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日本的霊性

 「日本的霊性」(鈴木大拙)

<精神ではなくて霊性とした理由>
「霊性という文字はあまり使われていないようだが、
これには精神とか、また普通に言う「心」の中に包み
きれないものを含ませたいというのが、予の希望なの
である。
・・・
なにか二つのものを包んで、二つのものがつまるところ
二つでもなくて一つであり、また一つであってそのまま
二つであるということを見るものがなくてはならぬ。
これが霊性である。
・・・
霊性を宗教意識と言ってよい。
ただ宗教と言うと、普通一般には誤解を生じ易いので
・・・
宗教意識と言わずに霊性というのである。」

「精神には倫理性があるが、霊性はそれを超越している。
超越は否定の義ではない。
精神は分別意識を基礎としているが、霊性は無分別智
である。」

「精神の意志力は、霊性に裏付けられていることによって
初めて自我を超越したものになる。
いわゆる精神力なるものだけでは、その中に不純なもの、
即ち自我(いろいろの形態をとる自我)の残滓がある。
これがある限り「和を以て貴しとなす」の真義に徹し
能わぬのである。」

<霊性と文化の発展>
「霊性は民族がある程度の文化段階に進まぬと覚醒
せられぬ。
・・・
しかし文化がある段階に向上したあとでも、その民族
のことごとくが覚醒した霊性をもっているとは言われぬ。
・・・
今日の日本民族の一人びとりがみな霊性に目覚めていて、
その正しき了解者だというわけにはいかない。
・・・
霊性の覚醒は個人的経験で、最も具体性に富んだもので
ある。」

<宗教とは>
「精神が物質と対立して、かえってその桎梏
(しっこく)に悩むとき、みずからの霊性に
触着する時節があると、対立相克の悶えは自然
に融消し去るのである。
これを本当の意味での宗教という。」

<霊性の日本的なるもの>
「霊性の目覚めから、それが精神活動の諸事象の
上に現われる様式には、各民族に相異するものが
ある、即ち日本的霊性なるものが話され得るので
ある。
それなら霊性の日本的なるものとは何か。
自分の考えでは、浄土系思想と禅とが、最も純粋な
姿でそれであると言いたいのである。」

「神道にはまだ日本的霊性なるものがその純粋性を
顕していない。」

理由:p21参照

<禅>
「禅が日本的霊性を表詮(ひょうせん)している
というのは、禅が日本人の生活の中に根深く食い込
んでいるという意味ではない。
それよりもむしろ日本人の生活そのものが、禅的で
あると言った方がよい。」

<浄土系思想>
「鎌倉時代における日本的霊性の活動は、法然上人
の浄土観にも止まることを許さなかったのである。
それは親鸞聖人を起(た)たさなければやまなかった
のである。
これは決して偶然の事象だと考えてはならぬ。
日本的霊性でなければ、この飛躍的経験は浄土系思想
の中に生まれでなかったのである。
浄土系思想は、インドにもあり、シナにもあったが、
日本で初めてそれが法然と親鸞とを経て真宗的形態を
取ったという事実は、日本的霊性即ち日本的宗教意識の
能動的活現によるものといわなければならぬ。」

<禅と浄土系>
「日本的霊性の情性方面にぐ顕現したのが、
浄土系的経験である。
またその知性方面に出頭したのが、日本人の
生活の禅化である。
・・・
情性的展開というのは、絶対者の無縁の大悲
を指すのである。
無縁の大悲が、善悪を超越して衆生の上に光被
して来る所以を、最も大胆に最も明白に開明し
てあるのは、法然ー親鸞の他力思想である。

<「文化と宗教」>
(「鈴木大拙全集」第19巻s44)
「ここでは、日本的霊性なるものは、鎌倉時代
で初めて覚醒したということを説いてみたいの
である。)

「結論をさきに出すとこうである。
古代の日本人には、本当に言う宗教はなかった。
彼らは極めて素朴な自然児であった。
平安時代を経て鎌倉時代に入って、初めてその
精神に宗教的衝動を起こした、即ち日本的霊性の
目覚めがほの見えた。
この衝動の結果として、一方には伊勢神道なるもの
が起こり、他方には浄土系統の仏教が唱えられる
ようになった。
日本人はこのとき初めて宗教に目覚めみずからの
霊性に気づいた。
だいたいこういうことを説きたいのだが・・・」

