失われた美を求めて
「失われた美を求めて」 (芸術論)私の作品を虚無という評価がありますが、西洋流のニヒリ
ズムといふ言葉はあてはまりません。心の根本がちがふと
思っています。道 元の四季の歌も「本来ノ面目」と題さ
れてをりますが、四季の美を歌ひながら、実は強く禅に通
じたものでせう。」(川端康成「美しい日本の私」)
序 芸術とは何か
第1章 芸術からアートへ
第2章 トマソン(赤瀬川原平)から禅へ
第3章 禅とはなにか
結 論 失われた美を求めて
<序 芸術とは何か>
「私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることに
よって、その実践によって、文学に対する近代主義的妄信
を根底から破壊してやろうと思って来たのである。・・・
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではない
かという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その
代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間
色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角
に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、
私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
(三島由紀夫)
「私の肉体と精神を等価のものとすることによって、そ
の実践によって、」というところを見過ごしてはいけない。
何故ならば、三島氏は、すでに、芸術によって、ニヒリズ
ムを解決することはできない、ということを知っていたのだ。
戦時中から以後二十数年間、彼は「葉隠」を常に周辺に置き、
肉体と精神のバランスがもたらす秘儀(ニヒリズムという病
にかからない方法)を確認しながら、死と向かいあっていた。
「これ(「葉隠」)は自由の書物なのである。これは情熱を
説いた書物なのである。」
自由と情熱、これこそがニヒリズムという病の特効薬であり、
「葉隠」ほどこれらを喚起するものはなかった。三島氏は、
芸術というものは芸術だけの中にぬくぬくとしていては、死
んでしまうと考える点で、自らも言うとおり芸術至上主義者
ではない。しかし、彼は、本当は芸術至上主義者でいたかっ
たのだ。そして、晩年はゆっくりと、「定家論」でも書いて
いたかったのだ。しかし、彼には見えたのだ。もう誰も、そ
れを味わう人がいないことを。彼は、殉死を禁じられて生き
延び、死から見放された常朝(「葉隠」著者)と自分をだぶ
らせていた。そこには深いニヒリズムから生まれたぎりぎり
の理想主義があった。
「芸術」とは一体なんだろうか。
「芸術」にあって「アート」にないもの、それは「イデアの
認識(ものが見えるということ)」である。イデアとはプラ
トンのいうイデアである。そして、芸術とはショウペンハウ
アーが語るような以下の言葉で表現できるだろう。
「芸術のただ一つの起源は、イデアの認識である。そして
芸術のただ一つの目標は、この認識の伝達ということにほか
ならない。」
〈大衆文化と解らない絵〉
わからない絵がある、ということを世界中に認知させたのは
ピカソである。
鉛管工場の風雨で変色し、文字は剥げている看板をみて、ピ
カソは、「何処の美術館に行っても、こんな美しい絵はない
。」と言った。まるで、千利休の言葉である。今でこそ、こ
の言葉は冷静に聞くことができる。しかし、当時、西洋の大
衆にとって、この言葉は難解だった。
ピカソの出現は「芸術」という言葉を本来の高みにまで押し
上げたが、それと同時に大衆から「芸術」を引き離した。し
かし、芸術そのものも、民主主義の台頭と共に大衆文化に呑
み込まれていった。三島氏は、そのような”近代主義的妄信”
を嫌悪し絶望したのだ。
第1章 芸術からアートへ
〈大衆の反逆〉
芸術からアートへの移行、つまり芸術の没落は、オルテガ風
