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「宮沢賢治」吉本隆明

職業として、人造宝石の製造・販売を考えて
いた宮沢賢治。

年譜より

1896(明治29)岩手県花巻市に生まれる(長男)
1909(明治42)花城尋常高等小学校卒業。
6学年全甲、優等賞、精勤賞。県立盛岡中学入学。

1912(16歳、明治45,大正元年)
父あてに
「小生はすでに道を得候。歎異鈔の一頁を以て
小生の全信仰と致し候」と書く。

1914(18歳、大正3年)
看護婦に恋し、父に結婚の許可を求めて
戒められる。
島地大等編著「漢和対照妙法蓮華経」に感動。

1915(19歳、大正4年)盛岡高等農林学校に首席入学。

1916(20歳、大正5年)寮の部屋から法華経をあげる
賢治の力強い声が毎朝流れたという。

1918(22歳、大正7年)徴兵検査第二乙種で兵役免除。

1920(24歳、大正9年)
保阪あて書簡に
「世界唯一ノ大導師日蓮大上人」の「御命ニ
従ッテ起居決シテ御違背申シアゲナイコト」を
誓う。

1921(25歳、大正10年)家出決行。国柱会を訪れる。
本郷菊坂に下宿。出版社でアルバイトをしながら
創作に励み、これを「法華文学」と称した。
12月、雑誌「愛国婦人」に童話「雪渡り」その一
を発表、5円もらう。これが生前得た唯一の
原稿料といわれる。

1923(27歳、大正12年)一月、上京、本郷に下宿中
の清六に大トランクにつめた原稿を東京社へ持参
させるが、出版をことわられる。

1925(29歳、大正14年)
「多分は来春はやめてもう本当の百姓になります」
と手紙にかく。

1926(30歳、昭和元年)花巻農学校を依願退職。
十二月、上京、上野図書館で学習、タイプライター。
オルガン、エスペラント、セロを習う。

1931(35歳、昭和6年)嘱託技師として連日各地の
農業組合、肥料店を訪ねて宣伝につとめる。
9月、壁材料の宣伝・販売のため上京、たちまち
発熱し臥床する。死を覚悟し遺書を書く。
11月、「雨ニモマケズ」を手帳に書く。

1933(37歳、昭和8年)9月21日13:30永眠

 

<早すぎた信仰>
「おもうに宮沢賢治は、いちどもよく遊び、
ほかの子供たちと悪戯をやっては、侵犯する
こころを父母に叱られたり、きれいな女性に
胸をときめかして恋愛し、やがて結婚して、
楽しい生活をしようという発想をとったこと
はなく、開放されないこころの殻をやぶらな
いままに、宗教的な歓喜、有頂天、恍惚のと
ころまで登りつめてしまった。
・・・
世間知が足りない、経験からみちびいた叡智
がない。欲望のデカダンスを知らなすぎる。
・・・
きまじめな優等生の子どもが、やがて人なみ
の生活にめざめてゆく過程をたどる以前に、
とても早急にまた深く、信仰にとらえられて
しまった。」
<銀河鉄道の夜>
「言葉がつくりだした機能の<意味>と存在の
<意味>のあいだには、いくつもの階層がある
にちがいない。宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」で
やっていることは、この階層のそれぞれから放
射される多様な次元の<意味>を与えることだ
といえよう。
ジョバンニの父は存在の意味がなくて、<不在>
だし、作品に登場するほかの人物の言葉や行動
の描写の機能によってだけ意味づけられている。」
<無償の質>
「宮沢賢治の作品には、自在にのびちぢみし、
角度をかえながら景物にしみとおってゆく視線、
またその視線の全体を生と死の境界の向う側か
ら統御している眼がある。
わたしたちはそこに、物の像の恐怖や、蒼く暗
い色彩や、黄や白や灯火や星のような、きらきら
した花の色彩をみたりする。また宝石の硬質な
きらびやかなかがやきをみることもある。だが
視線のなかにいるかぎる言葉の意味は忘れられ
ている。
いちばんおわりのおさえ方をすれば、言葉で
つづった作品にはかならず意味がきっとつきま
とっていて、それからは逃れられない。言葉が
よびおこす像(イメージ)にじゅうぶん拮抗
しながら、同時に意味の官能をかれの作品に
あたえているのは、独特な無償の質と、それを
倫理へ組みかえ、もしかすると宗教的な情操の
要請にまでもっていくひとつの力能だとおもえ
る。」
<猫の事務所>
「宮沢賢治は、よいこころをもって振舞うのに、
まわりから侮蔑されたり、軽くあしらわれたり、
うとまれたりする生きものの姿を、すくなくと
もふたつの作品で描いている。
ひとつは「猫の事務所」のかま猫で、もうひと
つは「よだかの星」のよだかだ。」

