「真贋」吉本隆明
<親鸞>「親鸞の教えで何が特徴かといったら、「修行
したら浄土、天国には行けないよ」と言ったこ
とです。
修行をしてはだめだというのです。僧侶がやる
ような修行をしたら浄土、天国へはいけないと
いうことを言い出したのです。
そして、もう一つ、・・・
「浄土」、つまりキリスト教で言う天国は、実体
としてはないと言ったのです。」
「僕はもともと無信仰ですが、親鸞はほとんど
無信仰に近いところまで仏教を持っていきました。
戒律もすべてやめました。・・・
ある意味で仏教にとどめを刺した人です。」
「善人が天国にいけるなら悪人はなおさら行ける。」
だったら悪人になればいいじゃないか。
それに対して、親鸞は
「じゃあ、いい薬があるからといってわざと病気に
なったり怪我をしたりするか。それはしないだろう。
だから、つくった悪はだめだ。心ならずも悪いこと
をしてしまったとか、ひとりでにこうなってしまった、
という悪の人は必ず救われるんだ」
「一人のときにはたった一人も殺せないのに、たとえば
戦争になると百人、千人殺すことはあり得る。
それはその人自身が悪くなくても、機縁によって千人
も殺すということはある。
だから、悪だから救われない、善だから救われるという
考え方は間違いだ、ということです。これはすごく
いい言い方だと僕は思いました。」
<職業選択の難しさ>
「よく出版社に入りたいという人に話を
聞くと、将来作家になりたいからと答え
る人がいます。でも、もし将来、もの書
きになりたいと考えているとしたら、編
集者という職業は近いようで一番遠いと
ころにある職業と考えたほうがいいでし
ょう。
・・・
長年編集者をやっていて小説家になった
という人は、ほとんどいません。僕の知
っている人で、一人としてそんな人はい
ません。
なぜかと言えば、それが編集者という仕
事の持つ毒なのです。「目高・手低」と
いうことです。」
<老人は超人間なのだ>
「老人というのは、人間の中の動物性が
極限まで小さくなった、より人間らしい
人間であって、それは老人が本来評価さ
れるべき点だと思うのです。
若い者は年寄りを侮りますが、僕に言わ
せれば、老人は「超人間」なのです。」
<生き方は顔に出る>
「計算高さは、顔や挙措振る舞いの中に
自然に出てきてしまうということです。
恋愛関係であろうと、一般的な人間と人
間の関係であろうと、それはあまりいい
印象を相手に与えません。
利害関係を自分の中でどういう心がけで
持っていたらいいのかは、その人の全体
の人格に関することだと思います。
利害ばかり考えていたり、言っていたり
すると何となくそれが全体ににじみ出て
きて、相手にもあまりいい印象を与えな
いかもしれません。」