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ショーペンハウアーとは(ニーチェ)

「ショーペンハウアーの価値。というのは、
彼は、素朴な普遍的な真理を、記憶の中に
呼び起こすからである。」

「今や、われわれは、ショーペンハウアーと
いう注目すべき人物の登場を、理解する。
・・・彼は、倫理学と芸術の、最深の根源的
諸問題に思いを致し、生存の価値という問題
を提起するのである。」

「ショーペンハウアーは、単純で、正直であ
る。・・・彼の用いるあらゆる概念の、何と
いう力に溢れたことか。・・・彼の叙述の中
には、何らの動揺も見られず、あるものは、
太陽の光がその上に輝いているとき、ざわめ
きもせず、もしくは軽やかさにさざ波を立て
る、そうした湖水の明るい深みである。彼は
ルターのように、粗く大きい。彼は今日に到
るまで、ドイツの散文家の中での最も厳しい
模範であり、如何なる者も、彼ほど真剣に、
言葉と、言葉が課する義務とを、考えたこと
はなかった。・・・学識ぶった抽象化をする
ことなく、哲学的な煩瑣な屁理屈をうんざり
するほど敷衍(ふえん)したり長々と縷説し
たりすることなく、生存の核心を改めて洞察
した彼の偉大さは、並々ならぬものである。
・・・ショウペンハウアーは、今日文化とし
て妥当しているすべてのものに、抵抗して立
つのである。ちょうどプラトンが、昔日ギリ
シャにおいて文化であったすべてのものに、
抵抗して立っていたように。」
(「哲学者の書」)

ショウペンハウエルの没後5年、ニーチェ
は古本屋で、彼の主著「意志と表象として
の世界」に出会う。

<出会った印象>
「どの行も、諦念と否認と断念とを叫んで
いた。それは、私に世界と生と私自身の心情
をきわめて壮大に映し出してくれる鏡にも似て
いた。そこでは、すべての利害得失をはなれ、
じっと見つめる太陽のごとき芸術のまなこが
私を凝視していた。
そこに、私は、病気と快癒、追放と隠れ家、
地獄と天国を見た。自己認識の必要が、いや
、自分自身をこなごなに粉砕する必要がある
という強烈な思いが私を襲った。」

<信頼できる哲学者、ショウペンハウアー>
「世の中には、ショーペンハウアーの著作の
最初のページを読んだだけで、この著者なら
最後のページまで通読し、著者の語る片言隻句
にも耳を傾けるだろうと、その瞬間に確信する
読者がいるものだが、私もその一人だった。
私の胸に彼に対する信頼の念が芽生えた。
私は、あたかも彼が私のために書いてくれた
ようにショーペンハウアーを理解した。」
(「反時代的考察」)

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