<万葉集>
「この本は・・・・
・・・
生まれながらの人間の情緒そのままで、まだ
これがひとたびも試練を経過していない。
全く嬰孩性(えいがいせい)を脱却せぬと
言ってよい。
・・・・
(男女の恋歌に関して)恋愛そのものからくる
悲苦につきての反省・思索などいうものは、集中
どの作にも見えない。子供らしい自然愛の境地を
出ていない。・・・これには成熟した頭脳がなく
てはならぬ。
人間は何かに不平・失望・苦悶などいうことに際
会すると、宗教にまで進み得ない場合には、酒に
ひたるものである。・・・或る意味で酒に宗教味が
ある。ところが古代人の日本人には、こんな意味の
酒飲みはいなかったようである。
・・・
「万葉」の歌人は宗教的な深さを示さぬ。
・・・
万葉歌人には、人間の心の深き動きにふれている
ものがないと言ってよい。」

<平安朝文化>
「平安の時代はずいぶん長い。・・・
平安文化の特徴は、誰もがいうように、繊細で
女性的で、優美閑雅、感傷的である。
・・・
彼らのいかに涙多いことよ。何かというと泣いて
いる。「源氏物語」・・・こんなもので日本精神が
・・代表されては情けない。「枕草子」にしても
そのとうり・・・
思想において、情熱おいて、意気において、
宗教的あこがれ・霊性的おののきにおいて、
学ぶべきものは何もない。
・・・
享楽主義が現実に肯定せられる世界には、宗教はない。
・・・
平安時代には、伝教大師や弘法大師を始め、立派な
仏教学者も仏教者もずいぶん出ている。しかし
わし(大拙)は言う、ーー日本人はまだ仏教を
知らなかった、仏教を活かして使うものを、まだ内に
もっていなかった。
・・・
平安人というのは、大地を踏んでいない貴族である。」

<空海・最澄未熟なり>
「平安時代を通じて一人の霊的存在・宗教的人格と
見るべき人の出てこなかったのは、当然だった。
弘法大師の如き、伝教大師の如きといえども、なお
大地との接触が十分でない。
彼らの知性・道徳・功業は実に日本民族の誇りである。
が、彼らは、貴族文化の産物である。
それで貴族文化のもち得べき長所と短所とを悉く備えて
いる。
彼らは、平安文化の初期に出世(死)したので、
平安文化の特徴と見るべき繊弱さ・哀れさ・麗わしさ・
細やかさなどいう情緒をもち合わさぬ、大陸的な
ところがある。しかし彼らの仏教は、南都の仏教に
対して一時は清新な溌剌なものであったが、時を経る
に従い、他の文化形式と同じく形式化・儀礼化・審美化・
技巧化の一路をたどって、仏教本来の意味から離れる
ようになった。」

注:
平安時代(へいあんじだい、794年-1185年頃)
最澄(767-822:伝教大師)
空海(774-835:弘法大師)

<平安時代のおわり>
「武家は腕力をもってはいたが、武家の強さは
それではない。武家の強さは、大地に根をもって
いたというところにある。・・・
大地に根ざさぬ限り、腕力は破壊する一方だ。
公卿文化は、繊細性の故に亡びる。武家文化は、
その暴力性・専横性などの故に亡びる。
・・・
平安時代に取って代わった鎌倉武士には、力もあり、
またそのうえに霊の生命もあった。力だけであったら、
鎌倉時代の文化は成立しなかったであろう。
・・・
平安時代は、あまりに人間的であった。鎌倉時代は、
霊の自然・大地の自然が、日本人をしてその本来の
ものに還らしめたと言ってよい。」

<鎌倉時代>
「鎌倉時代になって、日本人は本当に宗教、即ち
霊性の生活に目覚めたといえる。
平安時代の初めに伝教大師や弘法大師によりて据え
付けられたものが、大地に落着いて、それから芽を出
したと言える。
・・・
まず浄土系思想の日本的な新たな展開
・・・
その次には、日蓮宗の興隆を忘れてはならぬ。
・・・
そうしてまた他方に伊勢神道の源泉となるべき
「神道五部書」が書かれた。
両部神道は仏教の方面から神道を見たもの、
「五部書」は神道の方から、仏教などによりて
外から伝えられ与えられたものを、いわば日本
思想的に統一せんとしたものである。
・・・
「神道」は元来が政治思想であって、厳密には、
宗教的信仰性のものではない。霊性そのものの
顕現ではない。」