に言えば「大衆の反逆」であった。21世紀の先進国で、「大
衆の反逆」にさらされていない国はない。オルテガは言う。
「今日(1920年代)のヨーロッパ社会において最も重要な一
つの事実がある。それは、大衆が完全な社会的権力の座に登
ったという事実である。大衆というものは、その本質上、自
分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべ
きでもなく、ましてや社会を支配統治するなど及びもつかな
いことである。したがってこの事実は、ヨーロッパが今日、
民族や文化が遭遇しうる最大の危機に直面していることを意
味しているわけである。」
”自分自身の存在を指導することができない”大衆が社会
的権力の座についたとき、そこに、イデアはなかった。そし
て、絶望と嫌悪にとりつかれた芸術家達が目にしたものが
「デュシャン」という事件なのである。
〈デュシャンの意味するもの〉
オクタビオ・パスは言う。「近代絵画は、マルセル・デュ
シャンとパブロ・ピカソという両極の間で生きてきた。この
二人はおそらく今世紀にもっとも大きな影響を及ぼした画家
であった。」確かにそうだ、ピカソは、芸術とは皆が解るも
のではない、という常識を知らしめ、デュシャンは、芸術家
の筆を止めさせたのである。
「1914年、既製品を使おうと考えました。(”つくる”とは
なんでしょうか)青のチューブ絵の具を、赤のチューブ絵の
具を選ぶこと、パレットに少しそれらを載せること、そして
相も変わらず一定量の青を、一定量の赤を選ぶこと、そして
相も変わらず場所を選んで、画布の上に色を載せることです。
それは相も変わらず選ぶことなのです。・・・そして、私は、
”既製品”を選んだのです。」
デュシャンが言いたいことは、一つであった。芸術は終わった、
そういうことである。
”無関心”の美以外の美には興味がないデュシャンは、「絶
対に興味をひかない物体を選ぶことはむずかしい。・・・芸
術活動の目的は作品ではなく自由であるということなのだ」
と言う。レディーメードの始まりを、デュシャンは語る。
「レディーメイドの着想は突然やってきた。私の家のアトリ
エに自転車の車輪がありました。薪の火のことを考えました。
車輪を回すと、それだけである動きを思い起こさせるんです。
つまり火の、薪の火の動きです。・・・私には暖炉がなかった
ので、暖炉の代わりに回る車輪を置いたのです。そして通るた
びに、この車輪を回しました。結局、それが私の人生での最初
のレディーメイドです。」と言っている。
デュシャンは、暖炉が欲しかったのだ。しかしなかったのだ。
この「貧しい」ということが重要なのだ。「貧」という状態の
みが「自由」を創造するということに、本人はおそらくまだ気
づいていなかっただろう。
〈アンディー・ウォーホールへの質問〉
「同じ図柄をいくつも繰り返すことにどんな意味があるのですか?」
答え:なぜって全く同じものを見ればみるほど、意味はそれだ
け消えてゆくし、それだけ気持ち良くなり、空っぽの気がして
くるものなのさ。
「ポップ・アートの本質は?」
答え:Liking things
日常品を描いたものが、ポップアートだと言われているが、
ウォーホールが他のポップアーティストと決定的に異なるのは、
彼がデュシャンの”無趣味”の美学を引き継いだことである。
繰り返しによって徹底的に個性を消した彼の感覚は、限りな
く無趣味にこだわったデュシャンのバリエーションである。彼
が無趣味にこだわった理由は、”自分自身の存在を指導するこ
ともできない”個性が持つ騒々しい欲望に、あきあきしていた
からだ。そして、世界もそのように感じていた。そうでなけれ
ば、彼の作品が世界中を席巻することにはならなかっただろう。
彼の死後、残された膨大なコレクションは、まさに「Liking
things」であった。
ウォーホール以後、芸術は、「アート」の道をたどることにな
る。つまり、ニヒリズムとの対決である。「価値」というもの
が見えなくなったのである。
ニヒリズムというものは、知性では超えられない。何故ならば、
それは衰弱した知性が最後に辿り着く場所、つまり、「机上の
