art-tokyo

知恵(モンテーニュ「エセー」)

「剛毅、信義、誠実が真の哲学であり、それ以外
を目的とする学問は虚飾にすぎない」
(プラトン「アリストドロスへの手紙」)

「知恵のもっとも明白なしるしは、常に変わらぬ
喜悦であります。」(セネカ「書簡」59)

Comments Off

エピクテートス(パスカル)

「自分が常に読んだ書物はエピクテートスとモンテ
ーニュとであった。」

「エピクテートスは世界の哲学者の中で人間の義務
を最も知った一人です。」

Comments Off

幸福の秘訣(ショーペンハウアー)

「すべて物事を局限するのが幸福になるゆえんで
ある。われわれの限界、活動範囲、接触範囲が狭
ければ、それだけわれわれは幸福であり、それが
広ければ、苦しめられ不安な気持にさせられるこ
ともそれだけ多い。」

Comments Off

幸福な人間とは(ショーペンハウアー)

「この男が朗らかな人間だとすれば、若いか年取
っているか、貧乏なのか金持か、などということ
はどうでもいい。要するにこの男は幸福なのだ。」

Comments Off

幸福論(ラッセル)

「幸福の不可欠な要素は、欲しいものをいくつか
もっていることだ」

「大きな富みのおかげで、人間が努力しないでも
おのれの気まぐれを満足させられる場合は、生活
に努力が不要になったというだけで幸福の本質的
な成分が奪われてしまう。
格別強い欲望を感じていないものをやすやすと入
手できる人は、欲望を達成したって幸福はもたら
されない。」

Comments Off

ショーペンハウアーとは(ニーチェ)

「ショーペンハウアーの価値。というのは、
彼は、素朴な普遍的な真理を、記憶の中に
呼び起こすからである。」

「今や、われわれは、ショーペンハウアーと
いう注目すべき人物の登場を、理解する。
・・・彼は、倫理学と芸術の、最深の根源的
諸問題に思いを致し、生存の価値という問題
を提起するのである。」

「ショーペンハウアーは、単純で、正直であ
る。・・・彼の用いるあらゆる概念の、何と
いう力に溢れたことか。・・・彼の叙述の中
には、何らの動揺も見られず、あるものは、
太陽の光がその上に輝いているとき、ざわめ
きもせず、もしくは軽やかさにさざ波を立て
る、そうした湖水の明るい深みである。彼は
ルターのように、粗く大きい。彼は今日に到
るまで、ドイツの散文家の中での最も厳しい
模範であり、如何なる者も、彼ほど真剣に、
言葉と、言葉が課する義務とを、考えたこと
はなかった。・・・学識ぶった抽象化をする
ことなく、哲学的な煩瑣な屁理屈をうんざり
するほど敷衍(ふえん)したり長々と縷説し
たりすることなく、生存の核心を改めて洞察
した彼の偉大さは、並々ならぬものである。
・・・ショウペンハウアーは、今日文化とし
て妥当しているすべてのものに、抵抗して立
つのである。ちょうどプラトンが、昔日ギリ
シャにおいて文化であったすべてのものに、
抵抗して立っていたように。」
(「哲学者の書」)

ショウペンハウエルの没後5年、ニーチェ
は古本屋で、彼の主著「意志と表象として
の世界」に出会う。

<出会った印象>
「どの行も、諦念と否認と断念とを叫んで
いた。それは、私に世界と生と私自身の心情
をきわめて壮大に映し出してくれる鏡にも似て
いた。そこでは、すべての利害得失をはなれ、
じっと見つめる太陽のごとき芸術のまなこが
私を凝視していた。
そこに、私は、病気と快癒、追放と隠れ家、
地獄と天国を見た。自己認識の必要が、いや
、自分自身をこなごなに粉砕する必要がある
という強烈な思いが私を襲った。」