注:鎌倉時代(1185頃-1333)

<親鸞聖人>
「真宗の中に含まれていて、一般の日本人の心に
食い入る力をもっているものは何かと言うに、
それは純粋他力と大悲力とである。
霊性の扉はここで開ける。浄土教の終極はここに
なければならぬ。
・・・
浄土教が教える「浄土」よりも、その絶対他力の
ところに、この教の本質があるのである。
・・・
浄土往生は手段で悟りが目的なのである。
・・・
純粋の他力教では、次の世は極楽でも地獄でも
よいのである。
親鸞聖人は「歎異抄」でそう言っている。
これが本当の宗教である。
・・・
本当の鎌倉精神、大地の生命を代表して遺憾なき
ものは親鸞聖人である。
・・・
もし親鸞聖人にして地方に流浪すること幾年で
なかったなら、純粋他力に徹し能わなかったので
ある。・・・
僻地へ来たので、みずからの宗教体験に深みを
加えたのである。」

<東洋思想のエキスとしての禅と念仏>
「東洋を引っくくって一つにして、それを動かす
思想はどこにあるかというと、それは「日本」仏教
の中に探すよりほかあるまい。
・・・
日本的霊性には、世界的に生きるべきものを包摂し
ているのである。」

「日本仏教はすべての東洋性をもっていると言わな
ければならない。」

<真言>
「真言は、「神道」とある種の抱合を遂げたこと
によりて、修験道なるものが発展した。修験道は、
一方では神道であり他方では仏教である。
日本的霊性に触れたものと言ってよい。
真言は或る意味では日本民族の宗教意識を握って
いる。
しかし真言の最も深いところはインド的である。
概念性に富んでいるので、日本人の多数はそこまで
十分に到り得ない。」

<女性>
「自然に対する優しい心持ち、自然界景物の時節に
つれて移り変わる容態に細かく触れていく神経ーー
こんなものは日本女性ならではもち得ないとさえ
思われる。」

「仮名文字がなかったら、日本は明治維新の大業を
成し遂げ得なかったと思う。
外来の文学・思想・技術等は、いずれも仮名文字の
屈伸性・弾力性・連結性などによりて、国民精神発展
の上に自由に取入れられたのである。
この事実を考えてみると、我らは平安朝女性の創造的
天才に対して、十二分の謝意と敬意とを表すべきである。」

<女性文化の欠陥>
「女性は感覚性と感情性とに富んでいるが、論理と
霊的直覚に欠けている。論理の方面はとにかくとして、
霊的直覚がなくては、日本民族も世界文化の向上に
資すべき何ものをももたぬということになる。
・・・
女性文化は箱庭で出来る、温室性をもっている。
平安朝時代は日本が箱庭式に生きていた時代である。」

<歎異抄>
「親鸞宗の本領は、「教行信証」にあるのでなくて
その「消息集」、その和讃、ことにその「歎異抄」
にあるのである。
・・・
親鸞の宗旨の具象的根拠は大地に在ることである。
大地というは田舎の義、百姓農夫の義、智慧分別に
対照する義、起きるも仆れるも悉くここにおいてする
の義である。
・・・
親鸞宗の大地はその宗教的意義即ちその霊性的価値で
ある。
・・・
大地の生活は真実の生活である、信仰の生活である、
偽りを入れない生活である、念仏そのものの生活で
ある
・・・
彼は「念仏のみぞまことなりける」と言って、朝から
晩まで空念仏のみを繰り返しはしなかったであろう。
・・・
念仏の数で業障をどうしよう、こうしようというので
はないのである。」

