐれた人物がいると思う。

・ホメロス
・アレクサンドロス大王
・エパメイノンダス

<ホメロス>
「彼は盲目で貧乏だった。・・・彼の詩やその他
の学問は少年期にはすでに、成熟した完全な姿に
出来上がっていた・・・古代人が「彼には自分の
前には模倣すべき人がなく、自分のあとにも自分
を模倣しうる人がなかった」と証言した・・・
アリストテレスによると、彼の言葉は運動と行為
をもつ唯一の言葉である。つまり、実質をもつ唯
一の言葉だというのである。
プルタルコスは・・「いつも違った姿を現わし、
新しい魅力の花を咲かせて、けっして読者を倦み
疲れさせない唯一の著者である」

「エセー」(34)

<最も偉大な男性について-2>
「もしもこれまでに知ったあらゆる男性の中で
誰を選ぶかと聞かれたら、三人の群を抜いて
すぐれた人物がいると思う。

・ホメロス
・アレクサンドロス大王
・エパメイノンダス

<アレクサンドロス大王>
「わずか三十三才で人間の住める土地をことごと
く勝利者として踏破したあの偉大さはどうだろう。
・・・正義、節制、寛容、信義、部下に対する愛
情、敗者に対する仁愛などの多くのすぐれた徳は
どうだろう。・・・一挙にたくさんのペルシャ人
の捕虜を殺したことや、約束を破ってまでインド
の兵士の一隊を殺したことや、コッサイオイ族を
子供にいたるまで殺したことなどは、ちょっと弁
解のできない激情に駆られた行為である。・・・
彼のことを、徳は自然から得、不徳は運命から得
ている、と言ったのは至言である。・・・
彼はいささか自慢好きで、自分の悪口を聞くのに
我慢がなさすぎたこと、、・・・奇跡的なまでに
まれな美しさと特徴をもった体格をしていたこと、
あれほどに若々しく、燃えるような紅顔の下に堂
々たる風采を保っていたこと、・・・知識、才能
にすぐれていたこと、偉大な栄光が純粋無垢に、
汚点と羨望を絶して長く続いたこと、彼の死後も
長く、その像を刻んだメダルを帯びる者にしあわ
せが来るということが宗教的信念になっていたこ
と、・・・今日でも、他のあらゆる歴史を軽蔑す
るマホメット教徒が彼の歴史だけは特別に信用し、
尊敬するということ、これらのことを全部ひとま
とめにして考える人ならば、私がカエサルさえも
さしおいてアレクサンドロスを選ぶことも当然だ
というであろう。カエサルこそは私にこの選択を
迷わせた唯一の人物である。
またカエサルの武勲には彼自身の力によるものが
より多く、アレクサンドロスの武勲には運命に負
うものがより多いことも否定できない。
この二人は多くの等しいものをもっていたが、あ
る点ではおそらくカエサルのほうが偉大であった。」

「エセー」(35)

<最も偉大な男性について-3>
「もしもこれまでに知ったあらゆる男性の中で
誰を選ぶかと聞かれたら、三人の群を抜いて
すぐれた人物がいると思う。

・ホメロス
・アレクサンドロス大王
・エパメイノンダス

<エパメイノンダス>
「栄光については、他の二人には及びもつかない。
・・・剛毅と勇気については、それも野心に刺激さ
れたものではなく、知恵と理性によってきわめて正
しい魂の中に植えつけられたものについては、想像
しうる限りのものをもっていた。・・・ギリシャ人
は異口同音に、彼らの中の第一人者という名誉を与
えた。・・・彼の知識と才能については、「彼ほど
多くを知り、彼ほど少なく話した人はない」という
古人の判断が今もそのままに残っている。・・・
品性と良心については、国政にたずさわるいかなる
人をも遠くしのいでいた。・・・この点では、いか
なる哲学者にも、いや、ソクラテスにさえもひけを
とらない。・・・公の仕事にも私の仕事にも、平時
にも戦時にも、偉大に輝かしく生きることにも死ぬ
ことにも、申し分ない。人間の人格や生活で私がこ
れほどの尊敬と愛情をこめて見つめるものはほかに
ない。・・・彼は、生涯の最大の満足はレウクトラ
の勝利で父母を喜ばせたことだと言った・・・・
彼は、たとえ自分の祖国の自由を回復するためであ
ろうと、理由を究めずに一人でも殺すことは許され
ないと考えていた。」