<信頼できる哲学者、ショウペンハウアー>
「世の中には、ショーペンハウアーの著作の
最初のページを読んだだけで、この著者なら
最後のページまで通読し、著者の語る片言隻句
にも耳を傾けるだろうと、その瞬間に確信する
読者がいるものだが、私もその一人だった。
私の胸に彼に対する信頼の念が芽生えた。
私は、あたかも彼が私のために書いてくれた
ようにショーペンハウアーを理解した。」
(「反時代的考察」)

Comments Off

一事が万事(本居宣長)

「まづ大かたの人は、言と事と心と、そのさま大抵
相かなひて、似たる物にて、たとえば心のかしこき
人は、いふ言のさまも、なすわざのさまも、それに
応じてかしこく、心のつたなき人は、いふ言のさま
も、なすわざのさまも、それに応じてつたなきもの
也。」(「うひ山ぶみ」本居宣長)

Comments Off

河童の世界(芥川竜之介)

河童の世界では、メスが必ずオスを追い
かける。学生の河童ラップは悪いメスに
キスされたためにそのクチバシが腐って
しまう。河童の世界で一番盛んな宗教は
「近代教」で、”食って、飲んで、セッ
クスせよ”と教える。

Comments Off

小説作法(芥川龍之介)

哲学者には小説は書けない、しかし、
哲学をかじらないでは、ろくな小説
は書けない。
<哲学を遠ざけよ>
「小説家たらんとするものは常に哲学的、
自然科学的、経済科学的思想に反応する
ことを警戒すべし。
いかなる思想ないし理論も人間獣の依然
たる限りは人間獣の一生を支配する能わず。」

<結論>
「所詮小説家になりうるものはなり、なり
えざるものはなりえざるべき乎。」

Comments Off

文体(ショーペンハウエル)

「著作を評価するためには、その著者が何につい
て、何を考えたかを知るにはおよばない。・・
・彼がどのように思索したかを知るだけで充分
である。ところで、この「いかに、どのように」
は言い換えればその人の思索にそなわる固有の
性質であり、それを常にすみずみまで支配して
いる独自性である。思索のもつこの性質を精密
に写し出しているのが、その人の文体である。」

Comments Off

私の理想(ニーチェ)

「私の理想は、目障りにならぬような独立性、
それとわからぬ静かな誇り、つまり、他人の
名誉や喜びと競合せず、嘲弄にも耐えること
によって得られる、まったく他人に負い目の
ない誇りである。
このような理想が、私の日常の習慣を高貴な
ものにせねばならぬ。

低俗にならず、交際は欠かさず、欲はもたず、
静かに努力し、高く飛翔する。
自分自身のことは簡素で、つつましく、他人
にはやさしく。安眠と、軽やかな足取り、酒
は飲まず、王侯貴顕の輩とは付き合わず、女
と新聞に無関心、名誉を求めず、交際は最高
の精神の持主と、時折、下層の民衆(彼らは、
強靭で元気な植物を見るのと同じように、必
要である)に限り、ありきたりの食事で満足
し、意地汚く舌鼓を打つような連中の群れに
入らぬこと。食事はできれば自分でつくるの
がいいが、出来合いのものでもいい。」
(「遺された断想」)

Comments Off

エロス(三島由紀夫)

<エロスの母は”窮乏”父は”術策”>
「饗宴」(プラトン)の中で、賢女ディオティマの語る
ところによると
「エロスという奴は、神でもなければ人間でもない、死
なないものと死すべきものとの中間にあって、偉大な神
霊(ダイモーン)なのだそうだ。ダイモーンは、神と人
間の中間にいるのである。
エロスは母親であるペニヤ(窮乏)に似て、貧乏で、汚
らしく、跣足(はだし)で、宿無しであり、父親である
ポロス(術策)に似て、勇敢で、術策に窮せざる狩人で
あり、又、エロスの生まれたのがアフロディテの誕生日
であるところから、いつもアフロディテの僕(しもべ)
となって、美に憧れている。・・・・・重要なことは、
エロスが智慧と無智の中間におり、自ら智慧をもつゆえ
に智慧を求めない神と、無智なるが故に智者になりたい
とも思わぬ無智者との丁度中間にいて、自分の欠乏の自
覚から、智慧を愛し求めている存在だということである。」