<親鸞>(1)
「親鸞はお寺を作らなかった。
・・・
大きな屋根の下から漏れ出る念仏には虚偽が多く、
空念仏の合唱には弥陀は耳をかさぬ。
そこには一般があるが特殊はない。そうして特殊
(一人)が本願の対象である。
・・・
今日の本願寺の如きものは祖聖の志を相去ること
実に幾千万由旬(ゆじゅん)である。
・・・
特に親鸞聖人を取り上げて日本的霊性に目覚めた
最初の人であると言いたいのは、彼が流竄(りゅうざん)
の身となって辺鄙(へんぴ)と言われる北地へ
行って、そこで大地に親しんでいる人と起居を共にして
、つぶさに大地の経験をみずからの身の上に味わった
からである。
日本的霊性なるものは、極めて具体的で現実的で
個格的で「われ一人」的である。
この事実が直覚せられて初めて日本的宗教意識の
原理が確立するのである。」

注:由旬(ゆじゅん)
〔梵 yojana〕古代インドでの距離の一単位。帝王の
軍隊が一日に進む距離といわれ、約10キロメートル、
約15キロメートルなど諸説ある。

< 親鸞>(2)
「シナの仏教は因果を出で得ず、インドの仏教は
但空(たんくう)に沈んだ。日本的霊性のみが、
因果を破壊せず現世の存在を滅絶せずに、しかも
弥陀の光をして一切をそのままに包被せしめたの
である。
これは日本的霊性にして初めて可能であった。
そうして鎌倉時代がこれを可能ならしめる契機で
あったのである。不思議なことには、千五百年ほど
も継続した歴史を有しながら、浄土系思想は、シナ
においては親鸞的な霊性直覚に到達しなかったので
ある。
それが日本では、源信僧都から法然上人を経過する
と、直ちに親鸞系の思想が台頭してくるのである。
そうしてこの思想はシナにもなくインドにもなく
ヨーロッパ(ユダヤ教・キリスト教)にもないので
ある。
それで親鸞教は仏教でないとさえ言われるのである。」

<伊勢神道>(1)
「自分(大拙)の考えでは、神道が「それみずから」
に初めて目覚めたのが伊勢神道である。
・・・
日本的霊性の一面は、確かにここにも見られるが
「神道」に現れてこないいま一つの面がある。
それが親鸞教によりてのみ認められた絶対者の
絶対悲(或いは無縁の大悲)の面である。」

「神道がその根源的なるものとして、独自の立場を
維持せんとする諸直覚は、霊性的なものでなくて
むしろ情性の範疇に属するものである。」

<伊勢神道>(2)
「なに故に神道的直覚は情性的であるかというに、
それはまだ否定せられたことのない直覚だからである。
感性的直覚もそうであるが、単純で原始性を帯びた
直覚は、ひとたび否定の炉はいをくぐってこなければ
霊性的なものとはならぬのである。
・・・・
神道にはかくのごとき霊性的自覚の経験が欠けている。」

<神道>
「霊性的直覚なるものは、まず個己の霊の上において
可能である。即ち一人の直覚である。
ところが神道には、集団的・政治的なものは十分に
あるが、一人的なものはない。
感性と情性とは、最も集団的なるものを好むのである。
それは集団の上にみずからを映し出すことによりて、
みずからの存在が最も能く認められるのである。
霊性的直覚は、孤独性のものである。
これが神道にない。」

<智と愚>(完)
「鎌倉時代における日本的霊性の覚醒は、知識人
から始まらないで、無智愚純なるものの魂からで
あったということに注意したいのである。
この点のおいて、法然は日本霊性史の転換期を画し
た人物であると言ってよい。
彼にはまだ平安期思想の残滓(ざんし)がないでも
なかったが、彼なくしては親鸞は出世し得なかった
のである。彼と親鸞とを一個の霊性的人格と見なし
てよいという理由はここにある。」

「愚痴で無学といわれる人々の霊性への途は割合に
直接であるが、知性人の場合になると、その知性が
なかなかに妨げとなって、彼らの霊性は容易に目覚め
ない。」

「霊性の覚醒は、ひとたびは知性的否定を経過しなけ
ればならぬのである。それゆえ一不通では、本当の
意味での霊性の覚醒はないとも言える。」

「日本的霊性的自覚の最初の表現が、即ち法然上人の
「一枚起請文」にほかならぬのである。」

補記:本書はこの後、「妙好人」へと続く。

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