葉隠入門
「葉隠入門」(三島由紀夫)「最高の武士道教本」
「戦争中から読みだして、いつも自分の机の
周辺に置き、以後二十数年間、折りにふれて、
あるページを読んで感銘を新たにした本といえば、
おそらく、「葉隠」一冊であろう。」
「行動の知恵と決意がおのずと逆説を生んでゆく、
類のないふしぎな道徳書。」
「「葉隠」の影響が、芸術家としてのわたしの生き方を
異常にむずかしくしてしまったのと同時に、「葉隠」
こそは、わたしの文学の母胎であり、永遠の活力の
供給源であるともいえるのである。」
「愛される美を求めるときに、そこに女風が始まる。
それは、精神の化粧である。「葉隠」は、このような
精神の化粧をはなはだにくんだ。」
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<エネルギーの賛美>
「成仏などは嘗(かつ)て願ひ申さず候。
七生迄も鍋島侍に生れ出で、国を治め申すべき
覚悟、胆に染みまかりあるまでに候。
気力も器量も入らず候。
一口に申さば、御家を一人して荷ひ申す志
出来申すまでに候。同じ人間が誰に劣り申すべきや。
そうじて修行は、大高慢にてなければ役にたたず候。
我一人して御家を動かさぬとかからねば、
修行は物にならざるなり。」
付記:
会社の経営者ならば、上記のような気概を
持った社員を昔も今も探し続けているに
ちがいない。
<決断>
「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり。
二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかり
なり。別に子細なし。・・・
我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が
付くべし。もし図にはづれて生きたらば、腰抜けなり。
・・・
毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身に
なりて居る時は、武道に自由を得、一生おちどなく、
家職を仕果すべきなり。」
常住死身になることによって自由を得るというのは
「葉隠」の発見した哲学であった。
<デリカシー>
—人に意見するときの心構え—
「意見の仕様、大いに骨を折ることなり。・・・
そもそも意見と云ふは、まづその人の請け容るるか、
請け容れぬかの気をよく見分け、入魂(じっこん)に
なり、この方の言葉を平素信用せらるる様に仕なし候
てより、さて次第に好きの道などより引き入れ、いい様
種々に工夫し、時節を考へ、或いは文通、或いは雑談の
末などのおりに、我が身の上の悪事を申出し、云はず
して思ひ当る様にか、又は、まずよきところをほめ立て
気を引き立つ工夫を砕き、渇く時水を飲むように
請合せて、疵をなおすが意見なり。」
男の社会的な能力とは思いやりの能力である。
<実践>
「翌日の事は、前晩よりそれぞれ案じ、書きつけ
置かれ候。これも諸事人より先にはかるべき事なり。」
常朝の教えははなはだ有効であった。
いまも私(三島)が実行していることは、
「翌日のことは、前晩よりそれぞれ案じ」という
常朝の教えである。
<寛容>
常朝は、けっして人を責めるに厳ではなかった。
「水至って清ければ魚棲(す)まずと云うこと
あり。およそ藻(も)がらなどのあるにより、
その蔭(かげ)に魚はかくれて、成長するもの
なり。
少々は、見のがし聞きのがしある故に、下々は
安穏なるなり。」(聞書第一 108頁)
<世間知>
「大事の思案は軽くすべし」
「小事の思案は重くすべし」
思想は覚悟である。覚悟は長年にわたって日々
確かめられなければならない。
「小説家というものはどんなに小さいものにも
理論を持っていなければならない。
たとえば手袋一つにも理論を持っていなければ
ならない。」(メリメ)
<外見の道徳>
「とかく武士は、しほたれ草臥(くたび)れ
たるは疵(きず)なり。
勇み進みて、物に勝ち浮ぶ心にてなければ、
用に立たざるなり。」
「武士道というものは、そのしおたれ、くたびれ
たものを、表へ出さぬようにと自制する心の