Comments Off

努力よりもつらいこと(三島由紀夫)

「人間は、場合によっては、楽をすることのほう
が苦しい場合がある。貧乏性に生まれついた人間
は、一たび努力の義務をはずされると、とたんに
キツネがおちたキツネつきのように、身の扱いに
困ってしまう。・・・・
実は一番つらいのは努力することそのことにある
のではない。ある能力を持った人間が、その能力
を使わないように制限されることに、人間として
一番不自然な苦しさ、つらさがあることを知らな
ければならない。」

Comments Off

想像力(赤川次郎)

「人間の命がどんなに大切かを、文学や芸術から
学ぶということは、自分が、自分自身の命を大切
にすることにほかなりません。自分の命というの
は、自分だけのものではないのです。自分の命を
粗末にするということは、自分以外の人たちを、
どれだけ大きな悲しみに落とすかということなの
です。そういう気持ちというもの、まあ、この一
種の思いやりの気持ちというのは、それはそのま
ま、想像力の豊かさにつながっているわけなんで
すね。」

<モラルの低下、親の子供への接し方>
「・・どうも何か日本全体、モラルというものが
欠けつつあると思います。「自分はサラリーマン
だから仕方がない、自分は勤めてるんだから、会
社に言われれば、その通りにやるしかないんだ」
と言ってしまえば、確かにそうなんですけれども
、・・・でも問題はその時に、それによって自分
自身が苦しんでいるかどうかということなのです。
「会社に言われているんだからいいんだ、俺のせ
いじゃないんだ」という態度でいるのか、「本当
はやりたくないんだ、本当はこんなことしちゃい
けないんだ」」と苦しむかどうかが大切なことだ
と思うのです。
そして、そういう苦しんでいる姿こそが、親の子
供への接し方として大切なのです。

Comments Off

やりたいことがわからない人たちへ(鷲田小弥太)

・人間は、どんなものをも好きになれる動物である。

・「やりたいこと」を見つける最も確実なことは、い
 ま与えられている課題をしっかりやることだ。

興味がない仕事でも、続ければおもしろくなる。
仕事が解ってくるからだ。しかし、解ったと思
った後から又、解らないことにぶつかる。
それらを、ひとつひとつクリヤーしてゆくと、
ある日突然、「やりたいこと」が姿を現してくる。
その反対に、「やりたいこと」をひたすら考えて
も、「やりたいこと」は姿を現さないのである。
なぜだろう?
一芸は万事に通じる、つまり、興味がないと思って
いる仕事に打ち込んでいるうちに”仕事”とは何か
ということが解ってくる。
そこまで行って、初めて、自分の「やりたいこと」
が、本当に考えられる”自分”を獲得するからで
ある。

「人は、なりたい自分になっている」という言葉が
ある。それは本当だ。しかし、それには一つだけ条
件がある。
「いま与えられている課題をしっかりやることだ。」

Comments Off

戦争の仕方(鈴木大拙)

<降参は不名誉なことか>
「欧米人の戦争観は日本人のと違う。日本では
”人”を戦争の主体としているが、前者(欧米人)
に在りては戦争は”力”の抗争である。
それ故、力が尽きれば降参して、お互いに無益の
流血を避ける。・・・・
日本人の戦争は”力”の争いでなくて”人”の争
いであるから、どんなことがあっても降参せずに
自殺してしまう。それが名誉の戦死だということ
になる。欧米人の間では降参は恥辱でも何でもな
い、力のないのに抗争を続けるということは頗る
非合理である、この方がかえって人間的でないと
さえ考えられる。」