空論は止めろ」という警告なのだから。
「好き」(ウォーホール)と「机上の空論」(デュシャン)、
この二つのキーワードの間をアートは彷徨いつづけている。
椹木野衣はその著書「増補シミュレーショニズム」(アートに
おける盗用について)において語る。「アートというものが作
品そのものでなく政治的言説(信用のねつ造)によって評価さ
れるようになってから何年になるだろうか。」
つまり、「机上の空論」的傾向である。そして、続く、「恐れ
ることはない、とにかく「盗め!」世界はそれを手当たり次第
にサンプリングし、ずたずたにカットアップし、飽くことなく
リミックスするために転がっている素材のようなものだ」
つまり、「好き」的傾向である。
模倣と剽窃はオタクの専売特許ではない、それはポップアート
の主題でもあるのだ。
そしてその主題が目指しているのが、ニヒリズムの克服なのだ。
ダリはある時、コピー印刷した自分の作品を見て、私のホンモ
ノよりも素晴らしい、と語った。そこには、ベンヤミンのいう
アウラ(芸術のオーラ)を超えた時代感覚があった。
大衆にとって必要なのは、大量生産される記号であって、もは
やイデアではないのだ。さらに言えば、彼は、記号の力がイデ
アのそれを上回ったと感じたのだ。
第2章 トマソン(赤瀬川原平)から禅へ
多くの大衆作家が、時代の流れのままにアート(西洋風)に
染まっていく中で、赤瀬川原平の軌跡は興味深い。
1963 千円札の模写作品を発表
1981 「父が消えた」で芥川賞を受賞
1985「超芸術トマソン」
1990「千利休 無言の前衛」
1998「老人力」
彼は、頑なに、「芸術」にこだわった人である。
だからこそ、宇宙の缶詰(「机上の空論」)を作ったり、文学
をやったり、「好き」なカメラにはまったのだろう。彼の活動
が、他のアーティストたちと異なるのは日本的な精神に貫か
れていることである。どうせやるならデッカイことをやろう!
という戦艦大和方式から「宇宙の缶詰」は出来たにちがいない
し、「好き」なカメラ本も、他のアーティスト達が眉間にしわ
をよせて、西洋風ろくでもないガラクタを生産しているのを横
目にちゃっかりとカメラマン達に「役に立つ」実利本制作者と
して「働いて(実に日本的である)」いるのである。
カメラ本は本人は否定するだろうが、決して趣味などではなく、
芸術活動(「好き」的傾向)なのである。赤瀬川氏は言う、
「現代美術は感覚的に見るのではなく頭でみるようになって
いる。」「現代美術をかろうじて存続させているものは著作
権という法律である。」
赤瀬川氏は、人一倍、現代美術というものを観察している。
「千円札」事件についてかれ彼は語る。
「1963年の「読売アンデパンダン展」を前にして、私はすで
に自分の手で作る作品価値というものに絶望していた。・・・
要するに画家としての私は、描くものがないということを
描きたかったのである。」その対象が”千円札”だったので
ある。
「私が芸術のことをはじめて考えたのは警視庁の地下室だっ
た。・・・芸術が芸術だけをテーマにするようになり、形態
もオブジェからハプニングへ、そして芸術は蒸発し作家の前
から消えていった。「千円札」は、「絵をえがく本能をもっ
て生きている画家の筆先から芸術が逃げてしまったことの報
告である。・・・つまり、そういうことだったんです。」
続けて、芸術の終焉を語る。
「絵具を垂らしたポロックの絵は、その垂らしたところから
芸術が外に抜け出ていったことの記念碑である。キャンバス
にナイフの切れ目を入れたフォンタナの絵は、その切れ目か
ら芸術が抜け出ていった記念碑である。」「経済はその形骸
(芸術)を買うことによって、形骸に価値を与えてしまった。
そこから現代芸術の作品の凋落がはじまる。」
「フォンタナの絵は誰でも描ける。・・(そこに)技能のオ
リジナリティーを見ようとするのはナンセンスである。・・・
自分でキャンバスを切り裂けば事足りるところを、あえてフ
ォンタナの切り裂いたキャンバスを買うというのは、その形
骸にかって輝やいた芸術を買うことの代用として、フォンタ
ナという記号を買っているのだ。・・・芸術はかくして、経