政治学であった。
健康であることよりも健康に見えることを重要と
考え、勇敢であることよりも勇敢に見えることを
大切に考える、このような道徳観は、男性特有の
虚栄心に生理的基礎を置いている点で、もっとも
男性的な道徳観といえるかもしれない。」
<行き過ぎの哲学>
常朝は行き過ぎということを精神の大事な
スプリングボードと考えた。
「中道は物の至極なれども、武辺は、平生に
も人に乗り越えたる心にてなくては成るまじく候。」
参考:
上段より面を打つときは必ず肛門まで
打ち割る心持ちで打つべし
一 たけくらべと云ふ事
”たけくらべ”というのは身の丈比べで、敵に身を
寄せたとき、わが身が縮まないないようにして、足も
腰も首も十分に伸ばし、敵の顔と自分の顔を並べ、
背丈を比べれば、自分の方が勝つと思うほどに身を
十分に伸ばし気でも押し、強く入ることが肝心である。
よくよく工夫しなければならぬ。
(宮本武蔵「五輪書・水の巻」)
<子供の教育>
「かりそめにもおどし、だます事などあるまじく候。」
・・・幼少にて強く叱り候へば、入気(いりき)になるなり。」
臆病気をつけないようにおどしてはいけない。
物言い、礼儀などを教え、欲義などを知らないように
育てなさい。
「母親愚かにして、父子仲悪しくなる事あり。
母親は何のわけもなく子を愛し、父親意見すれば
子のひいきをし、子と一味するゆえ、その子は
父に不和になるなり。
女の浅ましき心にて、行末を頼みて、子と一味する
と見えたり。」
<男と鏡>
常朝は自分の顔が利発すぎるので鏡を見て利発に
見えないように直した。
その常朝にとって男の理想の顔とは、
「うやうやしく、にがみありて、調子静かなるが
よし。」
注:
「うやうやしく」とは人を信頼させる恭謙な態度
「にがみ」は、一歩も寄せ付けぬ威厳
そして、この二つの相反する要素を包むものとして
「静かな、ものに動じない落ち着き」(三島)
<インテリ論>
現代で言うところのインテリゲンチャを
常朝は「勘定者はすくたるるものなり。」として
バッサリ切り捨てている。
注:「すくたるる」
自分個人の「死にたくない」という動物的な反応
と、それによって利を得ようとする利得の心とを、
他人の死への同情にことよせて、おおい隠す言葉。
(三島)
常朝がたえず非難しているのは主体と思想との間の
乖離(かいり)である。
これは「葉隠」を一貫する考え方で、もし思想が勘定の
上に成り立ち、死は損であり、生は得であると勘定する
ことによって、たんなる才知弁舌によって、自分の内心
の臆病と欲望を押しかくすなら、それは自分のつくった
思想をもってみずからを欺き、またみずから欺かれる
人間のあさましい姿を露呈することにほかならない。
(三島)
<死に狂い>
「本気にては大業はならず。
気違ひになりて死狂ひするまでなり。
又武士道において分別出来れば、はや後るるなり。
忠も孝も入らず、
武士道においては死狂ひなり。
この内に忠孝はおのづから籠(こも)るべし。」
純粋行動の予定調和というものを信じられなけ
れば武士道は成立しない。
<言行が心を変える>
「葉隠」はほんの小さな言行の瑕瑾(かきん)が、
彼自身の思想を崩壊させてしまうことを警告して
いる。
言行のはしばしに気をつけることによって、かって
なかった内心の情熱、かって自分には備わっている
と思われなかった新しい内心の果実が、思いがけず
豊富に実ってくることもあるのである。(三島)
「「我は臆病なり。その時は逃げ申すべし、おそろしき、
痛い。」などといふことあり。
ざれにも、たはぶれにも、寝言にも、たは言にも、
いふまじき詞なり。」
<立身>
一刻も早く死ぬことをすすめるように見えながら、
実際生活の分野において、「葉隠」は晩熟を重んじて
いる。
「五十ばかりより、そろそろ仕上げたるがよきなり。」
「葉隠」のおもしろいところは、世間ではまるで別の
能力と考えられている、行動的能力と実務的才能とを、
年齢の差によってそれぞれの時代の最高の能力として、
同等に評価していることである。(三島)
<人の使い方>
「義経軍歌に、「大将は人に言葉をよくかけよ。」
とあり。」
この言葉を読むとき、田中角栄を思い出す。