<日本人は何故、捕虜を虐待するのか>
「欧米人は”力”を中心に考える故、自ら非人格
的になる。それで、戦時における捕虜の取り扱い
については特別の規則が作られてある、人格の尊
重が説かれるのである。
日本人は”人”を相手とするのであるが、不思議
に人格を無視する。そうして捕虜はいくら虐待し
ても苛責しても惨殺しても構わないということに
している。」

Comments Off

酒豪・大食い

山岡鉄舟は水戸の酒豪との飲みくらべで7升の酒を飲んだ。
饅頭108個、ゆで卵97個を記録。

Comments Off

武士道とは(山岡鉄舟)

「わが邦人に一種微妙の道念あり。神道にあらず儒
道にあらず、仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念
にして、中古以降もっぱら武門においてそのいちじ
るしきを見る。鉄太郎(山岡鉄舟)これを名付けて
武士道という。」

Comments Off

小説を書くということ(辻邦生)

<自分の好みを見つける>
「基本的には、非常に強い自分のなかの好み、
核心といってもいい、自分のなかの生命のシ
ンボルをまず発見する。
だれが何と言おうと、ともかく東京が好きだ
とか、隅田川が好きだということだってかま
わないと思います。」

<特別なことは何もない>
「作品を書くために何か特別なことをする必
要はまったくない。むしろ一日一日の歩みの
なか、刻々の時間の移りのなかで、自分が本
当に生きていることをつかんでいるかという
ことのほうが大事だと思います。」

「ものを書くうえで大事なことは、知識では
まったくない。あなた方がものを書くのに必
要なものはすべてもうあなた方のなかにある
んです。」

Comments Off

吉田松陰の健康法

「武士の心懐はいかに逆境にあおうとも
爽快でなければならぬ。心懐爽快ならば
人間やつれることはない」
(脱藩罪で護送中の会話より)

Comments Off

大衆の反逆(オルテガ)

<1920年代のヨーロッパ>
「今日のヨーロッパ社会において最も
重要な一つの事実がある。それは、大
衆が完全な社会的権力の座に登ったと
いう事実である。
大衆というものは、その本質上、自分
自身の存在を指導することもできなけ
れば、また指導すべきでもなく、まし
てや社会を支配統治するなど及びもつ
かないことである。
したがってこの事実は、ヨーロッパが
今日、民族や文化が遭遇しうる最大の
危機に直面していることを意味してい
るわけである。」

Comments Off

読書(司馬遼太郎)

「諸兄にぜひこれだけはお伝えしたい
と思うことがあります。
明治文学をぜひお読みなさいということ
です。」

「「蘆花(徳富蘆花とくとみろか)」全集」
はぜんぶ読んで、何冊かはくりかえし読み
ました。・・・あと漱石、鴎外を読み、さ
らには正岡子規の「墨汁一滴」などを読む
ことで、小説・随筆を読むたのしみ以上に、
明治人の心というものが身近になりました。」

「軍服耳時代二年間のあいだに、岩波文庫の
「万葉集」をくりかえし読みました。」

Comments Off

将棋(羽生善治)

「一時間ぐらい考えれば、五百手、
千手、二千手・・・と読むことがで
きると思います。」

<実践の常識>
「意外に思われるかもしれませんが、
プロの棋士でも先を見通して指して
いることは非常に少ないのです。
実は、プロの集まりの時に。「実践
で、進行する十手先の局面を想定す
ることができるか?」と話題になった
のですが、「できない」ということで
一致したのです。」

Comments Off

いきの構造(九鬼周造)

<「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態」である>
「媚態は異性の征服を仮想的目的とし、
目的の実現とともに消滅の運命をもったもの
である。永井荷風(ながいかふう)が「歓楽」
のうちで「得ようとして、得た後の女ほど情
(なさけ)無いものはない」といっているのは、
異性の双方において活躍していた媚態の自己
消滅によって齎(もた)らされた「倦怠、絶望、
嫌悪」の情を意味しているに相違ない。」