済の滑稽に覆われた。」
経済の滑稽に覆われた芸術からふと目を転じた時、そこに超
芸術トマソン(無用物件)という得体の知れない感動を発見
した。
「一般空間にあらわれるトマソン物件の輝きにくらべて、芸
術内芸術作品の光はあまりにも微弱なのだ。・・・トマソン
物件に心を打たれて、そこから新しい啓示を受けることで、
それはほとんど芸術作品としての該質を受け継いでいる。」
「どうしてこんなことが面白いのか。この異常なほどの楽
しさは何を示しているのか。ふつうに見れば何でもない物品
である。すでに見飽きたような路上の光景である。その中に
新しい価値が埋もれている。その落差が頭脳に嬉しい。自分
の常識が壊される快感があるのである。先入観が打ち壊され
て、中から全く新しい、それを見る自分が飛び出してくる。
そんなことを引き起こしてくれるのが、路上の無意識の物品
である。」これは大発見だと思った。そして、ヨーロッパ
でのトマソン蒐集を実行した。
「ヨーロッパに行ったとき、オックスフォード、ロンドン、
パリとトマソン探査を試みたのだが、どうも様子が違うので
ある。無用の階段、無用の門、無用の庇などあるにはあるが、
とりわけそれをトマソンという気にはならないのである。・
・・無用になってなお存在する、そういう危うい、あいまい
なものを見つめる空気というのが流れていない。」
トマソンが成立しない国というのがある。しかし、赤瀬川氏
はトマソンに確実に感動しているのだ。この謎は何だろう。
そんな事を考えているうちに、私はこれは「禅」なのだ、と
思った。
そして、「禅」を調べていくうちに、アートが「禅」に向か
っていく様が見えたような気がした。
第3章 禅とは何か
川端康成は、「私の作品は、虚無と言われるが西洋のニヒリ
ズムではない」と言う。
三島氏は、川端氏のたぐいまれな名文は認めながら、彼には
文体がない、という。「小説家における文体とは、世界解釈
の意志であり鍵なのである。混沌と不安に対処して、世界を
整理し、区画し、せまい造型の枠内へ持ち込んで来るために
は、作家の道具とては文体しかない。
・・・川端さんの傑作のやうに、完璧であって、しかも世界
解釈の意志を完全に放棄した芸術作品とは、どういふものな
のであるか?」川端氏の文章を評する者は、自らの知性とい
うものが如何に役に立たないかを思い知るのである。
小林秀雄も言う、「川端氏の胸底は、実につめたく、がらん
どうなのであって実に珍重すべきがらんどうだと僕はいつも
思っている。・・・・作家の虚無感といふものは、ここまで
来ないうちは、本物といへない」川端氏の胸中にあった「禅」
とは一体なんだろうか。
〈貧の平和〉
「貧の平和(けだし、平和はただ貧によってのみ可能である)
は、あなた方の全人格の力をつくしてのはげしい戦いを戦い
抜いて、のちに、はじめて得られるものである」
「富める人はかけがへのきくものを沢山所持している。即ち
物をもっている。・・・彼は物を見る眼をもっているが、人
を見る心を持っていない。これは貧でないとわからぬ。ただ
の貧ではいけない、貧の極意に徹しなくてはならぬ。」
「貧の極意は、個の意義を看取するところに在る。
「寥々たる天地の間、独立、何の極まりかあらん」という詩
がある。この寥々、この独立に徹しなくてはならぬ。天地の
間、森羅万象の中に在って而も寥々とは如何、極まりなく展
開して行く存在の真中にいて、しかも独立するとは如何。貧
の極意をここに看破しなくてはならぬ。」(鈴木大拙)
禅は、あまりに日本人の生活に溶け込んでいるためにそれが
日本独自のものだという事を全く実感しない。いや、鈴木氏
に言わせると、禅が日本人の生活の中に根深く食い込んでい
るというよりは、むしろ日本人の生活そのものが、禅的であ
ると言うのである。私をより禅に近づけさせたのはビットゲ
ンシュタイン、ハイデガーそしてデュシャンという知性なの
だ。彼らが語る、西洋人には理解が難しい最高の叡智は、日
本人にとっては子供の言動にも近いものであった。ハイデガ
ーはかつて、鈴木氏ともっと早く出会っていれば、私は遠回
りしなくてすんだ、という意味のことを言っていたが、私に