<精神集中>
「物が二つになるが悪しきなり。武士道一つにて、
他に求むることあるべからず。」
(葉隠)の理想的な人間像は、一部が機能であり、
一部が全体であるような折衷的な人間ではなかった。
全人には技術はいらなかった。彼は精神を代表し、
行動を代表し、そして国がよってもって立つ理念を
代表していたのである。
それがこの項の「物が二つになるが悪しきなり。」と
いう意味であろう。(三島)
<平和な時代の言葉>
「武士は当座の一言が大事なり。」
(武士は)乱世には行動によって勇気をあらわし、治世
にはことばによって勇気をあらわさなければならない。
<忍ぶ恋>
「恋の至極は忍恋と見立て候。逢ひてからは恋の
たけが低し、一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ。」
「恋のたけ」とは微妙な表現である。
宮本武蔵の「たけくらべ」を連想させる。
いまの恋愛はピグミーの恋になってしまった。
恋はみな背が低くなり、忍ぶことが少なければ
少ないほど恋愛はイメージの広がりを失い、障害を
乗り越える勇気を失い、社会の道徳を変革する革命的
情熱を失い、その内包する象徴的意味を失い、また同時
に獲得の喜びを失い、獲得できぬことの悲しみを失い、
人間の感情の広い振幅を失い、対象の美化を失い、
対象をも無限に低めてしまった。(三島)
<享楽主義エピキュリアニズム>
「只今の一念より外はこれなく候。
一念一念と重ねて一生なり。
ここに覚え付き候へば、外に忙(せは)しき
事もなく、求むることもなし。
この一念を守って暮すまでなり。」
エピクロスの哲理はエピキュリアニズム(享楽主義)
といわれるが、じつはストイシズムと紙一重であった。
エピクロスの哲理は、享楽がそのまま幻滅におちいり、
果たされた欲望がたちまち空白状態におちいるような
肉体的享楽をいっさい排斥した。
<好いた事をして暮すべきなり>
「人間一生まことにわずかの事なり。
好いた事をして暮すべきなり。
夢の間の世の中に、
すかぬ事ばかりして苦を見て暮すは
愚なることなり。」
<威>
「葉隠」は多少人にけむたがられる人間になれと
教えている。
「主人にも、家老・年寄にも、ちと隔心に思はれね
ば大業はならず。」
引き嗜(たしな)む所に威あり。
調子静かなる所に威あり。
ことばすくなき所に威なり。
礼儀深き所に威あり。
行儀重き所に威あり。
奥歯噛して眼差しするどい所に威あり。
<エゴティズム>
エゴティズムとエゴイズムとは違う。自尊の心が
内にあって、もしみずから持すること高ければ、
人の言行などはもはや問題ではない。
人の悪口をいうにも及ばず、またとりたてて人を
ほめて歩くこともない。
そんな始末におえぬ人間の姿は、同時に「葉隠」の
理想とする姿であった。(三島)
「人事を云ふは、大なる失なり。誉むるも似合はぬ
事なり。とかく我が丈をよく知り、我が修行を精出し、
口を慎みたるがよし。」
<女風(おんなふう)>
「今時の若き者、女風になりたがるなり。」
「葉隠」のいう美は愛されるための美ではない。
体面のための、恥ずかしめられぬための強い美で
ある。
愛される美を求めるときに、そこに女風が始まる。
それは精神の化粧である。
「葉隠」は、このような精神の化粧をはなはだにくんだ。
(三島)
<意地>
「ある人云う、「意地は内にあると、外のあるとの
二つなり。
外にも内にもなきものは、やくに立たず。
たとへば刀の身のごとく、切れ物を研ぎはしらかして
鞘(さや)に納めておき、自然には抜きて眉毛にかけ、
拭ひて納むるがよし。
外にばかりありて、白刃を常に振り回す者には人が寄り
つかず、一味の者無きものなり。
内にばかり納めおき候へば、錆(さび)もつき刃も鈍り、
人が思ひこなすものなり。」と。」
注:
「葉隠入門」は昭和四十二年、三島由紀夫自決の
三年前に書かれた。
「葉隠」の死は、何か雲間の青空のようなふしぎな、
すみやかな明るさを持っている。
それは現代化された形では、戦争中のもっとも悲惨な
攻撃方法と呼ばれた、あの神風特攻隊のイメージと、
ふしぎにも結合するものである。(三島)