<「いき」の第二の徴表は「意気」すなわち「意気地」である>
「「いき」のうちには溌剌(はつらつ)として
武士道の理想が生きている。「武士は食わねど
高楊枝(たかようじ)」の心が、やがて江戸者の
「宵越(よいごし)の銭(ぜに)を持たぬ」誇り
となり、更にまた「蹴(け)ころ」「不見転
(みずてん)」を卑(いや)しむ凛乎(りんこ)
たる意気となったのである。
「傾城(けいせい)は金でかふものにあらず、
意気地にかゆるものとこころへべし」とは廓
(くるわ)の掟(おきて)であった。「金銀は
卑しきものとて手にも触れず、仮初(かりそめ)
にも物の直段(ねだん)を知らず、泣言(なき
ごと)を言はず、まことに公家大名(くげだい
みょう)の息女(そくじょ)の如し」とは江戸
の太夫(たゆう)の讃美であった。」

<「いき」の第三の徴表は「諦め」である>
「運命に対する知見に基づいて執着(しゅう
じゃく)を離脱した無関心である。・・・
要するに、「いき」は「浮かみもやらぬ、
流れのうき身」という「苦界(くがい)」に
その起原をもっている。そうして「いき」の
うちの「諦め」したがって「無関心」は、
世智辛(せちがら)い、つれない浮世の洗練
を経てすっきりと垢抜した心、現実に対する
独断的な執着を離れた瀟洒として未練のない
恬淡無碍(てんたんむげ)の心である。」

「「いき」の「諦め」は爛熟頽廃(らんじゅ
くたいはい)の生んだ気分であるかもしれない。
またその蔵する体験と批判的知見とは、個人的
に獲得したものであるよりは社会的に継承した
ものである場合が多いかもしれない。
それはいずれであってもよい。ともかくも
「いき」のうちには運命に対する「諦め」と、
「諦め」に基づく恬淡とが否(いな)み得な
い事実性を示している。
そうしてまた、流転(るてん)、無常を差別相
の形式と見、空無(くうむ)、涅槃(ねはん)
を平等相の原理とする仏教の世界観、悪縁にむ
かって諦めを説き、運命に対して静観を教える
宗教的人生観が背景をなして、「いき」のうち
のこの契機を強調しかつ純化していることは
疑いない。」

Comments Off

十七条憲法(聖徳太子)

一に曰く
和を以て貴(とうと)しとし、忤(さから)
うこと無きを宗(むね)とせよ。
人みな党(たむら)あり。また達(さと)
れる者少なし。
ここを以て、或は君父(くんぶ)に順
(したが)わず。
また隣里(さととなり)に違(たが)う。
しかれども、上(かみ)和(やは)らぎ、
下(しも)睦(むつ)びて事を論(あげつら)
うに諧(かな)うときは、事理(じり)おの
ずから通ず。何事か成らざらん。

<現代語訳>
第一条
おたがいの心が和らいで協力することが
貴いのであって、むやみに反抗すること
のないようにせよ。
それが根本的態度でなければならぬ。
ところが人にはそれぞれ党派心があり、
大局を見通している者は少ない。だから
主君や父に従わず、あるいは近隣の人びと
と争いを起こすようになる。
しかしながら、人びとが上も下も和らぎ
睦まじく話し合いができるならば、ことが
らはおのずから道理にかない、何ごとも
成しとげられないことはない。

Comments Off

幸福の七ヶ条(水木しげる)

1 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、
  ことを行ってはいけない。
  
  成功しなくてもいいのです。全身
  全霊で打ち込めること
  を探しましょう。

2 しないではいられないことをし続けなさい。

  打ち込めることを探すには、好奇心を
  大事にしましょう。好奇心がわき起こったら、
  とことん熱中してみる。そうすると、
  「しないではいられないこと」が姿を現して
  きます。

