「夏目漱石を読む」吉本隆明
<漱石の偉大さ>「漱石がわたしたちに偉大に感じさせるところが
あるとすれば、つまり、わたしたちだったら、
ひとりでに目にみえない枠があって、この枠の
なかでおさまるところなら、どんな辛辣なことも、
どんな自己批評も、どんな悪口も、なんでもいうと
いうことはありうるわけですけれども、漱石は、
そういう場合に真剣になって、度を越してあるいは
枠を超えちゃっていいきってしまうところだとおも
います。
・・・
しかも言い方が大胆で率直なものですから、すこしも
悪感情をもたせないんです。
・・・
ためらいもないし、また利害打算もどこにもなくて、
ほんとに心からいいきってしまうところが魂の大きさ
で、なかなかふつうの作家たちがもてないものですから、
偉大な文学者だなとおもうより仕方ないわけです。」
<知識人の憂鬱>
「「二百十日」や「野分」のような作品で、漱石は
ものすごい勢いで社会的な特権階級に成り上った
明治の富有者たちを、えげつないものとして、
登場人物をかりて攻撃しています。
そして、明治の成り上った分限者たちが、知識とか、
人間の人格とかというようなものを軽蔑する文明の
行方が、どんなに堕落していくかはかり知れないと、
声をおおきくして叫ばせています。」
<作家と思想家>
「明治以降、ただ一人の作家をといわれれば、漱石を
挙げる以外にないとおもえます。
それから、一人の思想家をといえば、柳田国男を挙げる
より仕方がない。」
<勝つものは必ず女である>
「女の二十四は男の三十にあたる。理も知らぬ、
世の中がなぜ廻転して、なぜ落ちつくかは無論
知らぬ。大いなる古今の舞台の極まりなく発展
するうちに、自己はいかなる地位を占めて、いか
なる役割を演じつつあるかは、固(もと)より
知らぬ。ただ口だけは巧者である。
天下を相手にする事も、国家を向うへ廻す事も、
一団の群衆を眼前に、事を処する事も、女には
出来ぬ。女はただ一人を相手にする芸当を心得て
いる。
一人と一人と戦う時、勝つものは必ず女である。
男は必ず負ける、
具象の籠の中に飼われて、個体の粟(あわ)を
啄(ついば)んでは嬉しげに羽ばたきするものは
女である。
籠の中の小天地で女と鳴く音(ね)を競うものは
必ず斃(たお)れる。」
(夏目漱石「虞美人草」より)
<漱石は最も偉大な作家>
「明治以降の文学者で射程の長い、息の長い偉大な作家は
何人もいますが、そのなかで少なくとも作品のなかでは
けっして休まなかった、いいか悪いかは別にして遊ばな
かった。
じぶんの資質をもとにしたじぶんの考えを展開しながら、
最後まで弛(たる)むことのない作品を書いたという点では、
息が長いだけではなくて、たぶん最も偉大だといえる作家
だとおもいます。」