「エセー」(36)

<不徳の役目>
「吹きすさぶ嵐に大海が荒れるとき、陸の上から他人の
苦労を眺めるのは楽しいことだ。」(ルクレティウス)

「もしも、これら(上記)の性質の萌芽を人間から取り
除くならば、人間の根本的な性状をも破壊することにな
ろう。同様に、あらゆる国家にも、必要な職務ではある
が、下賤なばかりでなく不徳な職業がある。諸々の不徳
はそこに所を得て、われわれの社会を縫い合わせる役目
を果たしている。
ちょうど毒がわれわれの健康の維持に役立つようなもの
である。」

しかし、モンテーニュは、こうしたこと(不徳)は神経
の太い人にまかせなさい、といっている。
「われわれ弱虫はもっと容易な危険の少ない役目を引き
受けよう」

「エセー」(37)

<私(モンテーニュ)のやり方>
「私のやり方はあけっぴろげで、初めて会う人々の心に
もやすやすと取り入って、信用される。
率直と純粋な真実とはいかなる時世にも、その好機を得
て立派に通用する。それに、自分の利益を考えずに動く
人々の自由な物言いは、疑いも受けないし、嫌われもし
ない。・・・私の率直な物言いは、その強さの故に、私
を仮装の嫌疑から容易に解放してくれた。(私はどんな
に言いにくい、辛辣なことでもずけずけ言ってのけたか
ら、本人のいないところでもそれ以上にひどいことは言
えなかったろう。)・・・
私は、・・・憎悪や愛情の感情に駆られないし、侮辱や
恩義のために意志を動かされない。・・・正当で公正な
意図はすべて、もともと平静で穏健なものである。・・
私はどこでも昂然と頭を上げ、明るい顔と心で歩くこと
ができるのである。」

「エセー」(38)

<自分に不実なものは会社に対しても不実である>
「自分が欺瞞の道具としての役目を演じなければ
ならぬときでも、少なくとも良心だけは完全にし
ておきたい。
人から、「あの男はいざとなれば誰をも裏切るほ
ど自分に真心と忠義をつくしてくれる」と思われ
るようにはなりたくない。
自分自身に対して不実な者が主人に対して不実な
のは無理もないことである。」

「エセー」(39)

公務員が税金を自らの欲望のために使い込むという
事件、ニュースが毎日のように流れ、国民の怒りを
かっている。
しかし、公務員というものは、想像以上につらい
仕事なのだ。

モンテーニュは言う、公務に就かなかったのは私の
決心のおかげというよりも、むしろ好運のおかげで
ある、と。

<公務の常識>
「われわれの間では、潔白なだけでは何もできない。
偽装なしでは交渉もできないし、欺瞞なしでは取引
もできない。だから、公務につくことはどう見ても
私の得手ではない。」

<公務の悲劇>
「セイヤヌスの娘は処女であるため、ローマの裁判の
ある規定ではこれを死刑にすることができなかったの
で、法律を通すために、その首を絞める前に獄吏に
汚させた。この獄吏は手ばかりではなく、心までも
国家のために奴隷となった。」

「エセー」(40)

<結果と行動>
「ポンペイウスの一兵士は、敵側にいる自分の兄弟
をそれと知らずに殺したが、恥辱と悲嘆のあまりそ
の場で自害した。
ところが、・・・ある兵士は自分の兄弟を殺したこ
とで大将たちに褒美を要求した。(タキトゥス「
歴史」)」

<有能の人>
「知識のある人はすべてについて知識があるとは限ら
ない。だが、有能な人は、すべてについて有能である。
無知にかけてさえも有能である。」

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