3 他人との比較ではない、あくまで自分の楽し
  みを追求すべし。

  古今東西の奇人変人を研究した結果、
  彼等には幸福な人が多いことが解り
  ました。

4 好きの力を信じる。

  売れなかった時代でも、原稿料の大半は、
  漫画の筋を考えるのに役に立ちそうな本
  とか、妖怪の作画のための資料とかを買
  い込むのに使っていました。

5 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

  ただただ、努力するのです。そうです、
  好きな道なのですから。

6 怠け者になりなさい。

  若いときは怠けてはだめです!
  中年を過ぎたら、愉快に怠けるクセを
  つけるべきです。

7 目に見えない世界を信じる。

  目にみえないものがいると思うと、
  私の心は妙に落ち着き、気持ちが
  和み、元気に幸せになります。

Comments Off

山岡鉄舟の書

入木道五十二世(弘法大師流)の書家

書いた書は、200万枚、借金取りは、
借用書の文字欲しさに、金の返済を
断ったほどだ。
(少ない日でも、一日200枚というから
スゴイ量である。)
「とらや」(羊羹)の文字は鉄舟の書である。

Comments Off

どこに詩があるか

「他人からの知識でなく、他人からの
学問でなく、真に「彼自らの思想」を
書いた人々の言葉は、どんな抽象的な
題材ーたとえば科学上の論説のような
ものーであっても、奇体なことには、必ず
そこに「詩」を感じさせる。
なぜといって、真に「彼自らのもの」と
なってしまった思想は、もはや概念でなく、
知識でなく、理屈でなく、実にそれ自らが
彼の生活における感情であり、尚進んで
は気質上の趣味でさえもあるから。
そして「詩」とは、つまりそうした者の
表現にほかならないのだから。」
(萩原朔太郎)

Comments Off

厳頭之感(藤村 操)

悠々たるかな天壌(かなてんじょう)
遼々(りょうりょう)たるかな古今
五尺の小躯(しょうく)を以って
此の大をはからんとす
ホレーショウの哲学
ついに何等のオーソリテーを
価するものぞ
万有の真相は唯一言にして尽くす
曰く「不可解」
吾れ此の恨みを懐いて
煩悶終に死を決す
既に厳頭に立つに及んで
胸中何等の不安あるなし
初めて知る
大いなる悲観は
大いなる楽観と一致することになるを
万有の真相は唯一言にて尽くす
曰く不可解

人間とは何か、死とは何か、人生とは何か。
五尺の小躯でいくら考えてもわからない。解くことは出来ない。
煩悶、遂に死を決した。
滝壺の上に立ったとき、
何等の不安あることなし。
初めて知る、大いなる悲観は、
大いなる楽観と一致することを。

Comments Off

雨ニモマケズ

「鴎外とか漱石とかいう人たちは文学者としても、
人間としても、立派な人でありました。
偉人と呼んでいい人でありました。しかし、私は
鴎外の墓の前にも、漱石の墓の前にも、
本当にへりくだった心をもって跪(ひざまず)きたい
とは考えません。
しかし、賢治の墓の前には私は跪きたい。」(谷川徹三)

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク
決シテイカラズ

イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト 少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ
ジブンヲ カンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

小サナ萱ブキノ小屋ニイテ

東ニ病気ノコドモアレバ 行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ 行ツテ
コハガラナクテモ イイトイヒ

北ニケンカ ヤ ソシヨウガアレバ
ツマラナイカラ ヤメロトイヒ

ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ
サムサノ ナツハ オロオロアルキ

ミンナニ デクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ

ソウイフモノニ

ワタシハ ナリタイ」

Comments Off

強健術家・肥田春充の話

身長158cm,体重70kgの小柄な男は、あらゆる武道家に体を触れさせることなく勝利した。
今、世界中の格闘家の中で、床を”足形”に踏み抜ける人が果たしているのだろうか。
「床板は足の形に踏み抜けた。二回、三回、なんの抵抗もなく床板は踏み抜かれた。」
「これこそすなわち、禅の極致、悟道の妙諦であることを、私は疑わなかった。禅の悟りといったところが、これより他にあるはずがない。私は私の正中心力、練磨の道を、一途に突進して得た、完全なる体勢を、そのまま禅にもっていってみた。しかして、それは全く同一のものであることが、わかったのである。」

