「最後の親鸞」吉本隆明
<最後の親鸞は「教行信証」にはいない>「わたしが「教行信証」の核心として読み
得たものは二つある。
ひとつは<浄土>という概念を確定的に位
置づけたことである。
・・・
(もうひとつは)「涅槃経」に説かれた大
乗教の究極の<空無>の理念を是認するた
め、ひとつの手続きを確定した。・・・」
(昭和五十六年六月二十一日吉本隆明)
「「教行信証」は、内外の浄土門の経典か
ら必要な抄出をやり、それに親鸞の註釈を
くわえたものである。
・・・
最後の親鸞は、そこにはいないようにおも
われる。」
<<知>にとっての最後の課題>
「<知識>にとって最後の課題は、頂きを
極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらく
ことではない。頂きを極め、その頂きから
世界を見おろすことでもない。頂きを極め、
そのまま寂かに<非知>に向って着地する
ことができればというのが、おおよそ、ど
んな種類の<知>にとっても最後の課題で
ある。」
「どんな自力の計(はから)いをもすてよ、
<知>よりも<愚>の方が、<善>よりも
<悪>の方が弥陀の本願に近づきやすいの
だ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎ
りなく<愚>に近づくことは願いであった。
愚者にとって<愚>はそれ自体であるが、
知者にとって<愚>は、近づくのが不可能
なほど遠くにある最後の課題である。」
<凡夫のしるし>
「「念仏をとなえても、踊りあがるような
歓喜の心があまりわいてこないこと、また、
いちずに浄土へゆきたい心がおこらないの
は、どうしたことなのでしょうか」と訊ね
ましたところ、「親鸞もそういう疑念をも
っていたが、唯円房もおなじ気持を抱いて
いたのか。よくよくかんがえてみるに、天
に踊り地に躍るほどに喜ぶべきことなのに、
喜ぶ心がわいてこないというのは、凡夫の
しるしで、ますます「きっと往生できる」
とおもうべきではあるまいか。」
(「歎異抄」9 吉本訳)
<知の放棄>
「法然と親鸞のちがいは、たぶん<知>
(「御計(おんはからひ)」をどう処理
するかの一点にかかっていた。
法然には成遂できなかったが、親鸞には
成遂できた思想が<知>の放棄の仕方に
おいて、たしかにあったのである。」
<善人ぶるな>
「「たとえ牛盗人といわれても、あるい
は善人、あるいは後世を願う聖とか、仏
法を修行する僧侶とみえるように振舞って
はならない」と(親鸞聖人は)云われた」
(「改邪鈔」3 吉本訳)
<浄土と現世>
「親鸞にとって、現世の憂苦こそは浄土
への最短の積極的な契機であり、これを
逃れるところに浄土があるという思想は、
すでに存在しなかった。
だが、時衆では、現世が憂苦であるがゆ
えに、浄土は一刻もはやく現世を逃れて
到達すべき荘厳の地であった。
このちがいは親鸞の思想を、浄土宗一般
とわかつかなめであった。」
「法然の教義をつきつめていけば、現世
をいとい来世をもとめるという思想を徹
底化してゆくよりほかはない。」
<易行は至難なり>
「易行がもっとも至難の道だ。なんとなれ
ば人間は<信>よりさきに、すぐにすこし
でも善い行いをと思い立ったりするからだ。
この思いは、すこしでも楽な姿勢をという
思いとおなじように、人間につきものの考
え方である。
親鸞は<信>がないところで、易しい行い
にしたがうことが、どんなに難しいかを洞
察したはじめての思想家であった。」