「「猫の事務所」と「よだかの星」とで、もひと
つ関心をひかれることがある。それは宮沢賢治の
視線にある救いの構造ではなくて、関心の構造と
もいうべきものだ。
かま猫とよだかにあたえられた資質と境遇は、宮
沢賢治がつよい関心をもった登場人物(動物)の
ひとつの類型になっている。
ひとつの共通点は気が弱く片隅にちぢこまって、
まわりの言うままにうごかされて、おどおどいじ
けている存在だ。・・・・
いってみれば「ホメラレモセズ苦ニモサレズ」と
いう消極的な存在と境涯にあるものといっていい。
・・・
宮沢賢治が関心をよせ救いを願い、じぶんもまた
その場所にゆき、それらとおなじでありたいと
おもったのも、そういう存在だった。」
<なめとこ山の熊>
「熊捕りの名人小十郎と「なめとこ山の熊」たち
の関係は、猟師と獣の関係で、殺したり殺されたり
する。だが好きあった気ごころのしれたあいだがら
になっている。」

猟師は、生活のために熊を殺している。ある時、
熊と対面する。熊は2年、待ってくれという。
2年後、熊は約束を守り、猟師の家の前でじぶん
から死んで約束を履行する。
その後、猟師は、べつの熊に殺される。
「おお、小十郎おまへを殺すつもりはなかった」
という熊の声を小十郎は聞いた。
<めくらぶだうと虹>
「「アリヴロンと少女」と「めくらぶだうと虹」
は、同原異稿の枝わかれ作品だ。・・・
「めくらぶだうと虹」では、地をはう低く動け
ないめくらぶだうと、空の高みにかかるきれい
な虹のあいだにうらやましさが交換される。
束の間のいのちしかない虹が、めくらぶだうの
いのちの永さをあげ、ひくく地面をはうめくら
ぶだうは高く空にかがやき、草や花や鳥がたた
える虹の姿をうらやみ、いっしょにいきたいと
うったえる。だが虹はそれにこたえないうちに
消えかかる。」
<小岩井農場>
「彼(賢治)には性欲の抑圧や昇華はあったろうが、
性や恋愛にまつわる挫折はない。また宗教的な願望
に固執するあまり、生涯の生活を挫折させたとはい
えるが、生活の挫折のあげく宗教の救済感に変態し
たことはなかった。そうかんがえていいはずだ。
わたしたちは宮沢賢治の心理と生理の発達史を掘り
おこして、かれの意識と無意識のドラマを見つけだ
そうとしても、ガードがあまりにもかたくて、不可
能にちかい。
・・・・
(「小岩井農場」は)宮沢賢治のもつ感性と理念を
綜合したひとつの世界を、まるでクロマトグラフィー
で分離したように、はっきりと要素にわけて展開し
ている。その意味ではかれの詩のなかでいちばん有
機的な生命と理念を語る作品だといえる。」
<擬音>
「宮沢賢治ほど擬音のつくり方を工夫し、たく
さん詩や童話に使った表現者は、ほかにみあた
らない。
・・・・
かれは幼童をよろこばせるために童話を書いた
のではない。また幼童が好きだという理由で童
話を書いたのでもない。またかれ自身が幼童性
をもった未熟なこころだから童話を書いたので
もない。
仏教の信仰による幼童の教化というモチーフは
あったかもしれないが、それもじぶんが内がわ
から燃焼して白熱すると、じぶんでこわしてし
まっている。ただかれは、普遍的な年齢のため
の童話という矛盾を書く必然(宿命)をもって
いた。そしてこれだけがかれの擬音に、理念の
意味をあたえた。」

<擬音2ー神の如き童貞のエロスとして>
「もしかすると作者がエロスを遂げようとする
無意識の語音のようにもおもえる。
体内から精液を一滴ももらしたことがなかった
ものは、世界にじぶんをふくめて三人しかいな
いと知人に語ったという伝説が、宮沢賢治には
ある。
もしエロスの情感が性ときりはなされて普遍化
でき、その普遍化が幼童化を意味するとすれば、
まずいちばんに擬音の世界にあらわれるとは
いえそうな気がする。」
<地名・人名の造語>
「宮沢賢治は地名や人名を作品のなかでたくさん
造語した。
・・・
賢治の造語した人名と地名は度外れにおおいし、
度をこして徹底していた。それははるかに趣向の
境界をこえていた。
・・・
「あらゆる事が可能である」ためには、ほんとは
あらゆる実在の場所や、じっさいのこころのうご
きに無縁でなくてはならない。だがそれは不可能
だ。
わたしたちの命名はどれもじっさいの場所と、こ
ころのうごきとにどこかで、何かの経路でつなが
らなくては可能でないからだ。
・・・
たとえば、イートハーブという地名造語は岩手県
地方の暗喩といえるし、ハーナムキヤという地名
は花巻の暗喩だし、モーリオ市という地名は盛岡
の暗喩だ。
・・・
ペンネンネンネンネン・ネネムとかケンケンケン
ケンケンケン・クエクとかいう人名になるとそれ
は人名の物語化だといえよう。
・・・
造語の世界は、純粋に魔術的な世界だといえる。」

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