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どこに詩があるか

「他人からの知識でなく、他人からの
学問でなく、真に「彼自らの思想」を
書いた人々の言葉は、どんな抽象的な
題材ーたとえば科学上の論説のような
ものーであっても、奇体なことには、必ず
そこに「詩」を感じさせる。
なぜといって、真に「彼自らのもの」と
なってしまった思想は、もはや概念でなく、
知識でなく、理屈でなく、実にそれ自らが
彼の生活における感情であり、尚進んで
は気質上の趣味でさえもあるから。
そして「詩」とは、つまりそうした者の
表現にほかならないのだから。」
(萩原朔太郎)

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