は、ハイデガーにとって鈴木氏の言葉の意味が伝わっていた
とは思えないのである。それほどまでに、西洋の知性は禅の
前には無力なのである。西洋の知性とは、デカルトの知性
(事象を細切れにし分析する)である。そこに、生命はない。
(生命とは連続なり)。禅とは、生命を捉える知恵なのだ。
〈空・わび・さびについて〉
禅を語るとき、その象徴ともなるのが、空でありワビ・サビ
である。鈴木大拙は、それらを以下のように言う。
〈空〉
「空」には二つの意味がある。
一つは、全てのものは、永久性をもたない、という意味であ
り。もう一つは、万物は「空(絶対者)」に根ざし、この根
ざすということを十分理解する限り、それは実在する、とい
う意味である。
禅においての「空」は、後者の意味である。
〈ワビ〉
「貧しいということ、すなわち世間的な事物、富・力・名に
頼っていないこと、しかも、その人の心中には、なにか時代
や社会的地位を超えた、最高の価値をもつものの存在を感じ
ること、これが”わび”を本質的に組成するものである。」
〈サビ〉
「美とはかならずしも形の完全を指していうのではない。
この不完全どころか醜というべき形のなかに、美を体現する
ことが日本の美術家の得意の妙技の一つである。この不完全
の美に古色や古拙味(原始的無骨さ)が伴えば、日本の鑑賞
家が賞美するところの「さび」があらわれる。」
ワビ・サビというものが、日本以外では成立しない、という
事実はじつに不思議な現象である。
萩原朔太郎はかって、「お茶漬け」のうまさは、どんな豪華
な料理にも勝ると、書いたが、この感覚はまさに「わび」な
のである。
貧困の美学というものが、この世の中で、最も豊饒で究極の
美である、ということは実に信じがたいことである。
もし、モナリザが金銀財宝を身につけていたら世界の至宝と
なることはなかっただろう。
モナリザの凄さは、日本人の鑑賞にも耐えられるワビにある
のである。モナリザをみて、ダビンチの作品集を買った人は
きっと期待を裏切られたことだろう。そこには確かに、天才
の技巧と知性が溢れている。しかし、モナリザ以外に”ワビ”
がないのである。
天才、モーツアルトはどうだろう。彼の作品は人間業とは思
えないほど完璧である。しかし物足らないのである。何故な
らば、そこに「貧がない」からだ。彼の音楽には、金銀財宝
がある。
日本の普通のオジサンが、モーツアルトが好きだ、と言って
みたまえ、きっとそこに”お前は日本人ではない”という壁
が生まれる。確かに、アナタは高尚な趣味をお持ちだ、しか
し、もっと大切なことを失っているのだ、という微笑みがか
えってくることだろう。
しかし、ベートーベンは違う。彼の全作品には、”ワビ”が
ある、「貧」がある。
ベートーベンは、世界中で自分ほど苦しんだものはいない、
と語ったことがあった。孤絶の中から「貧」の極意に達した
のだろう。
私は、世界中でベートーベンを最も理解できる国は日本だと
思っている。ベートーベンの音楽と、モナリザは日本の希望
であり、世界の希望なのだ。
なぜならば、世界はいまだ、それらの真の価値に気づいてい
ないにも関わらず、無意識にせよ、
とてつもない力を感じていることはまちがいないからである。
結論 失われた美を求めて〈床の間のある家〉
昔、どこの家にも床の間があった。子どもたちも、床の間の
”和敬静寂”感に一種の犯しがたい力を感じていた。花や掛
け軸に大和心を感じていた。床の間が清浄な家は、大抵、掃
除が行き届いていた。家族も礼儀正しかった。
「床の間は一種霊性的向上の場所なのである。ただの美の鑑
賞場ではないのである。・・・東洋では霊性的美の欠けたも
のを、本当の美とは見ないのである。」
「古池や 蛙とび込む 水の音」
という芭蕉の有名な俳句がある。私は この句を、全ての俳
句の中で、最も有名にした、日本人の感性に驚嘆するのであ
る。あらためて、芭蕉の全句を読み返してみても確かに、こ
の句は一際、抜きん出ているように思われる、芭蕉の、この
句は、「「時間なき時間」を有する永久の彼岸によこたわっ
て、彼の「無意識」は、古池の静寂にはなくて、蛙のとび込