Comments Off

禅の達人、山岡鉄舟の臨終

「山岡死亡の際は、おれもちょっと見に行った。明治二十一年七月十九日のこととて、非常に暑かった。
 おれが山岡の玄関まで行くと、息子、今の直記が見えたから「おやじはどうか」というと、直記が「いま死ぬるというております」と答えるから、おれがすぐ入ると、大勢人も集まっている。その真ん中に鉄舟が例の坐禅をなして、真っ白の着物に袈裟をかけて、神色自若と坐している。
おれは座敷に立ちながら、「どうです。先生、ご臨終ですか」と問うや、鉄舟少しく目を開いて、にっこりとして、「さてさて、先生よくお出でくださった。ただいまが涅槃の境に進むところでござる」と、なんの苦もなく答えた。
それでおれも言葉を返して、「よろしくご成仏あられよ」とて、その場を去った。
少しく所用あってのち帰宅すると、家内の話に「山岡さんが死になさったとのご報知でござる」と言うので、「はあ、そうか」と別に驚くこともないから聞き流しておいた。
その後、聞くところによると、おれが山岡に別れを告げて出ると死んだのだそうだ。そして鉄舟は死ぬ日よりはるか前に自分の死期を予期して、間違わなかったそうだ。
なお、また臨終には、白扇を手にして、南無阿弥陀仏を称えつつ、妻子、親類、満場に笑顔を見せて、妙然として現世の最後を遂げられたそうだ。絶命してなお、正座をなし、びくとも動かなかったそうだ。」
(勝海舟「「山岡鉄舟の武士道」)

Comments Off

司馬遼太郎

「日本人にいちばんうまく適合した宗教は、これも
ほんとうの禅とどれだけ関係があるかどうかは別と
して、私は禅だと思います。禅は日本人とウマがあ
ったという感じです。」(司馬遼太郎)

Comments Off

禅と私

「私の作品を虚無という評価がありますが、西洋流の
ニヒリズムといふ言葉はあてはまりません。心の根本
がちがふと思っています。道元の四季の歌も「本来ノ
面目」と題されてをりますが、四季の美を歌ひながら、
実は強く禅い通じたものでせう。」
(川端康成)

Comments Off

鈴木大拙

「欧米人に禅が理解されるには少なくとも
200年はかかる」(鈴木大拙)

「禅は不純を嫌忌する。人生は芸術である。そして
完全の芸術のように、それは自己没却でなければな
らない。そこには一点努力の跡、あるいは労苦の感
情があってはならぬのである。」(鈴木大拙)

「悟りとは、問いと自分が一体化することによって、
問う者が問題を解こうと努めなくとも解決がその一
体性から、おのずから生まれてくる状態である。」
(鈴木大拙)

「「空」という言葉は、仏教では二つの意味をもつ
ために、混乱を招いている。まず、
一つは、全てのものは、永久性をもたない、
という意味であり、
もう一つは、
万物は「空(絶対者)」に根ざし、この根ざすとい
うことを十分理解する限り、それは実在する、とい
う意味であり、
禅においての「空」は、この意味である。」
(鈴木大拙)

「人間が、空なる存在を自覚する、ということが仏
教の、そして禅の、目的なのである。」
(鈴木大拙)

「禅が全ての宗教に勝るのは、絶対者(キリスト教
であればキリスト)が、自分であり、他者(第三者)
ではない、ということにある。」
(鈴木大拙)

「禅の意図するところは、つねには智慧が眠っている
意識の奥底から、その智慧を喚び覚ますことにある。」
(鈴木大拙)

Comments Off

西行

「西行上人のいはく、
歌はこれ禅定の修行なりといへり」
(三五記)

Comments Off
« Previous Entries Next Entries »