む音にあった。」と鈴木氏は言う。
私は想像してみる。そこには、ビッグバンがある。無意識か
ら意識への目覚めがある。そして、究極の「貧」がある。
俳句は日本人にとって美的生活の一つの道具であるが、外国
人、例えばロラン・バルトにとっては、驚くべき思考形式な
のである。
「俳句においては、ことばを惜しむということが最優先に配
慮される。これは私たちヨーロッパ人には考えも及ばぬこと
だ。それは単に簡潔に語るということではない。そうではな
くて、逆に、意味の根源そのものに触れるということなのだ。」
私は、バルトのこの驚きに驚く。バルトは決して大衆ではな
い。ヨーロッパの知性である。世界に禅が理解されるには二
百年はかかる、といった鈴木氏の言葉があながち外れてはい
ない、と改めて思うのである。
〈日本芸術にたいするゴッホの感想〉
「日本の芸術を研究していると、賢者でもあり哲学者でもあ
り、しかも才気煥発の一人の人間が見えてくる。・・・みず
から花となって、自然の裡に生きている単純な日本人たちが、
僕らに教えるものは、実際、宗教と言ってもいいではないか。
僕は思うのだが、君がもし日本の芸術を研究するなら、もっ
と陽気に、もっと幸福にならなければだめだ。・・・僕は日
本人がそのすべての制作のうちに持っている極度の清潔を羨
望する。・・・彼らの制作は呼吸のように単純だ。」
ゴッホが感じ取った「極度の清潔」とは何か。
「一僧が尋ねて曰く「維摩経に、浄土を願うものはその心が
清浄でなくてはならぬとあるが、清浄とは何か」と。禅師は
答う、「絶対に清浄な意識が得らるる時、これを浄心と言う
のだ。この心と言うのは、浄と不浄との二元を超えることだ。
どうしてそれを実現するかと、お前は聞きたがるだろう。そ
れはお前の心をすべての事情の下で徹底して空しくするのだ。
そのとき清浄が得らるる。しかしこの時何か所得があるなど
と思ったら、もう不浄だ。浄とも不浄とも思わぬ時、そこに
絶対清浄がある。」
〈禅とオタク〉
「オタク文化が世界の主流になりつつあるのではないか」
(岡田斗司夫)
「日本は世界の未来かもしれない」(村上隆)
「この300年、500年ぐらいで、今ほど日本主義がト
レンディーな時代はないわけで、浮世絵以上じゃないかな」
(坂本龍一)
「村上隆の「DOB」シリーズなどは、一見、シュミラークル
(二次創作)を美術作品に昇華させたものだと思えるのだが、
オタクたちの評価はすこぶる悪い。彼ら(オタク)は、村上
には、「オタク遺伝子」が欠けている、といい、また、村上
には、オタク系作品を「オタク的」にするさまざまな特徴を
直感的に捉える能力、つまり萌え要素を捉える能力に欠けて
いるというのである。」(東浩紀)
「オタク」作品の特徴は、模倣と剽窃である。
そして、「オタク」のキーワード「キャラ萌え」はウォーホ
ールの「Liking things」に似ている。
しかし、全くちがうのである。なぜなら、「オタク」には禅
の遺伝子があるからである。
村上隆氏がオタクから非難されるのは正に、「貧ではない
(禅遺伝子の無視)」からである。
「オタク」は禅である、と言ったら驚くかも知れない。しか
し、それは未だイクオールではない。
何故なら、彼らは、フリーダム(現在の解放状態に重きを置
いた消極的な自由)かもしれないが「自由」ではないからだ。
自由とはなにか。
鈴木氏は言う。「リバティーやフリーダムの訳語としての自
由には、自ら主となる、という意味はない、そして、自由の
はたらきは、空の場所ではじめて可能である」と。
「自分の所存では、禅は一切の哲学および宗教の究極すると
ころである。すべての知的努力は、もしそれが何か実際上の
効果をもたらすものであるとするならば、ついには禅に到ら
ねばならぬ。否、むしろ禅から出発せねばならぬ。」
(鈴木大拙)
そして、私は言う、日本のアートは禅から出発せねばならぬ、と。
貧しいということ、すなわち世間的な事物、富・力・名に
頼っていないこと、しかも、その人の心中には、なにか時代
や社会的地位を超えた、最高の価値をもつものの存在を感じ
ること。貧の極意は、個の意義を看取するところに在る。
完